番外編2 SS-EX2 最強のドライバー、最恐のドリル
※番外編:ラリー北海道が終わったあとのお話
1
北海道の秋は短い。
ラリー北海道の喧騒が去り、大地が冬支度を始める頃。北海道地区ダートトライアル選手権の最終戦が間近に迫ったある日の午後だった。
陽葵は、講義を終えて桜華女子大のベンチでようやく手に入れた「普通の女子大生の時間」を満喫していた。手元には季節限定のパンプキンラテ。
「……平和。これだよ、これ。私の求めていた日常は」
そう呟いた瞬間、ポケットのスマホが激しく震えた。
通知画面に躍り出たのは、北旺大自動車部の鉄平からのメッセージだった。
『陽葵ちゃん、SOS! 紗季先輩が……先輩がマジでヤバい! 鬼気迫るどころか、もはやガレージに魔王が降臨してるんだ。俺らじゃ近寄ることすらできない。悪いけど、今すぐ来てくれないか!?』
陽葵は天を仰いだ。せっかくのラテが少し冷めた気がした。
「……お洒落なカフェに行きたかっただけなのに、なんで私の連絡先にはラリー屋と整備屋しか登録されてないんだろう」
そうぼやきつつも、陽葵は溜め息をついて立ち上がった。
2
北旺大学の片隅にある自動車部ガレージ。
普段ならインパクトレンチの咆哮やバカ笑いが聞こえてくるはずのそこは、今や氷河期のような静寂に包まれていた。
入り口で鉄平と下級生たちが、まるで野犬を警戒する小動物のように身を寄せ合っている。
「陽葵ちゃん! 来てくれたか!」
「鉄平さん、何があったんですか? 紗季さんの不機嫌はいつものことじゃ……」
「レベルが違うんだよ! 見ろよ、あれを」
鉄平が指差す先、ガレージの奥で、紗季が愛車のエボIIIの前に仁王立ちしていた。
その背中からはドス黒いオーラが立ち昇っているように見える。手には巨大なバール。眉間には、十勝の深い轍よりも深いシワが刻まれていた。
紗季はエボIIIのフロントグリルを睨みつけ、低く、唸るような声で呟いている。
「……っ、……ぬぅ、……許さん……。今日こそ……引導を渡したる……」
陽葵は頬を引きつらせた。
「……確かに、物理的に誰かをボコボコにしそうな雰囲気ですね」
「だろ? 数日前からあんな感じなんだ。麗華さんと何かあったみたいで……。麗華さんが来た時も、紗季先輩、一言も喋らずに顔を背けてさ。あの二人があんなに険悪なの、初めて見たよ」
鉄平の言葉に、陽葵は首を傾げた。
あのラリー北海道で、苦楽を共にした麗華と紗季。喧嘩は日常茶飯事だが、無視し合うような仲ではないはずだ。
その時、ガレージの前にセリカGT-FOURが静かに止まった。
相変わらず隙のない優雅な立ち振る舞いで降りてきた麗華だったが、その表情には少しだけ、困惑の色が混じっている。
「あら、陽葵さんもいらしていたのね」
「麗華さん! あの、紗季さんと何かあったんですか?」
麗華はふぅ、と長い睫毛を伏せて溜め息をついた。
「わたくしも困り果てておりますの。良かれと思って提案したことなのですが、彼女、それ以来わたくしを避けるようになって……。北旺大の誇る『横転女王』も、意外と器が小さくていらっしゃいますのね」
麗華の視線の先には、相変わらずバールを握りしめて「……あぁ、……うぅ……」と呻いている紗季がいる。
3
「……ちょっと、聞いてきます」
陽葵は意を決して、魔王の住処へと足を踏み入れた。
「あの、紗季さん?」
「……ひ、陽葵か……」
紗季が振り返る。その顔を見て、陽葵は息を呑んだ。
普段の鋭い眼光はどこへやら、眼窩は窪み、顔色は土気色。そして何より、右の頬がパンパンに腫れ上がっている。
「紗季さん、その顔……!」
「う、うるさいわ! これは何や、あれや……ダートラの走りすぎでG(重力)が偏っただけや!」
「そんなわけないでしょ! 麗華さんに怒ってるんじゃないんですか?」
「麗華……? 違うわ! あいつは、あいつは悪魔や! あんな恐ろしい場所を笑顔で紹介しよって……!」
紗季がガタガタと震え出した。その時、麗華が背後から静かに近づいてきた。
「紗季さん。まだ意地を張ってらっしゃいますの? 北旺大付属病院の歯科部長はわたくしの知り合いですのよ。最新の治療器具を揃えた、最高に腕の良い先生ですわ」
「は、……歯医者ぁ!?」
鉄平が素っ頓狂な声を上げた。
「先輩……まさか、ただの虫歯?」
その瞬間、紗季のオーラが霧散した。
「……『ただの』とは何や! 麗華の紹介した歯医者のホームページ見たんか!? 『痛くない治療』とか書いてある癖に、トップページの写真がドリルやったんやぞ! あんなもん、板金に使う道具やないか! 人の体に穴開けるとか、正気の沙汰やあらへん!」
ガレージに、深い沈黙が流れた。
時速100キロで森の中を激走し、クラッシュしても「エンジンがかかるなら行け!」と叫ぶ女が、数ミリのドリルに怯えて震えている。
「紗季さん、それで麗華さんを避けてたんですか?」
「……麗華は、『あら、ラリーの恐怖に比べれば愛らしいものですわ』とか言うて笑うんや! 挙句の果てには、『予約は入れておきましたから』やと!? 行けるかあんなもん! ウチは、ウチは自力で治す!」
「バールで抜こうとするのは止めてください!」
陽葵は呆れ果てて叫んだ。
鉄平や他の部員たちは、緊張の糸が切れたようにその場に崩れ落ちている。
4
「紗季さん」
陽葵は、一歩前へ出た。
「ラリー北海道のサービス、あの時、紗季さんは言いましたよね。『四十五分もありゃ、文学の一節くらい書き換えられる』って」
「……それがどうしたんや」
「歯医者の治療なんて、たった十五分です。紗季さんなら、その間に文学を三冊は書き換えられますよ。それに……」
陽葵は麗華の方を見た。
「麗華さんがわざわざ部長先生を紹介したのは、ダートラの最終戦で紗季さんに最高の走りをしてほしいからですよ。歯が痛いままじゃ、路面との対話なんてできないでしょう?」
紗季は腫れ上がった頬を押さえながら、麗華を見た。
麗華は相変わらず澄ました顔で、けれど手元にはしっかりと「北旺大付属病院・歯科診察券」と書かれたカードを握っている。
「……麗華、……本当に痛くないんか?」
「わたくしが嘘をついたことがあって?」
「……いっつも『あと三周でフィニッシュですわ』言うて、五周走らせるやんけ……」
「それはあなたの精神を鍛えるための愛の鞭ですわ」
麗華は微笑みながら、紗季の腕をガッシリと掴んだ。その力強さは、コ・ドライバーとしてドライバーを拘束する時のそれと同じだった。
「さあ、行きましょうか。わたくしもサービスまで……いえ、診察台まで同伴して差し上げますわ」
「……ひ、陽葵ぃ! 助けてぇ! 麗華が、麗華が死神に見えるぅぅ!」
林道で吠える4G63ような悲鳴を上げながら、紗季はお嬢様の強力な牽引によってセリカへと押し込まれていった。
5
静寂が戻ったガレージで、陽葵は残りのパンプキンラテを一口飲んだ。
冷めきっていたが、砂糖の甘さが今の自分には必要だった。
「……林道でもダートラでも、あんなに命知らずな走りをするのに」
鉄平が苦笑しながら、床に転がっていたバールを拾い上げる。
「本当だよ。虫歯一本で学内の治安を悪化させるんだから、勘弁してほしいよな」
陽葵は窓の外、夕暮れの札幌の空を見上げた。
あの二人のことだ。きっと診察室でも、ドリルの音に負けないくらいの掛け合いを演じるのだろう。
呆れるやら、微笑ましいやら。
けれど、そんな不器用な先輩たちが、陽葵は少しだけ誇らしかった。
「……さて。私も帰って、しっかり歯を磨こう」
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桜華女子大自動車部の物語を、ぜひ最後まで見守ってください。




