奇跡を、起こそう
1話目から1年後、2話目から2年後のお話。
前半はありす視点、後半は湊視点です。
<ありす Side>
山崎湊くん。
私が今まで生きてきた人生の中で、一番好きな人。
背が高くて、細すぎず太すぎず筋肉質で、聞いたことないけど柔道とか剣道が強そうでかっこいい。
でも見た目だけじゃなくて、中身も最高の人なんだ。
「湊くん、見て見て! クリスマスツリーだよ、大きいね~!」
「ああ」
「あっ、上の方にサンタが居るよ! ほら、てっぺんのちょっと左に下がった所! 見える?」
「見える。お前の見ている物は大体俺にも見えてる。はしゃぐな、転ぶぞ」
「だって、楽しくて!」
あれから1年が経ち、大学2年生のクリスマスイヴがやって来た。
私達の関係は……よく、分からないままだ。
去年のクリスマスイヴ、電話で呼び出された私は、当然何らかのアクションが湊くんからあると思っていた。だけど実際はケーキを食べてコーヒーを飲んだらそれで終わりだった。収穫と言えば湊くんの家に入れてもらえた事と家まで送ってもらえた事くらいか。
それ以来、たまに呼び出しがあって一緒に夕飯を食べたり映画を見たりするくらいの仲。もちろんこっちからもしょっちゅう連絡をしているけれど返事が来ることはほとんどない。私としては彼女候補のつもりだけど、告白はおろかキスもなければ手さえ繋いだ事もないので、もしかしたら湊くんにとっては女友達の一人なのかもしれない。
あ~あ、せっかく今日は勝負下着を着てきたのにな~。黒か白かでさんざん迷って、湊くんなら清純そうな白が好きだろうとようやく決まったのは明け方の事だった。当然寝不足のはずなんだけど、興奮しているせいか映画を見てる間もショッピングをしている間も全く眠くなかった。
飛び跳ねるように歩いていると、早々に日が暮れる中、湊くんが皆の注目を集めていることに気付いた。
「何だか、皆湊くんの事を見てない?」
「俺がデカくて目つきが悪いからだろ」
「いーや、きっと湊くんがかっこいいからだよ! どうしよう、ライバルが増えちゃう!」
私が周りの女の子を睨んで威嚇すると、頭上から呆れた様な溜め息が聞こえる。
「お前、それ本気で言ってる訳じゃねーよな?」
もちろん本気だ。私はいつだってこれ以上ないくらい本気だ。だって湊くんはこの世で一番かっこいいんだから。どうしたらライバルを減らせるんだろう、と考えて、すぐに名案が思い浮かんだ。
「お願い湊くん、今すぐ100キロ太って!」
「……は? 悪い、俺、今までで一番お前の思考が分かんねぇ……」
「だから、今すぐ100キロ太って、ってば! それくらい太ればいくら湊くんでもモテないと思うの! だから太って! 今すぐ!」
「お前は俺を殺す気か。それに、そんな事を大声で言うなよ。こっちが恥ずかしくなる」
湊くんが眉を寄せる。私が褒めると決まってこんな嫌そうな顔をする。思っている事を言っているだけなのに、どうして駄目なんだろう。恥ずかしがっているのかと思ったら、どうやら本気で嫌がっているらしい。どうしてこう上手くいかないんだろう、と私は落ち込んで俯いた。
「湊クン?」
その時、鼻にかかった、甘い声がした。
振り返ると小柄でかわいらしい女性が立っていた。私と違って華奢で儚げで、守ってあげたくなるタイプだ。
「あ、やっぱり湊クンだ。違ってたらどうしようかと思っちゃった」
「今日子? 何でこんな所に……」
相手の女性は今日子さんというらしい。湊くんが女の人の名前を呼び捨てにするなんて珍しい。私なんて、いつもおい、とかお前、とか、考えたら苗字すら呼んでもらったことがない気がする。今日子さんは湊くんの隣に立っている私に気付いて目を見開くと嬉しそうに微笑んで会釈してくれた。礼儀正しい美人だ。
「さっき帰国して来た所なんだ~。ほら、年末年始は飛行機取れないでしょ? だから早めに」
「そうか、旦那は?」
「今暖かい物買いに行ってくれてるの」
そう言った今日子さんは無意識にだろう、おなかに手を当てた。今日子さん、もしかして……。同じ風に思ったのか、湊くんが遠慮がちに尋ねた。
「うん、そうなの。今17週目……あ、分かんないか。えーとね、5か月くらいかな。つわりもようやく収まった所」
「そうか。おめでとう」
痩せているせいかまだ全然出ていないおなかを愛おしそうに撫でる今日子さんに、湊くんがお祝いの言葉を告げる。私は二人の、いや、湊くんの様子から大体の事が見えてきて、舞い上がっていた身体と心が次第に冷えていくのを感じる。
「うん、ありがとう~。今日は実家でゆっくりする予定だから、また今度改めて山崎家へ挨拶に行くね」
「ああ。じゃあ俺たちはもう行くから。旦那によろしくな」
別れ際、今日子さんはまた私に笑顔を向けて親しげに手を振ってくれた。
「何だ、すっかり大人しくなったな」
しばらく歩くと、急に静かになった私の顔を湊くんが覗き込んでくる。
「あの人が湊くんを泣かせた女なんだね」
「……それはもう忘れろ」
「忘れないよ。だって私の大切な思い出だもん。素敵な人だね、今日子さんって。湊くんが好きになるの、分かる」
「……昔の話だ」
そう言って、湊くんはぽつりぽつりと話してくれた。4歳年上の幼なじみで子供の頃からよく遊んでいた事を。好きだと気付いた時には、もう彼女の結婚が決まっていた事も。ひどく言いにくそうに、でも一生懸命に。それがとても嬉しくて悲しかった。
二人の間に沈黙が訪れると、湊くんがはぁっと大きく息を吐いた。
「俺、今日子に会うのが怖かったんだ。ようやくおさまった気持ちがまたぶり返すんじゃないかって。だけど、実際会ってみて、ちゃんと過去に出来てるって分かって、自分でも驚いた」
嘘だ。さっきの様子じゃ、湊くんはまだ全然今日子さんの事を過去に出来てないと思う。あんな想いがたっぷりつまった瞳を私は向けられたことが無い。
「もう俺の言葉は必要ないんだよ。お役御免ってやつだな」
「言葉って何のこと?」
「いいや、こっちの話」
「……そう。……今日子さん、幸せそうだったね」
「そうだな。良かった。本当に、良かった」
湊くんがどこか遠くを見つめる。自分を情けないと言っていた湊くんは、とても清々しい顔をしている。私だったらそんな顔きっと出来ないと思った。
見守るのも愛、だなんて、追いかける愛しか経験したことが無い私には想像もつかない。だって、私が追いかけないとそこで終わってしまう。湊くんはきっと私を追いかけてはくれないから。私達はそんな不安定な関係でしかない。
でも、いつか。いつか、きっと、こっちを振り向かせてみせる。
「いつか……いつか、私のために泣いてくれる?」
イルミネーションに照らされる湊くんの横顔を見ながら聞こえないくらい小さな声で呟いてみる。もちろん泣かせたい訳じゃない。だけど、それくらい湊くんの感情を揺らしてみたい。そう思うのは私の身勝手な我儘だろうか。
「え?」
「ううん、何でもなーい。あ、あれ何だろう?」
口から出てしまった言葉を誤魔化すためにわざと明るい声を上げて走り出す。せっかくのデートだもん、暗くなるのはナシだよね。
「危ない!」
「え? って、うわぁぁっ」
足元にあった真っ赤なポインセチアのプランターに気が付かずに、私は大きくバランスを崩してしまう。すると、
「……ありす!」
という大きな声とともに手をぎゅっと掴まれて引き戻された。ギリギリセーフ。もう少し遅かったら私の顔は冷たいコンクリートの地面で削られていただろう。
「だからはしゃぐなって言っただろ」
「ごめんなさい~」
ほら、行くぞ、と湊くんは少し前を歩き始める。その耳がポインセチアと同じくらい赤くなっているのが暗い中でも分かる。そしてまだ繋がれたままの手に、嬉しさを隠し切れない。もしかして、湊くんも私の気持ちの何十、いや何百分の一くらいは私の事を想ってくれているのかなって、都合のいい解釈をしてしまいそうだ。
あ~駄目だ、手を繋いだだけで心臓がうるさくなっちゃってる。こりゃキスなんかされた日には心臓発作で死んじゃうかも。
火照った頬に冷たい何かが触れるのに気付いて、私は空を見上げた。空からは小さくて白い粉雪がふわりふわりと地上に降りてくる。イルミネーションの鮮やかな色と相まって、それはとても幻想的な光景だった。
私は慌てて湊くんの手をぐいぐいと引っ張る。
「雪だ、雪だよ、湊くん!」
「知ってるって」
湊くんは反対の手を粉雪の舞う空にかざす。
「何やってるの?」
「んー、意外と火星って手が届くもんなのかもしれないなって」
「何それ、意味分かんない」
人の事は言えないけれど、湊くんは時々変な事を言う。でも空を見上げて「綺麗だな」と言った湊くんを見て、気持ちが溢れそうになった。同じ物を見て同じ様に感動するって何て幸せなんだろう。
「湊くん、大好き」
大好きだよ、湊くん。あなたが、あなただけが。
溢れた気持ちと一緒に言葉が口をついて出る。
湊くんはため息をついてから優しく微笑んで、「それも知ってる」と言った。
<湊 Side>
宇佐美ありす。
同じ大学に通う、同級生。その名の通り小さくて小動物の様によく動く。
あいつと居ると、どうも調子が狂う。
まず、無意味にテンションが高い。道を歩けばすれ違った犬が変な顔だったと大笑いし、映画で悲しい場面を見れば周りに人が居るにも関わらず号泣する。お願いだから少しは俺の迷惑も考えろよ。そう思うんだけど、何故かいつもあいつのペースに巻き込まれている自分が居る。
そうこうしている内に俺たちの間に何の進展がないまま冬が過ぎ、春が来て、夏が終わり、またこの季節がやって来た。
クリスマスイヴは嫌いだ。……嫌な記憶を思い出させるから。
だけど正則にクリスマスイヴはあいつと過ごすべきだと説得されて、特に予定もないので会うことにしたら、あいつは嬉しそうに約束の場所へ飛んできた。気合を入れた格好をしている事は無粋な俺でも気付く。俺のためのおしゃれなんだろうという事も。だけど、掛けてやる褒め言葉は俺の中に存在しない。
そんな体たらくな俺なのに、何故かあいつは俺がとてもかっこいいと思っている。眼科に行けと言いたくなるほどの目の錯覚だ。
今日も100キロ太れと言われた。意味が分からない。デカくて目つきの悪いデブなんて最悪じゃないか。それでもあいつの目は真剣で、俺が100キロ太っても構わないみたいだった。
デブ専……じゃないよな、そう考えた後で、それでも俺がいいって言ってくれてるとようやく気付いて暖かい何かが俺の胸を支配する。
すると後ろから名前を呼ばれ、今日子が目の前に現れた。俺の初恋の相手で、俺が恋愛に積極的になれない原因を作った人。
だけど今日子に会って、さらに妊娠していると知っても、不思議と動揺はなかった。それよりも幸せそうな表情を見て、心底ほっとした。もちろん今でも今日子の事は好きだ。でも、好きの形が変化していたんだ。
それはきっと―――。
だけどあいつは今日子が俺の泣いた原因だと気付いた。いつもボケているくせに、時々妙に鋭い所があるんだ、こいつは。でもこれは不意打ちだ。不可抗力だ。黙り込んで俯いてしまったあいつは泣いているのかもしれない。
だけど、顔を覗き込んだ俺に「素敵な人だね」と、あいつはそう言った。本心からそう思っていると分かる、悲しいくらいの明るい笑顔で。
こいつはすごい、そう思ったのは二度目だ。
俺の事を好きだと何度も告白してくるあいつの気持ちを、俺は疑っていた。よく知りもしないくせにって腹立たしくも思っていた。本当に好きだったら中々告白出来ないものだ、よってあいつの気持ちは本物じゃない、なんて、自分の情けなさを棚に上げて。
だから何度も断った。だけどあいつは何度玉砕しても諦めなかった。だから不思議に思って聞いたんだ、何でそんなに頑張れるのかって。
そしたらあいつは俺の目を真っ直ぐに見て、「本当に手に入れたい物だから諦めたくない」と言った後で俺を好きになった理由を教えてくれた。その毅然とした態度はいっそ天晴なくらいで、敵わないなぁ、そう感じた。今まで歪んだ目と心で相手の事を決めつけ、深く知ろうとしなかった自分を恥じた。俺がちゃんとあいつ自身を見ようと心に決めたのはあの時だった。
それなのに、それ以来あいつは俺の前から姿を消した。今までうざいくらいにチョロチョロしていたのが急に居なくなると、逆に気になってしまう。寝坊したんだろうか、風邪でも引いたんじゃないか、今この瞬間にどこかで倒れてるのかもしれない。そんな妄想に囚われ、俺は毎日あいつの姿を探すようになってしまった。
そして気付く。あいつの「ありがとうございました」は訣別の言葉だったってことに。そうか、もう俺なんてどうでもいいのか。当たり前だ、俺があいつを拒絶したんだから。あいつならずっと追いかけて来るだろう、なんて俺は何様のつもりだったんだ。……何だ、この胸の痛みと焦燥感は。そんな、まさか……。
俺はいつも後になってから気付くんだ。何もかも、手遅れになってから。それなのにまだ行動に移せない自分に嫌気がさしていた。
だから去年のクリスマスイヴ、あいつから電話が掛かってきた時はこの上ない程嬉しかった。遅-よ、そう悪態をつきながらも逸る気持ちを抑えきれなかった。俺はこの感情に付けられた名前を、もう知っている。だけど、言葉にするのは勇気が要る。
俺がここまでしてるんだ、そのくらい分かるだろ、といつも逃げ道を作ってしまう。
情けないと反省していると、あいつが何かに気を取られて転びかけ、思わず名前を呼んでしまった。だって、ほら、咄嗟の出来事だったから。決して心の中でいつも呼びかけていた訳でも、名字で呼ぶか名前で呼ぶか迷っていた訳でもない。断じて。
助けるために手を掴み、無事だったからその手を放そうとして、手が止まる。
恥ずかしい事この上ないが、手くらいは繋いでもいいかもしれないと思った。同時に湧き上がる、放したくない、という感情に自分で驚く。ガラじゃない。
上目遣いで俺の顔を見つめるあいつは、とても、その、なんだ、……か、かわいい。見るたびに、……くなって行く気がするのは俺の気のせいだろうか。特に今はチカチカした電飾と粉雪があいつの引き立て役になっている気がする。あーくそ、今日は何だか暑い。
「さっき、名前呼んでくれたよね?」
そう嬉しさを隠せない様子のあいつに、俺は「呼んだっけ? あ、ケーキ屋の名前じゃないか?」と返す。素直になりたいのに、なれない。これはもう、俺の性分だ。
でも、今日だけはこの浮かれた雰囲気に流された振りをしてみてもいいかな、と思う。あいつと繋がっている手の平から、少しだけ勇気を分けてもらって。
「好きだ」って言ったら、あいつは笑うだろうか。それとも泣くのだろうか。
あいつのおかげで大っ嫌いだったはずのクリスマスイヴが、ちょっとだけ―――ほんのちょっとだけ、好きになる。来年もこいつと一緒に居てもいいかな、そう思うくらいには、な。
BGM:嵐/WISH、MISIA/Everything