8*文明開化の音がする
ジリジリと照りつける太陽の下。
私たちは馬車に揺られ、市場を通り、そして山道を登っていく。
メンバーは前と同じシリルとガイ、そして私だ。
(……扇風機、欲しいよなぁ)
空調については先日ポロッと零してしまったが、まず、私の夢が叶えば空調の役割も果たせてしまう。
しかし普及目的ならば『扇風機』もしくは、近しい物があるに越したことは無い。
だが、普及させるには"話題性"や商会の"知名度"って大事だと思う。今はまだ知名度の低いモーネ商会を、大きくすることが先決だ。
そんな意味もあり、私は夢と希望をリアル・プロジェクターに賭けた。
……研究所に着くと、不揃いのブルーグレーの髪を一つに束ねたユリウスの姿がある。
埃まみれの作業着にとりあえず白衣を羽織っただけの服装は、ユリウスらしいといえば、ユリウスらしい。
銀白色の瞳に好奇心が輝いているように見えるものの、睡眠不足なのか、顔色はよろしくない。
「ルナリア様。お待ちしておりました」
「ユリウス……睡眠時間を削って、作業していたのね?」
思わず思ったままの言葉が出てきてしまったのだが、ユリウスは「ははっ」と笑って受け流した。
一度始めたら、やめ時がわからないよね。そうよね……その執念、ちょっとわかるよ。
「ありがとう!試作品ができたって本当?一体どんな感じになったの?」
興奮を隠せないまま、ユリウスの後をついて行き、山小屋の奥にある工房へと駆け込む。
するとテーブルの上には、以前、写真館で見た時よりも幾分か洗練された……クリスタルと魔導線が複雑に絡み合った装置が置かれていた。
「──見てくれ。これが貴女の言う『リアル・プロジェクター』の、試作品の現状さ」
ユリウスはニヤリと笑って、装置の中心にあるクリスタルに手をかざし、僅かに魔力を流し込んだ。
装置がジジジ…と低い唸り声を上げる。
と同時に、やがて──目の前の壁一面に、鮮明な映像が映し出された。
それは、つい先程まで私たちが馬車で通りかかった、ステラ・テテラの市場の風景だった。
「これ……まるで窓の外を見ているようだわっ!」
「す、すげぇな」
映し出された映像はとても鮮明で、以前見たプロジェクターとは比べ物にならないほどまさに"リアル"だ。
木陰で居眠りをする犬の毛の一本一本までが、くっきりと確認できる。
思わずガイと一緒になり食い入るように見ていたところ、ユリウスがクスクスと笑った。
「驚くのはまだ早いよ。王女様?」
ユリウスが再び装置を操作すると、映像に──"音"が加わった。
人々の行き交う足音。
ワン!と犬の吠える声。
「いらっしゃい!」と市場の売り子の活気ある声も、時折聞こえてくる。
この場にないはずの喧騒が、立体的に空間を満たした。
「すごい!音まで再現されているわ。これは本当に、文明開化の音がするわね……!」
私は感動のあまり、映像に映し出された市場の方へと手を伸ばした。
シリルは、眼鏡の奥の瞳を大きく見開き、驚愕の表情を隠せないでいた。
シリルもガイも、その技術の進歩に言葉を失っている。
「どうだい?ルナリア様。満足か?」
「ええ!完璧よユリウス…!あなた本当に天才だわっ!」
私が心からの賞賛を送ると、ユリウスは満足げに笑い……
そして、突然装置の魔力をオフにした。
壁の映像が、プツン…と消え、部屋は静寂に戻ってしまった。
(あら……?)
一同揃ってユリウスの方に視線を向けると、
「……なーんてな。できている範囲は、現段階ではここまでさ」
ユリウスは悪戯っぽく笑い、眼鏡をクッと上げながら、両手を広げた。
「ああ。視覚と聴覚のリアルタイム同期は、ひとまず実現したってわけさ。しかし、貴女が求めたような…現実の完全な再現には、まだまだ欠けているものがあるだろう?」
ユリウスの指摘に、私はすぐに頷いた。
「そうね……このプロジェクターの核となる"匂い"、"温度"。野菜や果物の香りと、この市場の熱気も欠けているわ……。」
「その通り。映像と音は魔導技術で実現できたのだが、残りの感覚──"嗅覚"と"触覚"は、ただの光の投影ではどうにもならないんだよ。」
ユリウスは技術者として、明確な壁を示した。
遠距離での通信という性質上、嗅覚と触覚の再現は光と音の通信とは、次元の違う難しさがあるのだと述べる。
「香りなんて風で運ぶしかないが、感覚的なものに至っては、魔法でも遠距離で広範囲を操作するのは困難なんだよ。」
"困難"だなんて言いながらも、ユリウスはどこか清々しい表情をしていた。
すると、シリルが補足するように口を開く。
「……その点につきましては、事前に最高クラスの"風魔法"の使い手である調香師を手配していたのですが」
ここで、ユリウスはシリルの問いの答えを説明するように、こう報告した。
「二週間の検証の結果、調香師たちは再現できる香りの種類が限定的であり、さらに風魔法で送れるのは、ごく限られた範囲までだと言った。広範囲となると、すぐに香りが拡散してしまう。」
ユリウスが示したのは、調香師の技術の限界、そして魔導技術の物理的限界だった。
匂いは"風"という媒体に依存する以上、広範囲へリアルタイムで届けるのは、不可能に近いのだとか。
私は顎に手を当て、うーん…と、しばらく考え込んだ。
視覚と聴覚はデータ。香りと温度は物理現象。風魔法では範囲が狭い。
つまり、物理的な媒体の力をもっと"広範囲"かつ"自然に"届けられるような力を借りる必要があるのだが。
この世界に存在する、最も広範囲な物理現象を司る存在は……。
私は、ポン!と手を叩いた。
「……わかったわ!それなら『精霊』に協力を仰ぐ必要があるわね」
私の口から出た突飛なアイデアに、その場にいた一同は凍り付いた。
「精霊……でございますか!?」
シリルが、今度こそ驚愕を隠さずに声を上げた。眼鏡がずり落ちそうになっている。
「それはいくら何でも、相互不可侵の原則に反するんじゃあ……ルナリア様?」
「そうだな師匠~…。精霊サマは、人間の都合で利用しちゃいけない。常識だろ?」
ユリウスもガイも揃って、見たことのない存在を恐れるかのようにして、意見した。
「僭越ながら、ユリウスの言う通りです。精霊界と人間界は基本的に相互不可侵。ましてや、ビジネスに利用すると知れたら……最悪、精霊王の怒りを買うことになりかねません!」
シリルは王族の執事としての立場から、精霊という絶対的な存在を人間の都合で利用しようとすることの危険性を即座に指摘した。
そりゃそうだ。皆の反応は普通だ。
精霊は、水や風、火や土といった自然現象そのものを司る、この世界の"根幹"に関わる存在なのだから。
そして歴史の中でも、【精霊の世界に深く足を踏み入れた者は破滅した】……という言い伝えがあったりする。
つまり暗黙の、相互不可侵的な存在なのである。
「分かっているわ。シリル、でも考えてみて。匂いも温度も"精霊"が最も得意とすることでしょう?」
私は、臆することなく続けた。
「風の精霊は、匂いを広範囲に届けられる。火や水の精霊は、場所の温度を正確に、長時間維持できる。彼らの力を借りれば、一瞬でこの問題は解決するわ」
「いや……しかし、どうやってその『力』を借りるというんだ?精霊は基本的に人間の呼びかけに応じることはないだろうし…」
ユリウスは私のアイデアの飛躍ぶりに驚きながらも、現実的に考え、その実現性の低さに眉を顰めた。でも。
「手立て無くして、話題に出すと思う?」
私は自信満々に微笑んだ。
「精霊は私たち人間と同じように、対価を求める存在よ。そして、彼らが喜ぶ対価を提示できれば、ビジネスであっても協力してくれるはず……」
私の頭の中には、精霊界との交渉に必要な、ある種の"裏知識"がある。
「問題はどうやって『精霊王』に、この『リアル・プロジェクター事業』を売り込んで、"彼ら"が飛びつくような対価を提示するか、だわ」
私の瞳は巨大な野望を前に爛々と輝いていた。
きっと傍から見れば、無邪気な一言とも捉えられているだろう。
ガイとユリウスは疑心半分・期待の色を浮かべ、もう考えることを放棄したようにも思える。
シリルはまだ納得がいっていないといった、心配そうな視線を送ってくるが……。
「まあ私に任せて」とだけ告げて、その場は解散となった。
***
──人呼んで『精霊王』。
名前はない。
さらに精霊に性別という概念も存在しないのだが、ここでは"彼"と言っておこう。
水の流れのように透き通った流麗な髪に、エメラルドの瞳。そして儚い姿とはうらはら、底知れない魔力量をもつ神話のような存在だ。
彼は、世界のトップである『神』の次に"力"も"立場"も強い。
そして、精霊の一生は長い。
人間でいうと年齢が百歳でも、精霊にとっては小さな子どものようなものだ。
だから、精霊王にとっての"契約"とは、半分は気まぐれ。そして、持て余した時間の退屈凌ぎでもあった。
ルーキンの物語的には、そう……第三王子・オリヴィエの攻略ルートに、彼が出てくる。
それも、闇の力を手に入れた悪役王女・ルナリアが契約を持ちかけ、アンジュ(ヒロイン)や王子たちの"敵側"として出てくるのが彼である。
しかも『悪役、精霊王率いる精霊軍VSオリヴィエ率いるルーセント王国軍、獣人族』……といった構図で争いが繰り広げられるのだが、最後に精霊側はルーセント側に寝返るので、ルナリアだけが滅ぼされるのだ。トホホ…。
これについては、言い訳をさせてほしい。
芽瑠はこの時、精霊王だけはルナリアの味方にしてあげようと思っていた。
しかし、ゲーム制作側に却下されて至ったのがこの展開だ。
そして修正した結果、【精霊王はアンジュの光魔法の美しさで懐柔される】という、ご都合展開になったのだ。
(ぐぬぬ……本当は関わりたくなかった)
けれども、致し方ない。
全ては夢と希望を乗せた、文字通り、命懸けのビッグプロジェクトの為なのだ。
精霊王に関しては、オリヴィエと深く関わりさえしなければ何とかなる。
……と、踏みたい。
そして肝心の精霊王の居場所だが、実は徒歩圏内なのです。
*
揃って別荘へと戻った後、私は再び外へ出た。
──別荘から少し歩いた所にある、深く豊かな緑に囲まれた、湖のほとり。
私有地なので「ちょっとそこまで散歩してくる」と言っても許されるぐらいの距離だ。
それに湖といっても、万が一の危険が無いよう、魔法で対策はされている。
日差しを遮る木々の葉が、湖面に複雑な影を落とし、水面はエメラルドのように輝いている。
そう、ここに──『秘密の入口』はある。
無事に会うことができればいいのだけど……。
さて。
(いざ……潜水!)
私はドレスの裾をたくし上げ、恐る恐る湖に飛び込んだ。
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