第132話 本能的感情
「腹を割る? どういうことだ?」
みんなの疑問を大槻が聞いてきた。
落ち着け俺よ。ここからだ。
「喧嘩したのは、二人だけの問題じゃないんだろ?」
俺は増倉へ視線を送り、できるだけ優しく尋ねた。
増倉は一瞬、驚いた表情してから目をそらした。
ああ、やっぱりそうなんだな。
確信を抱いていると、夏村が怪訝そうな顔をした。
「どういうこと?」
「ああ、増倉はな――」
「待て杉野」
説明しようとした俺を樫田が止めた。
樫田は増倉の様子をうかがいながら言う。
「そこからは、増倉に説明させてやれ」
「樫田……そうだな」
俺は樫田の言葉に賛同した。
きっと彼は分かっている。俺よりも多くのことを理解して、計算している。
それでもこの場で一歩引いているのは、たぶん――。
そこで思考を止める。今考えないといけないのはそれじゃない。
再び、増倉の方を見る。
「…………」
沈黙を貫く彼女の表情は、不安に満ちていた。
少しだけ胸が痛む。だが俺はゆっくりと増倉に話しかけた。
「なぁ、増倉。不機嫌だった理由、ちゃんとあるんだろ? 説明してくれないか?」
「でも」
「大丈夫。それが悲しみでも怒りでも、俺達は話し合うところから始めないとなんだよ」
「杉野……」
増倉は悩む様子を見せた。
俺や樫田に視線を送り、もう言うしかないことを理解する。意を決したように話し出した。
腹の内に抱えた感情を。
「なんでみんな、平然と部活が出来るの…………? だって山路が辞めるんだよ!? 昨日あれだけ悩んで! 話し合っていたのに! それが嘘のように当たり前の日常のふりして! みんなは何も思わないわけ!? 何も感じないわけ!?」
それは叫びというよりも咆哮だった。
獣のような、本能的感情の吐露。
「私は苦しかった……。苦しくて苦しくて…………それで腹が立った。なんでみんな何もなかったのかのように部活しているんだろうって。真剣なのは私だけ? って本気で思った」
「栞、それは違う」
「違う? 違わないよ。みんな楽しそうに部活してたじゃん! 昨日の話し合いは何だったの……!」
夏村が否定するが、増倉は構わずに吠える。
その様子に誰もが心を痛める。だってそれはみんな感じていたことだから。
分かっているんだ。自分たちが平然を装って、虚飾の部活をしていたことぐらい。
「そりゃ……仕方ないだろ」
「なにそれ。じゃあ大槻はこのまま山路が辞めてもいいの!?」
「そんなことは言ってねーよ! けど……けどよ! 部活中に怒ったり悲しんだりして何が変わるんだよ! 何が良くなるんだよ! 俺だって分かってんだよ! このままじゃダメなことぐらい!」
「じゃあなんで!?」
いがみ合う増倉と大槻。
まずい。このままではただの言い争いになってしまう。
俺が話を戻そうと声を発するよりも早く、夏村が動いた。
「二人とも待って」
「佐恵……」
「……」
二人を制すると、夏村は増倉と向き合った。
「栞たちの気持ちは分かった。でも、だからってやっていいことと悪いことはある」
「……部活を台無しにしたことは、ごめんなさい。でも!」
「辛いのは、悲しいのはみんな一緒。それでも私たちは二年生として部活をする義務がある」
「……轟先輩と同じようなこと言うんだね」
「待った! 待ってくれ二人とも!」
俺は話に割って入った。
嫌な予感がしたからだ。これ以上話を進めると取り返しのつかなくなるような気がした。
みんなは黙って俺の次の言葉を待った。
次の一言が話の方向性を持っていくと理解すると、嫌に寒気がした。
それでも俺は出来る限り自然に、虚勢を張りながら言う。
「俺達がしないといけないのは、話し合って反省することだろ。いがみ合って言い争うことじゃない」
「腹を割ろうって言ったのは杉野じゃん」
う。増倉が痛いところを突いてくる。
勢い半分で言ったとは口が裂けても言えない俺は言い訳を考える。
俺が目をそらしていると、樫田が助け舟を出してくれた。
「意見がぶつかってからって相手を攻撃していいわけじゃないだろ」
「そ、そう! そういうこと!」
「それに分かっているはずだ、みんなが同じことを思っているのは…………そろそろ何か言ったらどうだ? 山路?」
そのまま、樫田はずっと黙っている山路に話を振った。
ああ、さすがだ。樫田はしっかりと正しい方向へと話を進めてくれた。
みんなの視線が山路へと集まった。
ここからだ。
俺達が今解決しないといけない問題はやっぱりこれなのだ。
山路はいつもの飄々とした態度ではなく、どこか愁いを帯びているようだった。
「……そうだね。こうなったのは僕が辞めるって言ったからだね」
山路の一言に、教室に静寂が訪れた。誰もがその言葉の重みを感じ取り、次に何を言うべきかを考えていた。
次の瞬間、椎名が口を開いた。
「……それでも、覚悟は変わらないのかしら?」
その言葉が意外だったのか、山路は目を大きく開け、驚いた表情になった。
山路だけじゃない。みんなが意外そうな顔をしていた。
「まさか、椎名からそんなことを言われるなんてね」
「そうね。自分でも意外だと思うわ」
「そっか…………ごめんね。それでも僕の覚悟は変わらないんだ」
山路は力なく笑った。
対して椎名は何も言わず、切ない顔になっていた。
もう見ていられなかった。
思わず、俺は山路のことを呼んだ。
「山路――」
その時、教室の扉が開く音がした。