20.雨が烈火を招く
道なりに生える樹木の葉先から朝露が落ちる。
その雫ごと太陽が照らす庭園の裏道を歩きながら、マルティエナは今日も秘書局に向かった。
「おはようございます――?」
秘書局に席を用意されて早二ヶ月。
今ではノックなしに入室することが通常になっている。いつもと変わらぬ挨拶。
けれど、いつもとは異なる落ち着かない空気が流れていた。
「おはよう、マルティエナ女官」
扉に手をかけたまま固まったマルティエナに声を潜めた挨拶を返したのはルドだ。
手招きに従って耳を寄せると、ルドがそっと声を落とす。
「今ね、ブラウ宮内官のもとに魔導騎士団の副団長が来ていらっしゃるんだよ。騎士団や魔法士団と合同の摸擬戦に参加してくれないかって。王立魔法学院でトップクラスだったブラウ宮内官がいたら、訓練の質が上がると仰っていてね」
浅く頷いたマルティエナは視線を秘書局の奥へと移す。
上官室の扉は閉まっているけれど、大きな声で話せば漏れ聞こえる造りだ。そして、魔導騎士団副団長は快活で良く通る声をしている。
キギリも他の宮内官の皆も、扉の向こうへと耳をそばだてていた。
「ブラウ宮内官はあまり気が乗らないのか、話が長引いているんだ。これまでは殿下と行動を共にされていたたから、またとないチャンスだって向こうも押しが強いみたい」
そう話して肩を竦めたルドも、意識はしっかりと上官室に向いている。
(王国軍の摸擬戦……見てみたいかも)
兄として王立魔法学院に通っていた時に、ブラウの魔法は見たことがある。
遠距離から水を自由自在に扱り、敵を寄せ付けない戦い方をしていた。
学院に入りたての頃は魔法の迫力に圧倒されてばかりだったけれど、魔法を学び続けた今なら、違う見方ができるかもしれない。
(でも仕事を放り出していけないし、観戦は無理だよね)
内心で溜息を吐きながら様子を見守っていると、上官室側の席に座る宮内官が振り返って手を慌ただしく払う。
その合図で皆が一斉に席に座り、姿勢を正していった。
「さっ! 僕らも!」
ほら早くと急かされ、間も無く扉の開閉音が響く。
自席に座ると秘書局の内部に背を向ける形になるけれど、通路の壁に沿って机の並ぶ宮内官の合間を縫って歩く魔導騎士団副団長に順次挨拶する声が近づいてくるので、状況は目に浮かぶ。
そうして目の前を通り過ぎて秘書局を去っていった副団長は見るからにご機嫌だ。
「副団長の粘り勝ちかな。見学が楽しみになってきた」
ルドの何気ない発言にマルティエナは瞬いた。
「見学できるのですか?」
「ん? うん。俺たちは事務方だけど、現場を知っておくのは大事だから。色々な状況を想定する模擬戦を見ておくと、物資や予算配分とかもイメージしやすいからね。余程のことがなければ宮内長官が許可してくださるんだ」
(そっか。模擬戦の見学は仕事としても大事なことなんだ)
エレノアが何かしらの形で関わっていくことだ。
仕事を全うする上でも必要と知ると、個人的な興味があった分も期待が跳ね上がる。
けれど、流暢に説明したルドの視線がしまったとばかりに上へと泳いだ。
「ごめん……マルティエナ女官はブラウ宮内官次第だったね。直接聞いてみると良いよ」
「そうですよね、聞いてします」
申し訳なさげに仕事を始めたルドに倣ったマルティエナだったが、見学が出来るかもしれないと思うと気もそぞろになるもので――
「すまないが君には見せられない」
ブラウに聞けるタイミングを伺って問いかけたものの、考える素振りも見せずに首を横に振られてしまう。
(駄目かぁ……でも、そうだよね。秘書局としては必要でも、女官は流石に業務外になるのかも)
残念に思った落胆を隠そうとして「分かりました、無理を言ってすみませんでした」と反射的に頭を下げる。
けれど、一足遅かったらしい。
「そう気を落とさないでくれ。私は君のためにも見ない方が良いと思ったんだ」
「私のため……ですか?」
「今回の模擬戦は、社交シーズンに開催されるような個々の力を競う決闘試合とは趣が異なるんだ。より実践に近い形で――双方に不利な状況を与えた中でのチーム戦で、武器も問わない」
言い淀むブラウの咳払いが部屋に響く。
「必要なら手荒な真似もするし、何より多少の流血も容認されている。あまり気分の良いものではないだろう」
その言葉の端に滲む緊張に、マルティエナは浮かれていた自身を反省する。
外部に非公開の訓練を生半可な気持ちで見れば後悔する。
端的な説明の裏には、静かな警告が混ざっていた。
ブラウの気遣いに安易な気持ちで返事はできない。
手を当てた胸に感じるざわつきを落ち着かせるために、息を深く吸う。
「私、見ておきたいです。もちろんブラウ宮内官が許可してくださるならですが、エレノア様が今後関わるかもしれないことを私も知っておきたいと思っています」
知らずに過ごして後悔することの方が怖い。
必要な時にエレノアの力になれるように。
ブラウに気を遣わせるのではなく――叶うなら、ルド達のように今後に活かす為に見て学ぶことを期待される女官になりたい。
お願いします、と改めて頭を下げると、ブラウは「そうか」とだけ告げて頷いた。
◇◇◇
はらはらと雨が降る林に霧が立ち込めている。
膠着しているように見えた状況のなかで、火花が散った。
低く鈍い爆音が轟き、停滞していた霧が騒つく。
反射的に耳を塞いだマルティエナは、霧を押し上げるように舞い上がった熱風に顔歪ませた。
(凄い威力……! 水の季節でこんなに強い火魔法が使えるの!?)
模擬戦の様子を見渡せる展望台にまで、燃えていると錯覚しそうなほど熱い風が届いている。
空から降り注ぐ小雨さえ掻き消してしまう暴風だ。
「下がって」
隣に立つキギリがマルティエナの肩を引く。
舞い上がる熱から守るようにその身を盾にしてくれたキギリに礼を言おうと顔を上げたけれど、崖下から目を離せないと言わんばかりの表情に、マルティエナも瞬時に視線を戻す。
蔓延していた霧が薄れ、戦場の輪郭がはっきりと見え始めていた。
猛攻を仕掛けた魔導騎士と、その剣を受ける騎士が中央にいて、他の騎士も加勢に加わらんと動いている。
拮抗していた攻防が崩れることを誰もが感じていた。
(単純な一騎打ちだと人数が少ないブラウ宮内官のチームが不利。だけど)
水魔法を得意とするブラウに天候が味方している。
爆発的に吹き上がった熱風で消えてしまった霧よりも、空から降り続く雨や地中に溜まった水分のほうが遥かに多い。
シュルシュルと集った水が迫り来る敵を阻む壁となり、形を変えて氷の刃にもなる。
人数差を覆してしまう攻めと守りの魔法だ。
攻める者を徹底的に排除するブラウの魔法と前衛で剣を振るう騎士のチームが有利と思われた戦況のなか、水壁を切り裂いた焔が爆ぜた。
「――降参だ」
その声は、静かなのに遠くまで届いた。
いつの間にか、鈍く光る赤鋼の剣がブラウの喉元に突きつけられている。
そこには入団三年目の魔導騎士であるエレノアの幼馴染――アトロス・サングレノスの姿があった。
◇◇◇
「ブラウ宮内官は負けちゃったかー。まあ本業で飯食ってる側が負けたら大問題だよな。期待のエースまで呼び出してさ」
帰りの山道でキギリが肩を落とす。
ブラウが降参を宣言して間も無く決着はついた。
元々人数差のある編成で、ブラウは少人数側。大人数のチームにも不利になる条件は付けられていたけれど、ブラウが主力となり互角の戦いをしていたのだから十分な成果だろう。
見るからに残念がるキギリにマルティエナは首を傾げる。
「期待のエースってブラウ宮内官を捕らえた方ですか?」
「そ。入団したての頃からヤバい奴が入ってきたって言われてたけど、実践積んで動きに迷いがなくなった気がするな。そういえばシュネヴィオール子爵令嬢の学友なんだっけ」
「でしたらエレノア様のご友人のサングレノス卿はあの方ですかね? 火魔法が得意で赤髪の男性と聞いていましたし」
「あーそうそう、そんな家名だったわ」
『マティアス・オーレン』だった頃に交流はあまりなかったものの、マルティエナとしては王立魔法学院での四年間を共に過ごした学友だ。
群を抜く威力の魔法を器用に使いこなすのは苦手なようで、単調な魔法と鍛えた剣術でごり押しする性分だった。
(チーム戦は向かない印象だったけど、卒業して三年経てば変わっていくよね)
荒削りだった面が研ぎ澄まされていたし、霧を吹き飛ばす熱風には他者の魔法も加わっているはずだ。
(それにしても、キギリ宮内官は戦術にも王国軍の団員にも詳しいみたい)
模擬戦の一部始終を隣で見ていれば、どこに注視しているかが伝わってくる。魔法の発動や人の動きを追う反応も早かった。
キギリもヴァルトセレーノ王立魔法学院を卒業したのだろうかと疑問を問いかけようとした時、背後から声が上がった。
「おーいキギリー!」
名を呼ばれたキギリにつられてマルティエナも振り返る。
魔法士団の制服を着た青年が手を振りながら、人の合間を縫うように駆けてきていた。
「悪い、マルティエナ女官。あいつとちょっと話してくるわ」
「はい。私のことはお気になさらなくて大丈夫ですので、ごゆっくりどうぞ」
そうして先に歩き出したものの、展望台で模擬戦を見届けた大勢の者達と同じ歩調で帰路につく中では、そうそう距離は開かない。
ひとりで歩いていると周りの会話に意識が向きやすい。取り分け、聞き慣れたキギリの声は意識せずとも耳に届いた。
「賭けは俺の勝ちな! 飲みまくってやるから覚悟しとけ」
「わかってるよ。何、まさかそれだけ?」
「お前だけ女の子と楽しんでて腹立つから邪魔してやろうと――いででッ、やめろよ冗談だっての」
どうやらキギリは賭けに負けたから落胆していたらしい。
不機嫌さを隠さないキギリを揶揄うように声高に喜んでいた魔法士が一転して、息を潜めた気配が背後から伝わった。
「前にお前が話してた峡谷の件ってどうなん」
「どうも何も知らないよ。あれから音沙汰ないし。むしろそっちに情報入ってきてないの」
「や、俺も知らん。上層部が気にかけてるみたいで、お前に探り入れろって言われてな」
ここ最近の秘書局には、魔獣や盗賊による被害や自然災害、農作物の成育不良など様々な報告が各領地から舞い込んでいる。
国に仕える魔法士や騎士、魔導騎士の応援要請の他に、領地内で対応できる事案でも国税の減額申請に関わるので、その下準備の意味もある。
二人が話している"峡谷"の話はそうした報告のひとつだろう。
(有名な峡谷は国内でも何箇所かあるけど、何かあった時に危険なのはどこも一緒だよね)
地形の入り組んだ環境下では、土地勘のない王国軍の団員よりも各領地の兵士のほうが何倍も上手く立ち回る。
応援部隊の介入によって連携が乱れて、問題の解決が遅れることだってあるらしい。
だから、応援を送るなら少数精鋭で――取り分け、幅広い支援が行える光属性の魔法士が赴くことが多い。
(何事もなければ良いけど)
マルティエナの願いを肯定するようにキギリが浅く笑う。鼻を鳴らす薄ら笑いを浮かべたキギリの表情は、顔が見えなくても想像がついた。
「なら残念だったね。気にするほどのことでもなかったのかもしれないよ。よくあるだろ、要件だけ送っておいて、必要なくなったら連絡も寄越さない――なんてさ」
けれど、その声にはどこか釈然としない響きがあった。




