第三話 菜由姫②
「解せない。」
和ノ花国の王城の中でも随一の美しさと評される〈白ノ棟〉の最上階。繊細な飾りの彫られた格子越しに外を眺めながら、菜由は欠片の愛想も込めずに呟いた。頬にかかる後れ髪を払い除ける手にも苛立ちが篭る。
腰まで伸びた母譲りの白茶色の髪は、普段は割と気に入っているが、今は無性に鬱陶しかった。少し癖っ毛で纏まらないところが妙に腹立たしく思えてしまう。
「何がですか、姫様」
菜由の侍女・小胡麻〈コゴマ〉は、御茶を淹れ直す手を止めもせず、馴れた調子でそう返す。
焙じ茶の柔らかな香りに顔が綻びそうになるが、既のところで菜由は頬を引き締めた。
「国を継ぐべき立場の人間が、城以外の世界を知らないのは絶対にまずいと思う」
如何にも不機嫌さを装うために、外を見つめる目を細める。
最上階とはいえ、格子越しで見える景色はとても狭く限られていた。そもそも王城自体の敷地が広いため、城下町など僅かばかりに見える程度なのだ。
「幾度この問答を繰り返すのですか。陛下のお考えを汲んでくださいませ。国内であっても、今、菜由姫様が御身を晒すことはあまりにも危険です。どこに不穏分子が潜んでいるか、わからないのですよ」
不穏分子、と曖昧に含ませるところが小胡麻の清淑さだ。隣国の大華が影に潜んでいることは明々白々でも、幾度この問答を菜由と繰り返していても、決して明確な言葉は口にしない。
そういうところがきちんと評されて菜由の侍女を務めているのだと思うと、父である現王の眼は曇りないものなのだろう。我が国にとって凡そ誇るべきことだ。
でも。ただ父の慧眼に甘んじることこそが正しいとしてはいけないと、菜由は思う。少なくとも自分が王位継承権第一位と今世が定めるのであれば、それは尚のこと。
誰に見せるわけでもないのに毎日重苦しく着飾らされる着物の窮屈さにも、何度でも繰り返される侍女との問答も、私だけは慣れてはいけないのだ。
疑問を持ち続けること。それこそがこの国の未来を担う自分の責務であると菜由は信じていた。
「いずれ国王となる者が、外国どころか城の外のことすら知らないのは致命的でしょ。どの書物も言ってるよ、〈広い視点は自分の眼でこそ培うものだ〉って」
書上の知識では、だから駄目なのだと言葉で伝えずとも、もう小胡麻には重々伝わっていた。伝わっているからこそ、襟を正すように彼女は返す。
「菜由様。御言葉もですが、口調にもほとほとお気をつけくださいませ。〈口にした言葉は自分の耳が最初に聞く〉、と言いますでしょう。貴女の何気ない言葉を一番聞くのは、貴女自身です。そして御身の御言葉は、やがて御国の言葉となるのです。細部の言葉尻であっても、気を抜いてはならないのですよ」
「話を逸らさないの。第一それこそ私が外交に注力すべき、という結論に繋がるところでしょう。私、普段言葉を交わすのなんて教育役の人達と、小胡麻だけだよ。
外部の人間は愚か、父親たる現王にすら久しく謁見していないんだよ?それでどう言葉尻に気をつけろというの」
「それは勿論、私を労っていただければ幸いに存じます」
大袈裟なくらいにすまして小胡麻はそう答えると、窓際の文机で不貞腐れる菜由の前に焙じ茶を添える。
朗らかな蒸気にすっかり毒気を抜かれた菜由は、そのまま御茶を口に含む。流石国唯一の姫の侍女を勤める者、湯の温度ひとつとっても茶葉を引き立たせる最適のそれだ。
侍女として完璧な彼女の振る舞いにバツが悪くなった菜由は、これも母譲りの陶器の如き滑らかな肌を歪ませて零す。
「自国の危機に何もできない阿呆になんて、私はなりたくないだけなのに」




