後編
マルコは、時計台に戻ってきました。
そもそもは、ここが「はじまり」ですから、なにかヒントになるものはないかしら、と思ったのです。
時計台はいつもと変わらない姿で建っています。
クロウの時計台。
そう呼ばれている時計台は、マルコのおじいちゃんが造ったものです。
外国からやってきたおじいちゃんは、東国から呼ばれた時計技師でした。
遠い国からやってきて、おばあちゃんに出会って、恋をして、そうしてこの町に住むことにしたのだそうです。
時計台には、おじいちゃんが施した秘密がたくさんあります。
それはこっそりと隠されていて、あまり目立ったものではありません。どうしてなのかと尋ねてみると、おじいちゃんは笑って答えました。
――秘密だからいいんじゃないか。それになあ、見えないところに名前を記すのは、棟梁の特権だと思うんだよ。
――トーリョーってなに?
――親方のことだ。じいちゃんの国ではなあ、そんなふうにして自分が手掛けた建物に、こっそりサインを入れるひとがいたそうだよ。
気づかれないようにするなんて、おかしな話だとマルコは思いましたが、おじいちゃんは笑っていました。
それが「イキ」なのだそうです。
時計の仕掛けのひとつに、安息日があります。
一週間に一度。町のみんながお休みする日は、時計だってお休みします。
鐘が鳴る回数が、いつもより少なくなるのです。
その日だけは、みんなゆっくり、おねぼうさんになるのでした。
――そうだ。今みたいに、静かになるんだ。
マルコは階段を上がり、鐘がある部屋へ向かいました。
鞄のポケットに入りきらなくなった精霊たちは、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら付いてきます。猫のユキもマルコの足もとを走ります。
時計の部品がうごめく部屋に向かうと、そこはしんと静まっていました。いつもはキリキリとまわっている歯車は、ロウで固めたみたいに止まっています。
鐘がある場所を見上げると、垂れ下がった紐になにかがぶら下がっていました。
「キミは7の精霊さん?」
「せいかーい。ぼくは7時の時精霊シェテ」
するすると下りてきた精霊が、マルコの肩に乗りました。
「鐘を止めたのはキミなの?」
「それがぼくの仕事だもの。7日ごとに、鐘の音を止められるのは、7の特権さ」
「うん。それはとっても大切な仕事だとぼくも思う。だけど、今の状態は正しくない。ずっと時が止まったままなのは、おかしいよ」
「鳴らしたくても鳴らせないのは、さみしいね」
そろそろ身体を動かしたいんだ。
7時の精霊は床に降りて、他の時精霊と合流します。
マルコを中心に、ぐるりと11人が立ちました。
あとひとつ。欠けている場所があります。
8の数字。
マルコはおじいちゃんの言葉を思い出しました。
――8は偉大な数字なのだよ。
――横向きにしてごらん? 無限の数に早変わりだ。
――それになあ、じいちゃんの国では幸運の数字なんだ。
「末広がりの8。どこまでも広がっていく、無限にして永遠の存在」
「そうだよ、はじまりもおわりも超越したのが、ぼくさ」
声が空から降ってきました。そして、空いていた位置にトンと着地します。
8時の精霊オーチョが現れて、マルコを中心についに円が完成したのです。
手の中の懐中時計が光り、すべての数字があるべき場所に収まりました。
けれど、歯車は動き出しません。
まだ、時は止まったままなのです。
「カイロスさまは、怒っているんだ」
「……カイロスさま?」
「時刻の神さまさ」
時の精霊たちが言いました。
この町で、ひとびとに時刻を告げてきたクロウの時計台。
ずっとずっと昔から時を刻んできたのに、その役目を取り上げてしまうなんて、許しがたいことだと。
「だけど、あたらしい時計台だって、おなじように時刻を告げるんだ。もっともっとたくさんのひとたちの耳に届くぐらい、とってもおおきな時計なんだよ」
「だが、それはもうクロウの時計ではない」
割り込んだ声は、大人の男のひとのものでした。
夢の中で聞いた、あの声です。
マルコが声のほうを見ると、黒い髪をした男のひとが立っていました
長く伸ばした前髪で顔がよく見えませんが、声の調子は強いものでした。
「クロウが造って、大切に守ってきたもの。大事にしないヤツらなんて、時の狭間に閉じ込められてしまえばいいんだ」
言いきった声は強くて、けれど、とても哀しみに満ちたものでした。
マルコにはわかりました。
このお兄さんは、おじいちゃんが――クロウのことが、とってもとっても大好きなのだ、と。
時計を愛するクロウおじいちゃんは、自分が手掛けた時計台のことを、とても大切に愛していました。
それは、おばあちゃんが嫉妬するぐらいです。
時計に名前だってつけました。
マルコにだけこっそり教えてくれた名前は、カイロス。
時計がある部屋のすみっこに、こっそりと名前が彫られていることを、マルコは知っています。
古いものには精霊が宿るもの。
このお兄さんは、時計台の精霊なのだとマルコは思いました。
だから――
「ぼくが守るよ」
「おまえが? なにを?」
「この時計台。クロウおじいちゃんみたいな立派な時計技師になって、ぼくがおじいちゃんになっちゃうまで、ちゃんと動くようにするから」
「……それが本当になるって、どうしてわかる」
「わからないよ。ぼくにだって、わからない。だけど、カイロスは時刻の神さまなんでしょう? 今日も、明日も、ずっと先の未来も、ぼくが失敗したり成功したりする瞬間ひとつひとつが、あなたが司る時そのものだ」
お兄さんはため息をついて、肩をすくめます。
マルコはついでとばかりに言いました。
「おおきな時計台ができるからって、ここがなくなってしまうわけじゃないよ」
このあたりのひとにとっては、クロウ・トキツの時計台こそが、正確な時刻を告げる『神さまの声』なのですから。
「ならば、ひとまずはおまえに託してやろう、クロウの孫。我らをないがしろにするようであれば、すぐさま時を止めてやるからな」
カイロスが宣言したとき、マルコの足もとにいた精霊たちがひとりひとり浮かび上がりました。
薄暗い部屋の中、それはまるで星のように輝きながらカイロスの周囲を飛び回ります。
ガコン。
彼らが舞うごとに、歯車が動きだしました。
ゴトン、ガコン。
静寂が破られて、音が耳に届きはじめました。
なつかしい、いつもの音です。
おおきな音におどろいたユキが、しっぽを太くして飛び上がり、部屋の外へ逃げていきます。
それを追いかけようとしたマルコの耳に、ゴーンと鐘の音が届きました。
ぐわんぐわんと反響して、他の音がなにも聞こえなくなります。
「ぼく、がんばるから! みんな、見ててね!」
マルコは声を張りあげました。
おおきな鐘の音におもわず耳をふさいだとき、誰かに背中を押されます。
部屋の外に足を一歩踏み出した途端、床が抜けたような感覚におそわれて、マルコは手足をバタつかせました。
ニャオー。
手にあたたかいものが触れました。ふわふわの手触りは、毛布とは違うものです。
「……ユキ?」
逃げてしまったと思ったユキは、時計台の中にまだいたのだと安心したマルコは、自分が毛布にくるまっていることに気がつきました。
薄暗い部屋には、時計の歯車が回転する音が響いています。
――そうだ、時計!
マルコは毛布をはぎとって、転がるようにして外へ出ると、時計台を見上げます。
文字盤には1から12までの数字が、いつもどおり順番に並び、長針と短針が時刻を示していました。
早い時刻だというのに、もう仕事に向かうひとの姿も見えます。
朝の鳥が鳴く声も、かすかに聞こえてきました。
――動いてる。時間がもとに戻ったんだ。
時の精霊たちを探した時間はどれぐらいだったのか見当もつきませんし、そもそもあれが本当だったのかもわかりません。
けれど、マルコの首には懐中時計がぶら下がっています。
家の引き出しに置いてきたはずの時計が、ここにあるのです。
ゴーン。
鐘が鳴りはじめました。
ゴーンゴーンゴーン……
短針が示しているのは、6。
時刻は6時。一日のはじまりです。
マルコは鐘が鳴り終わるよりもまえに中へ戻り、荷物をまとめます。
ユキを連れて時計台の外へ出るとしっかりと鍵を閉めて、家に向かって走りはじめました。
帰っておとうさんに伝えるのです。
おとうさん。将来の夢が見つかったよ。
ぼく、立派な時計職人になる!
マルコの時間も、今まさに動きはじめたばかりです。
おしまい




