第150話 彼を前に情け深い彼女は
徐々に、徐々に空気が重たくなっていく。
それはまるで、山路の正しさを証明しているようで腹が立った。
認めない。認めるわけにはいかない。何しろ山路はまだ――。
「二人が動かないなら、次私でいい?」
増倉が樫田に確認を取る。
大槻は未だに動かない。
そのことに少しの不安を覚えながらも、俺は樫田に向かって頷いた。
それを見て樫田は頷く。
「ああ、構わないようだ。頼む」
「ありがと」
素っ気なく礼を言うと、増倉は山路の方を向いた。
ここからだ。増倉の話す内容次第で俺のすべきことが変わる。
じっと増倉の一手を見守る。
「山路の覚悟は分かった。でも私はそれを聞いた上で辞めてほしくない」
「……」
増倉が真っ直ぐに言う。
真剣に、丁寧に、想い言葉を。
「私は熱量や度胸がなくても、ここに居ていいと思う。そりゃ二年生になって一年生の時よりは成長してないといけないけどさ。必ずしもみんながそれを持っていないといけないわけじゃない。私たちはお互いに補い合っていけばいいと思う」
それは、増倉だからの言葉だった。
山路の言葉を借りるなら、献身的な情け深さってやつだ。
「それにね。端役なんていないよ……誰が部長になろうとも、私たちはみんな演劇部の一員で、みんなで協力し合ってここまで来たじゃない」
己の利益以上に、集団として楽しむことに重きを置いた言葉。
その言葉はどこか感動的で、どこか劇的。
……だけど反面、陳腐だ。
俺には、そう感じた。
それじゃあ、ただ辞めないでと言っているだけじゃないか。
まだ青春と問うた夏村の方が山路の心に響いていた。
現に山路は表情一つ変えずに、ただただ増倉の言葉を聞いていた。
どういうつもりだ増倉? それじゃあ――。
みんなが不安そうに視線を送るが彼女は変わらずに真っ直ぐ山路を見る。
そして、
「ここまでが、建前かな」
にこっと笑った。
誰もがその言葉の真意を読めずに困惑していると、増倉はちらっと樫田を見る。
「樫田。この話し合い、嘘はなしなんだよね?」
「ん、ああ……そうだが」
「分かった。だから、ここからは本当の本気の本心の言葉だから」
そのけったいな物言いに誰もが身構えた。
完全に場の主体は増倉になっていた。
次の瞬間、彼女は吠えた。
「ふざけんな! 私は辞めるなんて認めない!」
その叫びは教室中に響き渡った。
俺の全身が震えた。きっとみんなもだろう。
誰もが唖然としていると増倉が続ける。
「認めない! だってそうでしょ! オーディション終わってこれからって時に、辞めますって言って! はいそうですかとはならないでしょ!」
「いや、だからこうして話し合って……」
「ならどうして! 山路はそんなに冷静なの!」
「っ!」
増倉が一歩、山路との距離を詰める。
その勢いに気圧されたのか、山路は表情を歪ませる。
「佐恵に青春を問われたときも! 香奈に本音を聞かれたときも! ずっとずっと悟ったように諦観してさ!」
「いや! そんなつもりはない!」
また一歩、一歩と増倉が山路に近づく。
その迫力に負けじと声を上げる山路。
「いいや! そんなことある! 今日の山路はどこか冷めている!」
その一言が図星だったのか、山路は額に冷や汗をかいていた。
ついに増倉は手を伸ばせば山路に届く距離に着く。
「本当に言いたいことはそれだけなの? 本気でぶつかってきているの? 本心から叫んでいるの?」
「……」
増倉の投げかけに山路には顔をそらした。
それが一つの答えだった。
「ねぇ山路。ここで感情を出さないと、もう私たちとぶつかることもできなくなるんだよ…………」
最後に、増倉は弱弱しくそう呟いた。
俺からはその表情は見えなかった。ただ、対面している山路は苦しそうな顔をしていた。
増倉の肩が小さく震える。ひょっとしたら泣いているのかもしれない。
「僕は……」
山路の口からそれ以上の言葉はなかった。
……そうか。まだ本当のこと言ってくれないんだな。
怒りと悲しみが交互に襲ってきて、俺は一人静かに拳を握った。
悲憤に囚われないように小さく細く呼吸をする。
ここからは俺の番だ。
まず大槻が動かないかを視線だけで確認する。
俺は次に樫田に視線を送る。すぐに目が合った。
頷くと、小さく頷き返してくれた。
伝わったのを確信すると一歩、二歩と山路へ歩いてく。
丁度教室の中心に来たところで、俺は山路に話しかけた。
「山路」
「杉野……?」
名前を呼ばれて、山路は困惑している様子だった。
俺はじっと見つめる。
そして動揺している山路の心に、土足で入り込む。
そのための言葉を、俺はゆっくりと言う。
「山路。お前まだ隠していることがあるだろ?」