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第1話「第21層、今日の縛りは魔力1%以下」


──────────────────


 今日の縛りは「魔力出力、全体の1%以下」。

 対象層は第21層。

 タイムアタックなし。今日は確認だ。


 上限を削って何が残るか。それを知りたかった。


 理由は特にない。

 強いて言えば——1%で潜れないなら、その先の話をしても意味がない。そういう判断だ。


 私は記録帳に今日の条件を書いた。走り書きだ。後で読み返せる程度には書く。


 冷蔵庫の裏の扉に手をかけた。


 前衛、準備よし。


──────────────────


◆第一章「音のない惑星」


 第21層の扉を開いた瞬間、空気がなかった。


 正確には——あった空気が、扉の向こうにはなかった。

 真空だ。大気圧ゼロの惑星表面。nの次元の深さがこの層に刻みこんだ世界線の残骸——そこはかつて、全大気を剥奪されて終わった惑星の断片だった。


 音が伝わらない。

 血が出れば真空に沸騰する。

 足元は灰色の地面で、地平線が緩く湾曲している。惑星の曲率がそのまま残っている。空は黒い。星が見える。正確には、光がある。ただし音がない。


 私は一歩、踏み出した。


 呼吸を止める魔術は使わない。今日は禁止ではないが、それに魔力を割く気がない。

 代わりに——酸素を体内で循環させる術式を一本だけ通した。これは「呼吸魔術」ではない。「循環魔術」だ。カテゴリが違う。縛りの範囲内と判断した。

 どこで線を引くかは、自分で決める。それがこの縛りの面白いところだ。


 魔力の消費量を確認した。全体の0.04%。問題ない。残り0.96%。


 捕食の地図が、視野の端で静かに展開を始めた。


 

◆第二章「解体図と外骨格」


 第21層の住人が、地面の向こうから現れた。


 大きい。

 全長はおよそ70メートル。外骨格型だ——全身が装甲板のように重なった硬質の殻で覆われていて、関節部分だけが薄くなっている。六本足。頭部に相当する部位が前方に突き出ていて、そこに複眼がある。複眼の数は十二。視野が360度近い。


 音がない世界で生きているから、聴覚器官はない。その代わりに——圧力センサーが全身に分布している。地面の振動。気圧の変化。空気の動き。音のない世界で、それらを感知して動く。


 剣の風切り音すら感知する、と捕食の地図が言っている。

 正確には「剣が動く時に生じる微細な気圧変動を感知する」。

 音がないから静かになれるとは限らない。動くこと自体が、この環境では「音」になる。


 解体図が視野に重なった。


 外殻の応力集中点が七か所、赤く浮かぶ。

 一番大きいのは頭部後方の接合部——殻と殻が最も薄く重なる場所だ。ここに適切な角度で力を加えれば、殻全体に亀裂が走る。亀裂が走れば、内部の気圧と外部の真空圧が逆転して、内側から爆ぜる。


 見事な設計だ。と思った。

 どの世界線がこれを作ったのかはわからないが、真空環境に適応した生き物の骨格として、これ以上のものはそうそうない。


 食材として、悪くない。


 問題は、1%の魔力で頭部後方に届くかどうかだ。


 私はその問いを一秒で処理した。届く。ただし——一発で仕留めないといけない。

 二発目を撃つ魔力が残らない可能性がある。


 

◆第三章「1%の剣」


 魔力を整理した。


 全体の1%のうち、循環魔術に0.04%。

 残り0.96%を何に使うか。


 幻影剣の生成に0.3%。

 強化魔法のエンチャントに0.2%。

 短距離テレポートのために0.3%を保留。

 残りの0.16%が予備。


 紙一重だ。


 通常時なら——完全強化モードを展開した段階で、魔力消費の計算など意味をなさない。リジェネが魔力も同時に回復するから、使いながら回復するループが成立する。消費の心配をしたことがほとんどない。


 1%縛りの場合、リジェネを起動する魔力がない。循環魔術と剣と移動で全部使い果たす。


 これが確認したかったことだ。魔力がなくなったら、私に何が残るか。


 剣だけ残る。


 私は幻影剣を生成した。魔力0.3%。白銀の刃が手の中に収まった。通常の一割以下の密度だ。刃の厚みが薄い。でも刃はある。


 エンチャントを乗せた。強化魔法0.2%。刃が微かに輝く。通常の乗算倍率とは比べ物にならないが、真空環境では物理的な破壊力より精度の方が重要だ。


 外骨格型が動いた。

 地面の振動を感知したのだろう。六本足が方向を変えた。複眼十二が私を向く。


 私はその瞬間を待っていた。


 正面を向いた——ということは、頭部後方が「後ろ」になった。


 短距離テレポートを発動した。魔力0.3%消費。

 位置が変わった。背後、距離5メートル。

 音はない。振動もない。気圧変化だけが走る。


 解体図が言う通りの角度で剣を構えた。

 頭部後方接合部、やや左。殻の最薄部に対して斜め17度。


 1%の剣で外骨格を割れるか。


 通常の強化なら「隕石が素手で割れる」水準だ。

 1%縛りなら——「通常の人間の、少し強い程度」になる。


 だから位置と角度で補う。

 力がなければ、精度を上げればいい。

 それだけだ。


 一息。


 剣を打ち込んだ。


 

◆第四章「内側から」


 刃が接合部に届いた瞬間、音は聞こえなかった。

 音のない世界だから当然だ。

 でも——地面が振動した。


 亀裂が走った。

 解体図の通り、頭部後方から全身の殻に向かって。放射状に。均等に。


 そこから先は早かった。


 真空圧が勝った。

 内部に閉じ込められていた微量の気体——生命活動が産生した代謝ガスが——亀裂から一気に噴出した。外殻が内圧差に耐えられず、順番に剥がれ落ちた。

 外骨格型は、内側から静かに解体された。


 音はなかった。

 ただ、地面に大きなものが倒れる振動だけがあった。


 私はその場に立っていた。


 魔力残量を確認した。0.12%。予備の0.16%より少し使った。循環魔術を維持し続けたのと、テレポート後の姿勢制御に少し使ったからだ。


 問題ない。


 倒れた外骨格型に近づいた。

 捕食の地図が、今度は「解体の最適順序」を示す。どこから切り取れば食材として最良の状態で持ち帰れるか。外殻の内側、背甲板の裏側に——白い組織がある。高密度タンパク質だ。真空環境に適応した生体の、最も凝縮された部位。


 私は剣を逆手に持ち替えて、背甲板を慎重に剥がした。

 魔力はもう使わない。純粋に手作業で。


 白い組織を切り取った。両手で抱えられるくらいの大きさ。

 重い。密度が高い証拠だ。


 においを確認した——といっても、真空の中でにおいは届かない。帰ってから確認する。


 食材として良い層だ。第21層。

 また来る価値がある。


 私は来た道を戻り始めた。


 

◆第五章「記録と、少し残った考え」


 扉を抜けた。

 空気が戻った。においが戻った。


 まず深呼吸した。

 循環魔術を解除した。魔力消費が止まった。残量0.08%。


 記録帳を開いた。


 「第21層・魔力1%縛り。達成。消費量:0.92%。外骨格型食材一体。回収部位:背甲白組織、推定重量8kg。特記:テレポート後の気圧変動を相手が感知するリスクあり。次回は接近ルートを変える」


 書いた。閉じた。


 食材を冷蔵庫に収めた。収める前に、もう一度においを確認した。

 海のにおいに似ている。深い、冷たい、古いにおい。その世界線にはかつて海があったのかもしれない。


 私はしばらく、冷蔵庫の前に立っていた。


 1%で潜れた。

 それは確認できた。


 では0.5%なら。0.1%なら。

 あるいは、魔力をゼロにして潜ったら——私には何が残るか。


 次の縛りを考えた。


 結論は出なかった。でも考えること自体は、嫌ではない。


──────────────────

◇クルー視点モノローグ——世達

記録:午後2時17分。ギルド支部への報告業務。


 摩天さんが帰ってきた時、私はちょうど近くを通りかかっていた。


 いつも通りだった。白と銀の装い。汚れていない。表情も変わっていない。


 違うのは——持っている食材の大きさだけだ。今日は両腕で抱えているから、おそらく普段より大きい。でも荷物を持っている人間の顔ではない。何か考えている人間の顔だ。


 「摩天さん、今日の収穫ですか」と私は聞いた。


 「そうだ」と摩天さんが言った。


 「縛りありでしたよね。うまくいきましたか」


 「問題なかった」


 摩天さんが少し止まった。


 「……世達」


 「はい」


 「魔力をゼロにして潜ったら、剣だけで戦えると思うか」


 私は少し考えた。


 「……魔力なしで、ですか」


 「そうだ」


 「第21層の外骨格型相手に剣だけで、となると——接合部の構造を事前に把握していれば、原理上は可能ですね。でも判断のための情報を捕食の地図なしで集めるとなると……」


 摩天さんが「そこだ」と言った。「捕食の地図も使わない縛りなら、どうなるか」


 私は少し黙った。


 「……それは、もはやただの人間ですよ」


 「そうだ」と摩天さんが言った。何かを確認したような顔で。「それを確認したい」


 それだけ言って、冷蔵庫の方へ歩いて行った。


 私は見送りながら、そっと手帳に書いた。


 「摩天さん、次の縛りが見つかった模様。残業の予感、現状なし。でも始末書の書き方を予習しておく必要あり(念のため)」


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