第1話 正常なダンジョンで試してください
ダンジョンを一つ消した。
別のダンジョンを掃除したら、今度は初心者から中級になった。
ここまで来れば、普通の人なら思うだろう。
もうダンジョンを掃除しない方がいいんじゃないか、と。
俺――佐倉直人もそう思う。
ただ。
「佐倉さん。こちらへどうぞ」
「はい……」
探索者協会は、どうやらそう思っていないらしい。
◇
「今回は、比較検証をお願いしたいと考えています」
探索者協会本部。
もう何度目になるのか分からない会議室で、俺は聞き慣れた言葉を聞いていた。
向かいに座っているのも、いつもの男性職員だ。
「比較検証」
「はい」
「何と何を比べるんです?」
「青梅第二ダンジョンと、別の初心者ダンジョンです」
嫌な予感がした。
「俺、普通の清掃依頼に戻っていいって聞いてますけど」
「もちろんです。現在も通常の清掃依頼については制限していません」
「じゃあ、これは?」
「協力依頼です」
「…………」
俺は職員を見る。
「また、その言葉使います?」
「今回は前回ほど強制的なものではありません」
「前回ほど?」
「断っていただいても、探索活動が停止されることはありません」
「おお」
初めてまともな協力依頼だった。
「じゃあ断ります」
「成功報酬が出ます」
「話だけ聞きます」
我ながら現金だと思う。
でも前回の検証は危険だった。
道は塞がる。
モンスターハウスは発生する。
帰れなくなる。
その対価として支払われた報酬は、普段の清掃依頼とは桁が違った。
危険手当込みらしい。
「まず、青梅第二ダンジョンについてですが」
職員が資料を開いた。
見覚えのある平面図。
もう見たくない。
「検証後も内部の魔力循環は安定しています。現在は中級ダンジョンとして運用を再開しています」
「元気なんですね」
「非常に」
「よかったですね」
「はい」
俺は別に嬉しくないけど。
「前回の調査によって、佐倉さんの《浄化》が長期間蓄積した魔力残滓を除去し、ダンジョン内部の循環を改善した可能性が高いことが分かりました」
「それは聞きました」
掃除した。
詰まりが取れた。
元気になった。
そこまでは分かっている。
「ただし、まだ一つ問題があります」
「問題?」
「青梅第二が特殊だった可能性を排除できていません」
職員が別の資料を出した。
「青梅第二は開放から十二年。近年はモンスター生成数、宝箱生成頻度、魔力濃度のいずれも低下していました」
「弱ってたんですよね」
「はい」
「でも実際は、魔力がなくなってたんじゃなくて、淀んでた」
「その可能性が高いと考えています」
職員が頷く。
「つまり、青梅第二が中級相当まで活性化したのは、《浄化》がダンジョンを強化したからなのか」
一枚めくる。
「それとも、弱っていたダンジョンから阻害要因を除去した結果、本来の状態へ戻っただけなのか」
「そこが分からない?」
「はい」
「それをどうやって調べるんです?」
なんとなく答えは分かっていた。
分かっていたけど、一応聞いた。
職員は新しい資料を俺の前へ置いた。
「状態の良い初心者ダンジョンで、同様の検証を行います」
「やっぱり」
表紙を見る。
知らない名前のダンジョン。
「つまり」
確認する。
「元気じゃないダンジョンを掃除したら、中級になった」
「はい」
「だから今度は元気なダンジョンを掃除する」
「はい」
「元気なやつをもっと元気にしたらどうするんです?」
「それも含めた検証です」
「その答え嫌いなんですよ」
職員は何も言わなかった。
俺は資料をめくる。
開放から四年。
全五階層。
初心者指定。
魔力濃度正常。
モンスター生成数正常。
宝箱生成頻度正常。
内部構造にも目立った劣化なし。
確かに。
「普通ですね」
「非常に安定しています」
「だったら掃除しなくていいんじゃ?」
「比較対象としては最適です」
「そういう意味じゃなくて」
汚れてないところを無理に掃除する必要はない。
清掃員としてそう思う。
「もちろん、無差別に《浄化》していただくわけではありません」
職員が続ける。
「前回と同じく、事前測定で指定した箇所のみです」
「古い魔力残滓?」
「はい。量は青梅第二より少ないですが、通常運用されているダンジョンにも蓄積はあります」
「それだけ?」
「道中については」
「道中については?」
嫌な言い方だった。
「今回は最深部にあるダンジョンコアについても、《浄化》の影響を確認したいと考えています」
「…………」
資料を閉じた。
「帰っていいですか?」
「お待ちください」
「コアには触るなって、この前そっちが言ったんですよね?」
「はい」
「絶対に触るなって」
「はい」
「俺も触りたくないって言いましたよね?」
「はい」
「じゃあ話終わりじゃないですか」
「今回は管理下での限定的な検証です」
「そうやって前回も始まったんですよ」
職員が少し困った顔をした。
俺は知っている。
協会側に悪意がないことは。
だから余計に断りにくい。
「多摩第一では、佐倉さんがコアと思われる物体へ《浄化》を使用した直後、ダンジョンそのものが消失しました」
「はい」
「一方、青梅第二では核には触れていません。それにもかかわらず、ダンジョン活動へ大きな変化が起きた」
「はい」
「今後、佐倉さんがダンジョン内で安全に《浄化》を使用するためにも、どこまで影響するのか確認する必要があります」
「……また俺のためでもあるって話ですか」
「それだけではありません」
「ですよね」
正直でよろしい。
「護衛は?」
「前回と同じ三名に依頼しています」
少し考える。
「真壁さんたち?」
「はい」
真壁修司。
森川千尋。
相田健斗。
あの三人なら、少なくとも知らない探索者に囲まれるよりはずっといい。
「中継ドローンは?」
「三機。管理センターから常時監視します」
「途中で変なことが起きたら?」
「即時中断します」
「本当に?」
「はい」
「前回も途中まで続けましたけど」
「今回は前回のデータを踏まえて、中止基準を厳しく設定しています」
そこまで言われると。
俺は資料をもう一度見る。
成功報酬の欄も見る。
「…………」
やっぱり高い。
「一回だけですよ」
「ありがとうございます」
「変なことが起きたら、すぐ帰りますからね」
「もちろんです」
俺はまだ知らなかった。
この時。
もっと強く断っておけばよかったと後悔することになる。
◇
三日後。
「久しぶり」
「どうも」
ダンジョン入口前で、森川さんが片手を上げた。
その隣には真壁さん。
少し離れたところで、相田さんが俺の装備を見ている。
「佐倉さん、なんか増えてない?」
「安全装備です」
「すごいな」
「二回も酷い目に遭えば増えますよ」
ヘルメット。
丈夫な探索用作業着。
滑りにくい靴。
救助用のワイヤー。
非常食。
応急処置用品。
戦うための装備は一つもない。
全部、
『もう落ちたくない』
『もう閉じ込められたくない』
『もう帰れなくなりたくない』
という強い意思で選んだ。
「戦闘装備は?」
相田さんが聞く。
「ないです」
「ですよね」
「何を期待したんです?」
「ちょっとくらい強くなったのかなって」
「掃除するだけですから」
そこは変わらない。
今回のダンジョン入口には、前回と同じように規制用の柵が置かれていた。
《協会検証作業のため一時立入禁止》
頭上には三機の中継ドローン。
『全探索者の装備確認完了』
「じゃあ行こう」
真壁さんを先頭に、俺たちはダンジョンへ入った。
◇
「……明るい」
最初の感想だった。
青梅第二へ初めて入ったときとは全然違う。
壁に設置された照明魔石が、しっかり通路を照らしている。
空気も淀んでいない。
少し先から、モンスターの鳴き声も聞こえる。
「普通の初心者ダンジョンですね」
「そういう場所を選んでるからね」
森川さんが測定器を見る。
「魔力濃度、正常。偏りもほとんどなし」
「それなら掃除しなくても」
「それはもう聞いた」
「ですよね」
『第一検証地点まで二十メートルです』
ドローンに案内されて進む。
最初の対象は壁際の古い血痕だった。
見た目だけなら、普段の清掃依頼と変わらない。
森川さんが測定。
「微量の魔力残滓あり。でも正常範囲」
『対象箇所への《浄化》を許可します』
「はい」
右手を向ける。
「《浄化》」
淡い白い光。
血痕が綺麗に消えた。
全員が周囲を見る。
「…………」
何も起きない。
「よし」
「何が?」
相田さんが聞く。
「何も起きなかった」
「まだ一か所目だぞ」
「一か所目から起きるよりいいでしょ」
その通りだと思う。
二か所目。
水路に溜まった薄い汚れ。
「《浄化》」
消える。
何もない。
三か所目。
壁際に残ったスライムの粘液。
「《浄化》」
消える。
何もない。
「ほら」
俺は少し得意になった。
「これですよ」
「何が?」
森川さん。
「掃除って、本来これで終わりなんですよ」
「普通はそうだね」
「やっと分かってもらえました?」
「佐倉君の場合はまだ分からない」
「なんでです?」
「前科が二件あるから」
「事故です」
少なくとも一件目は。
二件目は協会の指示だ。
その後も検証は続いた。
指示された場所だけ掃除する。
モンスターが出れば真壁さんたちが倒す。
俺は後ろにいる。
宝箱があっても今回は普通に昔からあるもの。
新しい通路も開かない。
モンスターハウスもない。
壁も動かない。
何もない。
素晴らしい。
「今日、普通に帰れそうですね」
「そういうこと言うと何か起きるぞ」
相田さん。
「やめてくださいよ」
俺は本気で嫌だった。
◇
第五階層。
最深部。
「佐倉さんは下がっててくれ」
「もちろんです」
広い部屋の中央。
初心者ダンジョンのボスが唸り声を上げる。
大型のオーガ。
俺一人なら、見た瞬間に逃げる。
でも真壁さんたちは違う。
真壁さんが盾で受ける。
相田さんが横へ回る。
森川さんの魔法が走る。
俺は後ろ。
本当に何もしない。
数分後。
オーガが光の粒子になって消えた。
「終わり?」
『ボスモンスターの消失を確認』
「じゃあ、帰りましょう」
「本番これからだよ」
森川さんが言った。
「知ってます」
知りたくなかっただけだ。
ボスが消えたあと。
部屋の奥で、床が淡く光り始めた。
石床がゆっくり開いていく。
その中から、青白い光。
「これか」
真壁さんが近づく。
俺も少し離れた位置から見る。
透明感のある青白い結晶。
人の胴体ほどの大きさ。
台座の上で淡く明滅している。
『ダンジョンコアの露出を確認』
ドローンが告げる。
俺は首を傾げた。
「……あれ?」
「どうした?」
真壁さんが振り返る。
「これ、前のと違いますね」
「前?」
「多摩第一です」
三人が結晶を見る。
「どこが違う?」
森川さんに聞かれ、考える。
「大きさもですけど……形も」
多摩第一で見たものは。
もっと大きかった。
俺よりずっと大きな、巨大な結晶だった。
黒いものに覆われていて。
それを《浄化》した。
「いや」
真壁さんが目の前の結晶を見る。
「ダンジョンコアなんて、どこでもこんなもんだぞ」
「……え?」
「少なくとも、俺が攻略で見てきたものはな」
相田さんも頷く。
「俺も。大きさに多少差はあるけど、佐倉さんが言ってるような巨大なやつは見たことない」
「…………」
俺はもう一度、目の前の結晶を見る。
「……そうなんですか」
なんとなく引っかかった。
でも、今は検証が先だ。
「佐倉君、まだ触らないで」
「触りませんよ」
森川さんが測定器を向ける。
「活動値正常。魔力循環正常。異常反応なし」
『測定値を確認しました』
三機のドローンが位置を変える。
コアを複数方向から撮影。
『佐倉探索者は指定位置まで移動してください』
「はい」
床に置かれた目印まで進む。
結晶までは十分距離がある。
「直接触らなくていいんですよね?」
『はい。まずは非接触状態で、最低出力の《浄化》を実施してください』
「最低出力って言われても調整できないんですけど」
『通常使用時と同様で構いません』
「最初からそう言ってくださいよ」
右手を向ける。
一応、全員を見る。
真壁さん。
森川さん。
相田さん。
三人とも準備している。
何が起きてもすぐ対応できる体勢。
頭上にはドローン。
管理センターともつながっている。
今回は。
前とは違う。
「……やります」
『《浄化》の使用を許可します』
「《浄化》」
白い光が飛ぶ。
結晶を包む。
数秒。
光が消えた。
「…………」
俺は結晶を見る。
変わっていない。
「何も起きない?」
相田さんが聞く。
「みたいですね」
ほっとする。
「ほら」
俺は笑った。
「普通ですよ」
ピッ。
小さな電子音。
森川さんが測定器を見る。
「……待って」
嫌な言葉だった。
「何です?」
「活動値が上がってる」
「え?」
森川さんが表示を確認する。
「少しだけ……いや」
数値が動く。
「まだ上がってる」
『管理センターでも変化を確認』
「ちょっと待ってください」
俺は結晶から一歩下がった。
『ダンジョン活動値、上昇を継続』
「どのくらい?」
真壁さんが聞く。
一拍。
『初心者級基準値を超過しました』
「…………」
三人が俺を見る。
「いや」
俺は右手を下ろした。
「一回しか掃除してませんよ?」
測定器がまた鳴った。
『活動値、さらに上昇』
「…………」
嫌な記憶が蘇る。
明るくなった照明。
増えたモンスター。
宝箱。
新しい通路。
中級ダンジョン。
俺は目の前の青白い結晶を見る。
「……また?」




