第五話 藤士朗②
「貴方は、どなた?」
慈悲に近い柔和な微笑みを浮かべながら、少女は、藤士朗の目を真っ直ぐ見てそう問う。
殺意は感じられない。全身返り血に染まっているというのに、とにかく彼女はどこまでも静かだった。
「俺は、……ただの通りすがりだ。この山の先にある人里に向かっている」
咄嗟に名乗ることを躊躇し、回答を濁す。
和ノ花国では、人名に花の名前を冠することが習わしだった。花の加護を受けられるからとされているが、重要なのは花の名で身分が露呈する場合があることだ。
例えば現王の一族は菜ノ家〈サイノケ〉であり、基本的に名前に〈菜〉を冠する者は身分が高い。藤士朗の藤ノ家〈トウノケ〉も例外ではなく、〈藤〉がつく名前というだけで花弥神神社の関係者とすら勘付かれる場合があった。
勝手に家を出た身としては素直に名乗れずそう返したのだが、彼女の目には不審に映ったようだ。丸みを帯びた大きなの瞳が段々と鋭くなる。
「こんな夜更けに、ですか?私はこの先の里にはよく行きますが、貴方をお見かけしたことはありません。里の人間ではありませんね」
いつの間にか、彼女は藤士朗のほぼ目の前まで来ていた。
「それに随分と素敵なお召し物。山道を歩くに適したものではないですね。そんなに汚して大丈夫ですか?」
鋒は下を向いたままだが、不思議と隙がある雰囲気ではない。
小望月の明かりに照らされて、肩まで伸びた細い金色の髪が星屑の如く瞬く様は、現世のものか疑うほどに美しかったが、見惚れていれば容易く彼女の刀に半身を切り上げられてしまいそうだった。
「もう一度伺います。貴方は、どなた?」
ーー答えなければ、斬る。
言葉はないのに、はっきりとそう聞こえた、……気がした。
「はぐらかしてすまなかった。俺は藤士朗、恥ずかしながら家出中の身だ。とはいえ謀反を企てているだとか、そんな大それたことはない。ただ純粋な仲違いだ。何なら金にも困っていないから、里を襲う心配だってないぞ」
藤士朗は観念し、本当のことだけを告げた。そんなことあるはずがないのに、この少女には嘘を見抜く力がある気がしたのだ。
逃亡資金にと貯めていた金がたっぷり入った藤柄の財布まで開いてみせると、彼女は財布の口に負けないくらいに目を見開き、やがてころころと笑いはじめた。
「事情はよくわかりませんが、貴方が嘘を付いてないのはわかりました。貴方、里を襲う賊にしては弱そうですし」
彼女は遂に涙すら浮かべながら、手首をさっと捻り血振るいをする。その造作は破顔の表情と対照的に鋭く、刀はぴんと張り詰めた銀の糸の如く美しい軌跡を描いて鞘に収まった。
「それに、朽葉憑き〈クチバツキ〉というわけでも無さそうです」
最後の言葉は、刀の鍔が鞘にあたる音で掻き消えてしまい、殆ど聞こえなかった。一瞬彼女の表情が消えた気がしたが、直ぐに笑顔に戻る。
「でも、お金を見せてしまうなんて早計ですね。私が悪漢だったらどうするんですか」
「それは……そうだな、どうしようか。敵いそうもない」
もう一度彼女が勢いよく笑う。風鈴がちりんと涼風に揺れるような、何とも心地の良い声だ。
不思議な少女だった。怪しさでいえば藤士朗にも勝るはずなのに、〈悪〉を感じさせない。凛とした気配がそうさせるのか、神職に所縁のある藤士朗より、よほど神に近い存在に見えた。
そう考えている間に、彼女は胸に手を当ててひとつ息を吐くき、改めて藤士朗に向き合った。
「申し遅れました。私は七桜。
摘花〈テッカ〉の七桜〈ナナオ〉と申します」
「摘花?」
聞き慣れない名に首を傾げると、彼女は自身の左耳上の花飾りをかざしてみせた。
「この飾りが目印です。見かけたらご注意あそばせ」
どういう意味だ、……そう問いかけようとした刹那、彼女が消えた。
驚いて咄嗟に身を翻すのと、彼女の手刀が藤士朗を襲うのが同時だった。
途端、視界が歪む。ああ気を失うのだと悟った刹那、彼女の声が遠くに響く。
「その名の通りですよ。
王都に蔓延る不穏な〈花〉を、満開前に〈摘む〉者です」




