第155話 些細で楽しいこの瞬間
「そういえば、杉野」
「ん? どうした樫田」
「あの時、椎名がビンタしてなかったらどうしてたんだ?」
そんなことを聞いてきた。
俺は頭をひねらせて考える。
どうしていたか。難しい話だな。
「別にどうもしない、かな」
樫田は難しい顔をして俺を見ていた。
どうやら説明不足だったようだ。俺は補足する。
「いや、もちろん説得しようとはするけど、別に特別何か考えていたわけじゃないし、必要だと思ったことを言うだけかなって」
「……それを、どうもしないって言えるお前はやっぱり大物だな」
「どういう意味だよ?」
「別に、深い意味はないさ」
そう言って樫田は笑った。
俺は少し気になったが、それ以上に気になっていたことを言及した。
「そう言うけどさ、樫田が進行役買ってくれた時は助かったわ」
「まぁ、俺の役割だからな」
「違うだろ。あれ、自分を殺したんだろ?」
俺の言葉に、樫田は驚いたように目を見開いた。
やっぱりか。
「たぶん、樫田が話し合いに参加してたら、どっち側にもつかず公平な立場で物言ったと思う。それが悪いわけじゃないけど、それじゃあきっと山路の感情は引き出せなかった。だから託してくれたんだろ?」
「ま、そういうことにしとくわ」
「かっこつけんなって」
俺の言葉に樫田は笑った。
丁度その時、トイレに行っていた大槻と山路が戻ってきた。
「おいーす。待たせた」
「じゃあ、行こうか―」
「おう、行こう行こう」
俺たちは駅を背にして歩き出す。
日の沈み始めたこの時間帯は頬に当たる風が涼しく、過ごしやすかった。
ラーメン屋に向かいながら、大槻がどこか楽しげに話す。
「いやー、土曜日のこの時間まで部活すると、大会前って感じがしてきたな」
「だねー。まぁ、午前中は話し合いだったけどねー」
「お前がそれ言うか。だいぶ吹っ切れてんな」
「まぁねー」
「いいじゃないか。今日は山路が奢ってくれるらしいし」
樫田も愉快そうに話に入る。
二人とも、山路が残ることがよほどうれしいのだろう。
「まぁ、迷惑かけたしねー。これぐらいはねー」
「なんか、悪いな」
「いいよいいよ―。気にしないで杉野―」
俺の言葉に山路は笑顔で答える。
部活終わりに、ある種のケジメをつけたいと言っていたし、無下にも出来なかった。
「先輩たちも来ればよかったんだけどねー」
「津田先輩も木崎先輩も、今度なって言ってたな。樫田、何か知ってる?」
「さーな。春大会前だし、三年だけで話したいこととかあるんだろ」
大槻の質問を、どこかテキトーに答える樫田。
そんな話をしていたら、すぐに辿り着いた。
津田先輩と木崎先輩に相談に乗ってもらったラーメン屋。
中に入ると前回同様、券売機でラーメンを選んだ。
山路にごちそうになり、それぞれ決めると隅の方にあるテーブル席に座った。
食券を店員さんが確認して、持って行く。
ラーメンを待っていると、大槻がぼそっと呟いた。
「なんか、あの時を思い出すな……」
「あー、あれからまだ一ヶ月ぐらいだっけー?」
「言われると、まだ一ヶ月なのかって思うな」
「なんか、そんな感じしないな」
みんなしてゴールデンウィークのあの事を思い返した。
そういえば、あの時も最後この四人でラーメン食べたっけ。
同じことを思ったのか、大槻が呆れたようだった。
「失恋の度に、ラーメンだな」
「だねー。次はどっちかなー」
向かいにいる山路が俺と樫田を交互に見てくる。
何でちょっと煽ってんだよ。
「俺的にはどちらであっても、もう腹いっぱいだ」
「「「確かに……」」」
横にいる樫田の一言に、俺たちは納得してしまった。
そうこうしていると、ラーメンがやってきた。
煮干し系のいい匂いが鼻をつく。
俺たちは誰となく、声を合わせる。
『いただきます』
勢いよく食べ始める。
食べながら、話は次の議題に移った。
「そういえば樫田ー、一年生たちの進捗はどんな感じー?」
「ん? そうだな……悪くないが、賞を狙えるかと聞かれたら微妙だな」
「二人とも新人賞難しそうか?」
「池本は難しいだろうし、田島は役どころ的に厳しいかもな」
「そっかー、難しいかー」
「杉野的にはどうなん?」
なぜか大槻が俺に話を振ってきた。
うーん、そうだな。今の感じだと確かに微妙なんだよな。
「まぁ、新人賞は他の高校次第なところもあるけど、それでも今のままじゃ池本は厳しいと思う」
「その心は?」
「たぶん、本番で実力の八割も出せないと思う」
俺の言葉に反論はなかった。
みんな薄々感じていたのかもしれない。
池本はあまりにも場に慣れてなさすぎる。
ましてや、舞台には魔物が棲んでいる。
ここまで目立った失敗がないのも気がかりだ。
樫田も頷き、同意する。
「そうだな。精神面や経験値を考えるとその可能性は高い」
「ま、こればっかりは経験か」
「だねー。これからの立ち稽古で、どこまで慣れるかだねー」
「池本はそうだとして、田島の方はどうなんだ?」
「役どころ的に票が集まらないと思うって感じかな。演技自体は悪くないんだけどな。あと……いや、何でもない」
「なんだよ気になるな」
言葉を濁すと、大槻と山路が俺を見てきた。
言うかどうか迷っていると、樫田が口を開いた。
「本人があまり乗り気じゃないって話だろ」
「まぁ、な……」
「乗り気じゃない?」
「どういうことー?」
「実はな――」
不思議そうにする二人に樫田が、田島の演技のことを説明した。
樫田が言うってことは、それが必要な事なんだろうと俺は黙ってラーメンを啜った。
「マジか、田島あれで手を抜いているってか」
「驚きだねー。そうは見えなかったよー」
「杉野が言うんだから間違いないだろうな」
「なんつーか、目の奥がつまんそうだったんだよ」
俺の言葉に二人は「ふーん」といった感じに頷く。
なんかリアクション薄いな……。
「女子って腹の中で何考えているか分からん生き物だからな」
「だねー。驚きはあったけど意外ではないかなー」
「失恋は人を強くする、か……」
なんか達観している二人と、それを感心するように見る樫田。
え、そういう問題? そう視線で訴える。
「冗談はほどほどにして、実際お前らが動いてないってことは今打つ手はないんだろ?」
「現状様子見だ。さすがに春大会でも手を抜くようだったら考えるけどな」
「問題が尽きないねー」
「どの口が言うんだ」
そうツッコミながら俺は笑った。
三人も笑い、楽しく時が過ぎていった。
気づけば全員ラーメンを食べ終えていた。
『ごちそうさまでした』
手を合わせて俺たちは感謝をする。
椅子の背もたれに体重を預け、一息つく。
満足感を味わっていると樫田が何の気なしに呟く。
「もう、春大会だな」
その一言はどこか哀愁を帯びていた。
色んなことを考えさせられた。
先輩たちとの別れ、後輩たちの初陣。
そして、俺たちの青春の半分が終わるということ。
みんなはどれを考えているだろうか。
それともどれでもない何かを思っているのだろうか。
俺がそう感じていると、大槻が樫田を笑う。
「なんだ樫田、らしくないな」
「俺だって心寂しい時ぐらいあるさ」
「ラーメン食べてー?」
「誰のせいでこんな疲れていると思ってんだ」
「それは言いっこなしだってー」
俺たちはもう一度笑った。
色々と思うことはある。
色々と感慨深いこともある。
だが、それはそれとして。
些細なこの瞬間が、俺は楽しくてしかたなかった。