第9話「第91層、縛りなし・弱点なし」
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今日の縛りはない。
それ自体が、今日の条件だ。
ここ数話、縛りを重ねてきた。武器禁止。魔力禁止。20万体に何もさせない。縛りを課した状態での設計精度を上げてきた。
今日は全部使える。
ただし——捕食の地図が事前に示している今日の敵の情報に、「弱点:現在なし。生成中」と表示が出ている。
弱点がない相手に縛りなしで挑む。
縛りがないから楽なのか——それは違う。弱点がなければ捕食の地図の本来の用途が機能しない。解体図が浮かばない。どこを断てばいいか、捕食の地図が答えを出せない状態で戦うことになる。
今日の縛りの代わりになるものは、「解体図なしで答えを出すこと」だ。
記録帳に書いた。「第91層。縛りなし。ただし弱点がない敵。解体図なしでの討伐を試みる」
扉を開けた。
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◆第一章「弱点がないとはどういうことか」
第91層に入った。
空間の物理法則が、1秒ごとに変動していた。
重力の向きが変わる。左に引力がかかったかと思えば、次の瞬間には上から圧力が来る。光の速度がエリアによって違う——近くのものがゆっくりに見える場所と、遠くのものが先に見える場所が混在している。因果関係が逆転している区画がある。煙が炎より先に見え、着地より跳躍が後に見える。
この空間で捕食の地図を展開した。
「弱点:現在なし。生成中」
同じ表示だ。
住人が現れた。
形を見た。巨大だ——いや、大きさが確定していない。物理法則が変動するたびに、住人の体積が変わって見える。重力方向が変わると、住人の密度分布が変わる。光速が変わると、見えている姿が過去の状態だったり未来の状態だったりする。
どこが弱点か——捕食の地図が答えを出せない理由がわかった。
この住人には、構造上の弱点が「まだない」のだ。
存在として未完成だ。この世界線に落ちてきた概念体が、この物理法則が変動する空間の中で「今まさに形を固めようとしている」段階にある。弱点は、形が固まった後に生まれる。今はまだ固まっていない。
「弱点:現在なし。生成中」——生成されつつある、ということだ。
私は少し考えた。
◆第二章「弱点を待つか、作るか」
選択肢は二つある。
一つは、弱点が生成されるまで待つ。住人が形を固めた後、捕食の地図が解体図を展開した段階で討伐する。確実だが時間がかかる。
もう一つは、弱点を「今作る」。
この裏クラス能力を今まで意識して使ったことはなかった。正確には、「弱点の創造的発見」は「弱点がない存在に対して、戦いながら弱点を発見していく」という能力だ——しかし、今日の住人には弱点が「まだない」。発見するものがない。
ならば——発見ではなく「確定」させるとしたら。
戦いながら、住人の形が固まっていく方向に干渉する。住人が形を選ぶ前に、私が「この形で固まるべきだ」という方向性を与える。住人の構造形成に介入して、私が攻略できる形に誘導する。
弱点を発見するのではなく、弱点が生まれる過程に介入して弱点を産む。
これは「弱点の創造的発見」の範囲に入るか——判断した。入る。「発見」と「創造」は、今日のこの相手に対しては同義だ。
住人に向かった。
◆第三章「介入と形成」
住人が動いた。
物理法則が変動する空間では、住人の動きも変動する。左に動こうとした結果、重力が変わって上に上がる。その上がった位置で、光速の変化によって動きが遅延して見える。
通常の回避計算が機能しない。
私は回避計算を切った。
代わりに、物理法則の変動パターンを読んだ。1秒ごとの変動には規則性がある——完全ランダムではない。変動の背後に、この世界線が崩壊する前の物理法則の残像がある。残像のパターンから、次の変動方向を推定できる。
推定して、先に動いた。
住人の動きが変動によって変わる前に、私はすでに次の位置にいた。
同時に——住人の構造に触れた。
触れた瞬間、住人の形成過程が私の指先に伝わった。今まさに構造が決まろうとしている。無数の可能性の中から、住人自身の意志と環境が一つの形を選ぼうとしている。
私は介入した。
具体的には——住人の核になりえる部分に、解体図上の「弱点になる構造」を外側から刻んだ。核の候補が複数あった。そのうち、私が断ちやすい位置と角度にある候補に、微弱な魔力で「ここが核だ」という方向性を与えた。
住人の形成が、その方向に引っ張られた。
完全に制御はできない。でも——方向性を与えることができた。
◆第四章「弱点が生まれた」
3分かかった。
住人が形を固めた。
捕食の地図の表示が変わった。
「弱点:左翼状突起の内部、核密度の最大点」
生成された。
私が介入した方向に近い。完全に一致してはいないが、断ちやすい角度に核が来た。
幻影剣を生成した。
全流派のエンチャントを乗せた。螺旋衝の気を上乗せした。
左翼状突起に向けて踏み込んだ。
住人が防御しようとした——物理法則が変動した。私の踏み込みの推進力の方向が変わった。
推定していた。変動のパターンから、今の変動を予測していた。
変動方向に踏み込みの角度を合わせていた。結果として、変動が推進力を増幅させた。
剣が届いた。
核密度の最大点に刺さった。
住人の形が、内側から崩れた。形成途中だった構造が、核を失って散逸した。
静寂が戻った。
◆第五章「弱点が全宇宙に書き込まれた」
解体を始めた。
散逸した住人の素材を回収しながら、捕食の地図の情報を確認した。
「形成完了直後の解体。素材の品質:最高。形成が完了した直後は構造が最も純粋な状態にある。食材適性:極めて高い。この種の個体の標準食材適性を10とした場合、今日の個体の適性は317」
良い素材だ。
圧縮して保管した。
記録帳を開いた。書こうとして、捕食の地図がまだ情報を出力していることに気づいた。
続きが来た。
「注意:今日の弱点は、この種の個体に対して「外側から与えた弱点」だ。この弱点は今日この個体の核に刻まれたが——核が形成される過程で弱点が因果に登録された。登録された弱点は「この種の個体が持つ弱点」として多元宇宙の因果記録に書き込まれた。今後、この種の個体が形成される際に、今日私が作った弱点が優先的に現れる確率が有意に上昇した」
私は数秒、その情報を見た。
「この種の個体の希少価値:今日以前と比較して大幅に低下。弱点を持つ種は討伐が容易になるため、多元宇宙全体での個体数が減少する見込み」
つまり——今日私が弱点を作ったことで、多元宇宙全体でこの種が弱くなった。
討伐は成功した。食材の品質は史上最高だった。
しかし今後、この種が大量に討伐されやすくなる。食材としての希少価値が下がる。私が今日作った弱点が、私以外の全員に共有された。
今日の縛りは「縛りなし」だった。
縛りはなかったから失敗はない。
ただ——今日の討伐が何かを変えた。記録帳に書いた。
「第91層。縛りなし。達成。弱点を外側から形成して討伐。食材品質:317。特記:今日作った弱点が因果に登録された。この種の希少価値が今日以降低下する。私が食材の価値を下げた。記録しておく」
書いた。閉じた。
◆後記
帰還後の廊下で、瑠倫がいた。
雲の上の茶室から降りてきたらしい。珍しいことだ。
「……初めて時間がかかったのう」と瑠倫が言った。茶を一口飲んだ。「今日は何があったのじゃ」
「弱点がない敵だった」
「ほほう」と瑠倫が言った。「弱点がなければ作ればいい——と思ったか?」
「そうした」
「フォッフォッ」と瑠倫が笑った。「よしよし。それで?」
「作った弱点が多元宇宙の因果に書き込まれた」
瑠倫が茶を持ったまま少し止まった。
「……食材の価値が下がったか」
「そうなる」
「フォッフォッ」とまた笑った。今度は少し違う笑い方だった。「前が広い、とはそういうことかもしれんのう」
「……どういう意味だ」
「作ったものが残る。意図した範囲の外まで届く」と瑠倫はゆっくり言った。「それが広さというものじゃ。摩天には、まだわからんかもしれんが」
私はその言葉を頭に置いた。
「わからない」と言った。「記録しておく」
「よしよし」と瑠倫が言って、また茶を飲んだ。
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帰還後、記録帳に追記した。
「消費魔力:通常の弱点あり討伐と比較して23%減。縛りがない状態で弱点形成まで待機した分の消費が予測より低い。計算誤差の可能性がある。記録のみ」
誤差かもしれない。
でも記録した。
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◇クルー視点モノローグ——瑠倫
記録:第91層帰還後の廊下。フォッフォッ観察ログへの追記。
今日の摩天ちゃんは、いつもより時間がかかった。
わらわはずっと見ておった。扉越しに。時空遊泳を少しだけ使えば、扉の向こうも見える。わらわが観察した存在の座標は永続して感知できるから、どこにいても摩天ちゃんの様子はわかる。
弱点がない相手に、弱点を作った。
それ自体はよい。面白いことじゃ。
ただ——その弱点が因果に書き込まれた、ということを、摩天ちゃんは「食材の価値が下がった」という意味でだけ記録した。
わらわはもう少し別の意味で見ておる。
摩天ちゃんが作ったものが、摩天ちゃんの意図を超えて多元宇宙に広がった。
これはぱんでむの中でものを作ることに慣れた者には、なかなか起きない体験じゃ。ダンジョンの中のことはダンジョンの中で完結する——そう思っておる者には、外に出ていった感触がない。
でも今日のは、外に出た。
摩天ちゃんは「記録しておく」と言った。
それで十分じゃ。今日は。
あと——消費魔力が23%低かった、という記録。
わらわは見ておった。戦闘中、摩天ちゃんの体内で何かが補われるように動いておった。外からでは詳しくはわからん。
でも、今日の縛りはなかった。縛りがない日の補填は小さい。
次に縛りが厳しい日に、同じことが起きたとしたら——数字は今日とは桁が違うじゃろう。
フォッフォッ。
まあ、摩天ちゃんが気づくまでは言わんでおこう。気づいた時が一番面白いから。
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