表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/13

第8話「第85層、何もさせない縛り」


──────────────────


 今日の縛りはこうだ。


 「魔物に何もさせない」。


 一切の行動を封じる。攻撃を許さない。移動を許さない。反応すら許さない。捕食の地図が解体図を示した瞬間から始末が終わるまで、魔物の側に何も起こさせない——それが今日の条件だ。


 縛りの設計意図は明快だ。完全制御とは何かを確認したい。通常の戦闘では「効率的に倒す」が目標だが、今日は「相手に何もさせないこと」が目標だ。この二つは似ているようで全く別の達成条件を持つ。


 記録帳に条件を書いた。


 「第85層・魔物に何もさせない縛り。条件:解体図展開から撃破完了まで、魔物側に一切の行動・抵抗・反応を発生させないこと。一瞬の抵抗でも縛り失敗とする」


 書いた。閉じた。


 扉に手をかけた。


──────────────────


◆第一章「設計」


 第85層の扉を開く前に、私は立ち止まった。


 三分かけた。


 今日の住人の種別は確認済みだ。第85層には群生型の概念獣が発生する。単体では脆弱だが数が桁違いに多い。今日の個体数を扉越しに捕食の地図で測定した。


 207,438体。


 全体に同時に「何もさせない」縛りを適用する。一体でも行動を起こした時点で失敗だ。


 「何もさせない」縛りは、突入前の設計が全てだ。入ってから考えていては遅い——相手が行動する前に全てが終わっていなければいけない。そのためには「相手が行動を起こす前の時点で、因果上すでに終わっている状態」を20万体分同時に作る必要がある。


 具体的には以下の順序で動く。


 まず——扉越しの事前展開で全個体の座標を確定する。207,438体全ての位置を捕食の地図に登録する。解体図が個体ごとに異なる核の位置を持つため、全個体分の解体図を同時視野に展開する。これだけで通常の完全強化モード消費の数十倍の魔力を要する。


 次に——突入の瞬間に「因果律介入:封鎖」を全個体に同時展開する。207,438体全ての「行動しようとする」意志から行動への因果の連鎖を同時に断ち切る。一体でも漏れれば失敗だ。


 さらに——「現象固定」を空間全体に展開する。第85層の全域の変化を一時停止させる。207,438体全ての筋繊維の収縮も、魔力の生成も、空気の流れも、全部止める。止めた状態の空間の中で、私だけが動く。


 最後に——固定を解除する直前、「即死の印刻」を全個体の核に同時に書き込む。207,438体分の死亡を確定事象として因果に同時記録する。固定解除と同時に、全ての死亡が現実化する。


 物理封鎖・意志遮断・現象固定・因果確定。四重の閉鎖系だ。全個体に同時適用。


 この設計に隙間はない。隙間のある設計は設計と呼ばない。


 扉を開けた。


◆第二章「展開」


 突入した。


 捕食の地図が全個体の座標を即座に確定した。


 207,438体。事前測定との誤差は3体だった——扉を開いた0.2秒の間に3体が位置を変えていた。0.07秒で修正した。全個体の解体図が視野に同時展開された。数十万の解体図が重なった状態で視野に浮かぶ。通常の解体図展開とは比較にならない密度だ。それでも全て識別できる。


 「因果律介入:封鎖」を全個体に同時展開した。


 207,438本の楔を同時に打った。全個体の意志から行動への因果の連鎖を、同時に断ち切った。


 「現象固定」を第85層全域に展開した。


 空間が止まった。


 207,438体全ての動きが止まった。まだ動き出す前に止まった。筋繊維の収縮が始まる0.001秒前に止まった。全ての魔力の生成が止まった。空気の粒子が止まった。私の呼吸は術式の適用外にしてある。私以外の全てが止まった。


 静かだ。


 私は止まった空間の中を歩いた。


 207,438体の間を歩いた。全個体の核の座標を確認した。想定通りの位置にある。


 「即死の印刻」を全個体の核に同時に書き込んだ。


 207,438本の印刻を同時に。


 207,438体全ての死亡が、確定事象として因果に記録された。


 現象固定を解除するカウントに入った。


 3。


 2。


 1。


◆第三章「0.0001秒」


 固定を解除した。


 その瞬間——207,438体のうちの一体が動いた。


 0.0001秒だった。


 腕ではなかった。脚でもなかった。魔法でもなかった。


 207,438体のうちの一体、その存在そのものが、0.0001秒だけ「抵抗した」。


 説明が難しい。


 「因果律介入:封鎖」は207,438本全ての楔を同時に打った。「現象固定」は第85層全域の全ての変化を止めた。「即死の印刻」は207,438体全ての死亡を確定したはずだ。


 にもかかわらず——207,438体のうちの一体だけが、固定が解除された瞬間、死亡が現実化する直前の0.0001秒の間に「ある」と主張した。物理的な行動ではない。魔力の放出でもない。ただ——「私はここにいた」という事実が、0.0001秒だけ現実に刻まれた。


 その直後に「即死の印刻」が実行されて、207,438体全てが消滅した。


 静寂が戻った。


 私は0.0001秒の意味を計算した。


 物理的な確率では発生し得ない。「因果律介入:封鎖」の制御精度は207,438本全てに対して均一だ。「現象固定」に漏れはなかった。「即死の印刻」は書き込んだ時点で死亡が確定している——207,438体全てに。


 207,438体のうちの一体が。


 それでも起きた。


 私の設計の外から来た何かが、207,438分の1に対してだけ、0.0001秒の「在った」を許した。


 これは縛りの失敗だ。


◆第四章「物証」


 解体を進めた。


 消滅した住人の跡に、三種の時間軸素材が残っていた。回収した。


 記録帳を開いた。


 「第85層・魔物に何もさせない縛り。未達成。対象:207,438体。因果律介入:封鎖(207,438本同時)、現象固定(第85層全域)、即死の印刻(207,438体同時)の全てを適用した状態で固定解除を実施。固定解除の瞬間、207,438体のうちの一体が0.0001秒間の存在主張を行った。物理的行動・魔法・意志発動の全てを封じた条件下における抵抗であり、因果律制御の適用範囲を超えた事象と判断する。縛りの条件『一体も含め、一切の行動・抵抗・反応を発生させないこと』は達成されなかった。失敗」


 書いた。


 閉じた。


 帰還した。


◆第五章「廊下にいた」


 扉を出た廊下に、ニ諦がいた。


 壁際に立っていた。包み紙を手に持っていた。折りたたんだ状態だった——広げていなかった。


 ニ諦は私を見た。


 何も言わなかった。


 私もしばらく何も言わなかった。


 「……知っていたか」と私は聞いた。


 ニ諦が少し間を置いた。


 「……はい」とニ諦は言った。「今日の潜行が失敗すると、出ていました」


 「事前に告げなかった理由は」


 ニ諦がまた間を置いた。


 今度は長かった。


 「……今日の包み紙に出たものが」とニ諦は言った。「通常の失敗ではありませんでした」


 「どういう意味だ」


 「……私の未来視が読めるのは、確率の範囲内の出来事です」とニ諦は言った。「何%の確率でバッドエンドが来る、という形で見えます。今日の摩天ちゃんの失敗は——確率で読めないものでした」


 私は少し止まった。


 「確率ゼロの事象が、見えた」


 「……そうではなくて」とニ諦は言った。静かな声だった。でも微かに何かが含まれていた。「確率がゼロのものは私には見えません。ゼロは存在しないから、読む対象がない。でも今日は——確率の外側にある何かが、見えました。確率で語れないもの。起きるかどうかではなく、起きるという事実だけがそこにあるもの」


 「運命の強制上書きだ」と私は言った。


 「……そう呼ぶのが正確かもしれません」とニ諦は言った。「告げなかったのは——その事象が介入不可能だとわかったからです」


 「介入不可能」


 「……確率の範囲内の事象なら、告げることで確率が変わる可能性がある。以前、一度だけそれで外れたことがある。でも今日見えたものは確率の話ではありませんでした。確率ゼロの外にある事象に、告げることは何も意味しない。縛りを変えても、来る。設計を変えても、来る。告げることは——ただ摩天ちゃんにそれを知らせて潜らせるだけで、何も変わらない」


 静かな声だった。


 「……それがわかって、黙っていました」とニ諦は言った。


 私は少し考えた。


 「お前の判断は正しかった」と言った。


 「……告げても変わらなかったから、ということですか」


 「そうだ」と私は言った。「今日起きたことがそれを証明した」


 ニ諦が黙った。


 「……今日起きたことを」とニ諦はゆっくり言った。「摩天ちゃんはどう解釈しましたか。0.0001秒の話を」


 「因果律制御の外から来た何かが、住人に0.0001秒の存在を許した」と私は言った。「私の設計に問題はなかった。三重封鎖は全て機能した。それでも起きた。設計の外から来たものは設計では防げない」


 「……悔しいですか」


 「縛り失敗は悔しい」と私は言った。「0.0001秒を防げなかったことは悔しい。ただ——」


 少し間を置いた。


 「次の設計に向けて考えることがある。設計の外から来るものを、設計の内側に組み込む方法を考える必要がある。今日の失敗はその問いを明確にした」


 ニ諦が長い間黙った。


 「……摩天ちゃん」とニ諦は言った。「0.0001秒です。それも失敗として切り捨てるんですか」


 「そうだ」と私は言った。


 ニ諦がまた黙った。


 「……すごい」と言った。


 感情を乗せない声だった。でも今日一日ニ諦が一人で何かを抱えていたことと、その言葉の間に、何かがあると思った。


 「今日のことを」と私は言った。「お前の記録帳に書いておいてくれ。確率の外側のものが見えた日として」


 「……書きます」とニ諦は言った。


 「もう一つ」


 「……何ですか」


 「今日黙っていたことは正しかったと、私は思っている。次も同じ状況になったら、同じようにしてくれていい。ただ——悔しかったなら、帰ってきた時に言えばいい」


 ニ諦が少し止まった。


 「……言っていいんですか」


 「聞く」と私は言った。


 ニ諦がしばらく黙った。


 「……悔しかったです」と静かに言った。「見えているのに告げられなかったことが」


 「わかった」と私は言った。「記録帳に書いておく」


 ニ諦が包み紙を少し握り直した。


 それ以上は何も言わなかった。


 私は廊下を歩いた。


◆後記:記録帳の追記


 「帰還後、ニ諦と会話。今日の207,438体のうちの一体のレジストを朝の時点で予知していた。通常の確率予測の外側にある事象——207,438分の1に運命の強制上書きが来るという事実を、朝の包み紙で見ていた。介入不可能と判断して告げなかったとのこと。判断は正しかった。今日の縛り失敗は記録帳上で失敗だ。次の設計は設計の外から来るものを組み込む方向で考える。前が広い」


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——ニ諦

記録:第85層帰還後の廊下。


 今日の朝、包み紙に出た。


 確率ではなかった。


 私の未来視は確率を読む。このバッドエンドが何%で来るか、という形で見える。確率ゼロのものは存在しないから読めない——それが私の能力の前提だった。


 今日見えたものは確率ではなかった。


 「起きる」という事実だけがそこにあった。数字ではなかった。可能性ではなかった。ただ、それが起きるという事実が、包み紙の上にあった。


 内容はこうだった。


 207,438体のうちの一体が、0.0001秒だけ抵抗する。


 一体だ。207,438分の1だ。


 介入不可能な事象というものがある。確率の話であれば、告げることで確率が動く可能性がある。以前一度だけそれで外れた。だから告げることには意味があると思ってきた。


 でも今日のものは違った。確率の外側にある事象に、告げることは何も意味しない。縛りを変えても来る。設計を変えても来る。207,438体のうちの一体に、207,438分の1に、運命の強制上書きが来ると決まっていた。


 それがわかったから告げなかった。


 摩天ちゃんが帰ってきた。


 「207,438体。全てに四重封鎖を適用した。そのうちの一体が0.0001秒だけ存在を主張した。失敗だ」と言った。


 記録帳に書いた。


 私は今朝の時点でそれを知っていた。


 207,438体に対して因果律介入と現象固定と即死の印刻を全部同時に使って、207,438分の1が0.0001秒だけ抵抗して、それを失敗として切り捨てた。


 正直に言う。


 包み紙に出た時から、今この瞬間まで、何も言えなかった。


 告げても変わらなかった。でも——207,438分の1の、0.0001秒のことを、一日中一人で持っていた。


 「判断は正しかった」と言われた。「悔しかったなら言えばいい」と言われた。


 悔しかった、と言えた。


 それで少し、楽になった。


 明日の包み紙はまだたたんである。


 広げるのが少し怖い。でも広げる。それが私の仕事だから。


──────────────────


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ