第154話 戻ってきた日常
「さてと、じゃあそろそろ部活しますか」
山路がやってきて数分後、樫田が少し大きめの声を出した。
その言葉に、みんな話を止めた。
「そうだな。遅れた分取り戻さないとな」
「それは違うぞ、杉野」
樫田が俺の言葉を否定した。
違う? 何が?
きょとんとする俺を樫田は真っ直ぐに見てきた。
「遅れたんじゃない。失ったんだ……だから取り戻すことはない。分かるだろ?」
ああ、そうか。そうだな。
俺はまるで瞳を通じて樫田の考えが入ってくるように、その言葉の意味を理解する。
樫田の言う通りだ。俺達は失った。
たとえこれから先に二倍、三倍の努力をしたところで、それはその時間を精一杯やったにすぎず、この一週間で失ったものは戻らない。
「ああ、その通りだな。すまん」
「部活を再開する前に、みんなにも言っておく。この一週間全く稽古をしてなかったわけじゃないが、俺たちはマイナスからのスタートだと思ってほしい。これは気合を入れさせるためとかじゃなくて、事実として俺たちは時間を失った」
樫田の言葉にみんな聞き入った。
自覚があるから、誰一人として違うとは言わない。
「こっから必死に稽古しても失ったものは戻らない。だが、だからって必死に稽古しない理由にはならない。先輩たちとの最後の劇で、後輩たちの初陣だ。これ以上迷惑はかけられない。だから俺は演出家として、これから情け容赦なくいくから」
全員を見渡しながら、樫田は宣言する。
俺は山路が部活に残ること喜んで、どこか浮かれていたのだろう。
勝って兜の緒を締めよ。なんて言葉があるがその通りだ。
浮いた気持ちを捨てて、気合を入れる。
他のみんなも、それぞれ真剣な表情になった。
それを確認した樫田は少し微笑んだ。
「じゃあ、教室に戻りますか」
――――――――――――――
俺たちが教室戻ると、すでに先輩と後輩たちがいた。
「遅いぞ二年生たち! さあ! 部活の時間だぁぁぁぁ!」
いつも通りの轟先輩が、ハイテンションで動き回っていた。
津田先輩と木崎先輩は楽しそうにそれを見ていて、後輩たちは台本片手に三人で集まっていた。
「樫田ん! どこからやる!?」
「そうですね……じゃあ、五場でもやりますか」
「私出てないじゃん!」
「先輩は後回しです」
「そんにゃ!? 差別だ! 区別だ! ゴミの分別だ!」
もはや意味の分からないことを言う轟先輩。
俺たちはそれぞれ台本をカバンから出したりして準備を始める。
すると、誰かが俺の背中を軽く叩いた。
振り返ると、津田先輩が笑っていた。
「よお、無事終わったみたいだな」
「違いますよ。ここからです」
「なんだ。分かってんじゃん」
津田先輩はそれだけ言うと俺から離れていった。
たぶん、樫田と同じように発破をかけようとしたのだろう。
優しい先輩だ。
「てか、俺たちが話している間、先輩たちは何してたんですか?」
「人狼してた」
「なん……だと……」
遠くで樫田は轟先輩から衝撃の事実を聞いていた。
おー、あの樫田が驚愕している。さすが轟先輩。予想の付かない女だ。
「……アイスブレイクとしてね。大丈夫だよ樫田。ちゃんと練習もしてたから」
「コウ! ネタバレが早いよ!」
木崎先輩が補足すると、樫田は少し安心した。
俺がその輪に入ろうとしたとき、池本がやってきた。
「先輩、お疲れ様です」
「おう池本、お疲れ」
「その……上手くいきましたか?」
小声で池本が聞いてきた。
ああ、心配をかけてしまっていたようだ。
俺は笑顔で答える。
「ああおかげさまで上手くいったよ。相談に乗ってくれてありがとうな」
「いえ! そんな! ……上手くいったなら何よりです」
謙虚に池本は微笑んだ。
そこに、椎名と増倉がやってきた。
「杉野、今度は何を相談しているのかしら?」
「人たらしじゃなくて、女たらしだったの?」
あれれ? 椎名さんなんかご機嫌斜めですか? そして増倉どういう意味だそれ。
謎の窮地に立たされた俺。
「おーい杉野、池本。五場やるからさっさとこーい」
「おう! 今行く!」
「あ、はい!」
樫田に名前を呼ばれた俺たちは逃げるようにその場を離れた。
二人の視線が痛かったが、気にしない。うん、気にしない。
そんなこんなで、ようやく部活が始まるのだった。