第121話 百考は一行に如かず
「ごめんなさい、遅くなってしまったかしら」
しばらくすると、シンボルのポニーテールを揺らしながら椎名がやってきた。
俺と増倉、大槻はやや呆れ気味の顔を見合わせた。
代表して俺が言う。
「いや、急なことだったし、それに――」
「それに?」
椎名が俺の視線を追う。
するとそこには、まだ言い争っている樫田と夏村がいた。
そう、かれこれ十分以上あの二人は何かを話していた。
そんな状況を見ると椎名は目を大きく見開いて、俺の方を向いた。
あれは何? と言わんばかりだったので説明する。
「よく分からないんだが、あの二人喧嘩中らしい」
「あら珍しい」
率直な感想だった。
いや、俺らも十分前までは同じ感想だったのだろう。
けど、さすがに長すぎませんか?
五分過ぎたあたりで増倉なんてスマホ見始めちゃったし、大槻はあんなこと言った手前かずっと見ていたけど表情は徐々に飽き飽きしていた。
「杉野、どうするよ」
「どうするって……」
大槻が俺に聞いてくる。ほんとどうしましょうねー。
判断を決めあぐねていると、樫田がこちらに気づいた。
厳密には今さっきやってきた椎名に気づいたのだろう。
夏村に何か話しかけ、二人はこちらにやってきた。
増倉が二人に尋ねる。
「終わったの?」
「一時休戦。本題を蔑ろにはできない」
どうやら、終わったわけではないらしい。
いったい何を話していたんだ?
俺が樫田に視線を送ると、彼は困ったような笑顔で言う。
「まぁ、色々気になるかもしれないが、場所移して本題に入ろう」
上手く流れたような気もするが集まったのは山路のことを話すため。
みんなが頷くと、ショッピングモールの方へ歩き出した。
――――――――――――――
二階のフードコートでそれぞれが飲み物だけを買い、片隅の六人席に俺たちは座る。
日曜日のショッピングモールは混んでいた。
混雑する中、俺達だけが静かにお互いの顔色をうかがう。
まるでここだけが隔離されたように、外界と遮断されているようだった。
だからだろうか、口を開いた椎名の声がやたらとはっきり聞こえた。
「まさか、昨日の今日で集まるなんてね…………それで? 話したいことは?」
「決まっているじゃない。山路のこと」
「山路のことは分かっているわ。その詳細よ」
「それは……」
「それは決めてない」
言葉の詰まった増倉に代わり夏村が答える。
椎名は少し驚いたがすぐに真剣な表情になる。
「決めてない? ならどうするのかしら」
「そこから話す。これはみんなで考えないといけないこと」
「それこそ昨日の今日なのよ。個々の意見だってまとまっていないじゃないかしら」
「だとしても、今、この熱が冷めたらきっとみんな答えが変わる」
「…………」
夏村の言葉に椎名は黙った。否定できなかったのだろう。
熱。俺の抱いているこれをそう呼ぶのならそうなのかもしれない。
人は何かを後送りにすればするほど、それをしなくなる生物だ。
抱いたり宿ったりする感情や考え、熱意は刹那的なもので恒久的にあり続けることはない。
今、必死に山路を止めようとしているが、徐々にその考えは変わってくるだろう。
本人が言っているのだから、俺に止める権利があるのだろうかと言い訳が脳裏によぎり始めるだろう。
そして、いつの間にか人は行動を止める。
だから例え考えがまとまっていなくても、今この熱を抱いた状態で話し合うべきだと夏村は言っている。
ここにいるみんな、そのことを理解しているのだろう。
椎菜もその空気を理解してか、夏村の言葉に納得した。
「分かったわ。もう野暮なことは言わない」
「ありがとう……樫田、お願い」
「結局俺かよ」
夏村は椎名に感謝すると、樫田に進行役を任せた。
樫田は数秒考えると、全員を見渡しながら言った。
「えっと、確か椎名と俺はさっき合流して、その前に四人で話していたんだよな? じゃあ誰かそこで話したことを説明してくれ。じゃないと認識の齟齬が生まれるかもしれない」
「分かった。私が説明する」
増倉が代表して話した。内容は主に公園で話したこと。
椎名と樫田は静かにその話を聞いていた。
二人とも何を考えているのか、俺には分からなかった。
増倉が話し終わると、椎菜が少し暗い顔で呟く。
「そう、疎外感ね……」
「…………」
対して樫田は何も言わず、ただじっと空を見て考え事をしていた。
そして一瞬椎名を見て、何か言うか確認した。
椎名が何も言わないとゆっくりと口を開いた。
「義理を通す、疎外感、演劇部の青春」
まるでキーワードを示すような樫田。
みんなの視線が彼に集まる。それを待っていたかのような堂々とした様子だ。
「そうだな。きっとそれは合っているだろうな」
「まるで答えを知っているような言い方ね」
「分かっているんだろ椎名。今この中で山路のことを一番理解しているのは、俺だ」
誰も樫田の言葉を否定しなかった。
俺含めてみんな分かっているからだ。その通りだと。
反論がないと樫田は続ける。
「あんまり自分でこういうことを言うのは好きじゃないんだがな。俺は山路が辞める理由も言葉の意味も知っている…………ただ、それをここで言うつもりはない」
「どうして!?」
叫んだのは増倉だ。一直線に樫田を睨む。
他のみんなも納得していない様子だ。
対して樫田は真剣な表情を崩さすに、毅然とした態度でいる。
「これは俺と山路の関係性の中で得たものだ。言葉にできるものじゃないし言葉で分かるモノでもないからだ」
みんなは樫田の圧にたじろいだ。
俺は脳裏に昨日の夜、電話で話したことを思い出す。
樫田は昨日と同じ言葉でまとめた。
「自分で考えろ、自分で気づけ、自分で見つけろ。それが出来ない奴が人の覚悟に口出しするな」
言葉を噛み締めるだけの沈黙が流れた。
樫田の言葉を意味としてではなく重さとして理解したからだ。
中立でまとめ役、それでいてみんなと一定の関係性、信頼性を築き上げた樫田ならでは重みがあった。
誰かの息を呑む音が聞こえた。
お前たちは山路の本心が分からないほどの関係性だったのか?
視線が合うと樫田の瞳の奥から、そんなことを問われているようだった。
周りの騒音を相殺するような、静かで重い時間。
「分かる。言葉にできない……言葉じゃ勘違いされるモノってあるよな」
静寂を破ったのは、意外にも大槻だった。
深く落ち着いた様子で言葉を紡ぐ。
「言葉にすると薄っぺらくなるっていうかさ。なんつーか、結果だけ示してそこまでの過程を蔑ろにするような感じ? どれだけ言葉を並べても自分の体験には勝てないようなさ。こういう諺あるよな……えっと」
「百聞は一見に如かずってことか?」
「そう! それ!」
樫田が助け舟を出すが、その顔は怪訝そうだった。
俺を含め他のみんなも大槻が何を言いたいのか、しっくり来ていない様子だった。
そんな空気の中で大槻は樫田を真っ直ぐに見た。
「でもさ、勘違いしてもいいんじゃないか?」
「……なに?」
大槻の言葉を樫田は聞き返した。
みんなの視線が集まる中、どこか穏やかそうな笑顔で大槻は答える。
「……たぶん、樫田の次の山路のことを知っているのは俺だと思っている」
「だろうな」
「俺もあるんだ。言葉じゃ説明できないけど理解は出来ていること」
「……」
「樫田で言語化できないなら、俺は口に出したらみんな勘違いすることになると思う。でもそれでいいじゃないかって思うんだよ」
「何故だ?」
「知ろうとする想いは本物だからだよ」
大槻の言葉に、初めて樫田の表情が変わる。
それは何かに気づいたような驚きと戸惑いが混じった様な表情だった。
「例え俺が百の言葉で山路のことを説明しても、それは俺の感じた一にも辿り着かないのかもしれない……けどさ、樫田と比べたらどんなに薄い関係性だったとしても、俺達だって山路と同じ演劇部員なんだぜ? そしてみんな必死に知ろうとしている。なら言える範囲で言っていいじゃないかって」
「……百考は一行に如かずってことか」
樫田はそう言って笑った。
ヒャッコウ? と思ってのは俺だけでないらしく大槻も不思議そうな顔をしていた。
「百聞は一見に如かずの後の文ね。あれこれ考えるよりやってみることを意味しているわ」
椎名が説明してくれた。
あれって続きの文章とかあったんだ。
更に夏村が補足してくれる。
「正確には百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず、百考は一行に如かず……って続いていく」
「へぇー」
「まぁ、そういうこった。考えることも大切だけど今は行動する方が大事ってことだ」
「じゃあ、山路が辞める理由教えてくれるの!?」
増倉が期待した目で樫田を見るが、彼は首を横に振った。
両手の指を組み、肘をテーブルに乗せる。
「さっき大槻も言ったが、言える範囲で、だ」
「……そうね。分かった」
意外にも増倉は素直に引き下がった。
みんなの視線が再度樫田に集まる。
「さて、じゃあ改めて。山路について話そうか」