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精霊使いの村  作者: 西玉
第一章魔物の要塞
7/38

7 精霊使い最大の術

 ――あれか……。


 激しい雨でずぶぬれになりながら、シリウスは小さな火を発見した。

 遠い。

 雨に追いたてられたこともあり、息が上がっていた。それでも、走った。雨にぬかるんだ地面を蹴りたて、要塞に設えられた居住部分と思われる建物群の一画に辿り着いた。周囲の建物より、一周り大きい。


 シリウスは建物にへばりつき、大きく深呼吸した。雨は上がりつつあった。松明やかがり火を使えなくすることが目的だ。あまり長期に降らせる必要はない。シリウスは、鎧を慎重に脱いだ。雨の音がなくなれば、深夜に金属の鎧を来て動きまわるのは、侵入者だと大声で叫んでいるようものだ。

 建物を見上げる。要塞内部であり飾り気はなかったが、均等に組み上げた石造りの構造物の壁面は滑らかに磨きあげられていた。魔物が造ったとは思えなかった。過去の遺跡に魔物が棲みついたにしても、手入れが行き届き、荒れた様子がないのは妙だ。


 鎧を脱ぎ捨て、剣だけを佩き、シリウスは火を認めた場所を見上げた。現在のシリウスの位置からは、火は見えなかった。おそらく、建物の三階部分のはずだ。雨は止みつつあったが、上空の雲はどかず、辺りは夜行性の動物以外は見透かせないほどの闇に覆われていた。

 要塞を占拠している魔物が、夜行性ではないことは確認済みだ。


 足場はない。シリウスは舌うちし、三階に上る方法を探した。何としても、外壁を登ることに決めた。多少危険でも、入口から建物の内部に入り、魔物に囲まれる可能性を試すよりはましだと思えた。

 鎧を脱いだため体は軽い。金の術者の中でも、鍛え方では誰にも引けを取らない自信はある。

シリウスは、壁に張り付くように岩壁を登った。滑らかな壁面とはいえ、岩を積み上げたものである。岩と岩の隙間には、指を入れるぐらいの凹凸はあった。闇を利用し、足元が全く見えないほどの高さまで上がった。


 手が滑ったら、落ちて死ぬのだろうか。

 想像してから、恐ろしいイメージに体が震えた。

 筋肉も冷え、指先に力が入らなくなってくる。気がつくと、目的の高さまで上ってきていた。目の前に、ベランダのような足場が突き出ていた。手を伸ばすと、磨かれた廊下のような平らな足場があることを、手のひらの感触が伝えてきた。突き出した手に力をこめ、体を引きあげた。


 転がるように上がり、シリウスは大きく息を吐いた。格子状に板が打ちつけられた、窓があった。機密性を考慮したものではなく、外からの侵入を防ぐためのものだろう。

格子状に張られた板は、腕が入るほどの隙間があった。中の様子を見ることができた。

 油を入れた器に、紐が垂らしてある。その先に、火が灯っていた。


 原始的な明かりだが、魔物が使うようなものではない。室内の様子が、小さな火の中に浮かび上がって見えた。

 木材で作られたしっかりとした机に、広げられた羊皮紙の上には、羽ペンが置かれていた。インクつぼがあり、横の棚には本と思われる束が並んでいた。


 魔物の住まいとは思えない。人間がいるのに違いない。あるいは、魔物に捕まっているのかもしれない。

 シリウスが木の格子を掴み、力を込めると、木枠そのものが窓から外れた。外からの侵入を防ぐためのもののはずだが、外敵を想定したわけではないようだ。鳥避けだろうか。

 窓から侵入した。室内の様子が、さらにはっきりと解る。棚に並んでいるのは、背表紙に金の装丁を施した高価な本だった。机の反対側には、大きなベッドがあった。寝ている者はいない。扉があった。閉まっている。木の板に金細工で飾りを付けた優雅な扉が、鉄の蝶番で留められている。


 足音がした。シリウスは、ベッドと壁の間に身を隠した。

 足音が止まり、音も無く扉が開いた。入ってきたのは、カップを持った華奢な姿だった。長い髪を背に降ろした、茶色い肌と高い鼻梁、大きな瞳が印象的な、まだ若い娘だった。人間だ。少なくとも、外見から判断する限り。

 娘の足が止まった。噴きこむ風がいつもとは違う。シリウスは、外した窓の格子を戻しておかなかった。娘はゆっくりと足を動かし、机の上に、カップを置いた。シリウスはベッドと壁の隙間から音も無く這い出し、娘の背後に回った。


 聞きたいことが山ほどあった。なぜ、魔物の要塞に人間がいるのか。人間に化けているだけなのか。捕まって捕虜にされたのか。他にも、人間がいるのか。だが……。

 窓から吹き込む空気は、雨上がり直後とは思えないほど乾燥していた。エリスとユーリーの準備が、着々と進行している。雨で火を使えなくした後は、空中の水蒸気を可能な限り払い飛ばす予定だった。


 娘は、窓から顔を出した。窓の下に外された格子を発見したらしく、窓から身を乗り出して下を覗き込んだ。シリウスは、娘の背後にいた。油の容器から顔を出している、火の灯った紐を引き抜いた。先端の火を指で摘まみ、消した。

 不意に訪れた闇に、娘は振り向いた。シリウスは娘の口を塞いだ。


「色々と尋ねたいが、悪いな、時間が無い」


 シリウスの拳を腹部に受け、娘は昏倒した。


 ――本物の人間みたいだな……ああ、いいものがある。


 ベッドからふわふわした布団を引きはがし、気絶した娘と一緒にくるまると、シリウスは窓から飛び出して地面まで滑り降りた。






 ――鎧を身につけている時間はなさそうだな。


 外に出た後の空気の匂いで、シリウスは悟った。『酸素』が濃い。風の術者エリスが大気の成分をより分けている。計画の実行が近い。

 娘を残しては行けなかった。建物の中にいようと、ほぼ確実に死ぬ。連れて行くしかなかった。肩に担いだ。疲労していたはずだが、体が軽い。普段着ている鎧を脱いだだけではない。普段よりはるかに濃い『酸素』が、体内から乳酸を追い払ってくれているのだ。

 エリスに感謝しながらも、シリウスは残された時間の短さを噛みしめた。


 鍛えた体でも、体重の軽い華奢な女性でも、人間一人を担いで走るのは楽ではなかった。

いくつか角を曲がり、ようやく武器庫が見えた頃には、シリウスは全身に汗をかき、荒い息をしていた。

 濃い酸素の中でさえ、限界を感じた。いつしか雲は追い払われ、天空には星がまたたいていた。

 女性を一旦降ろした。再び担ぎ直そうと手を掛けた時、女性の目が開くのが解った。


「気がついたか。走れるか?」


 シリウスは、女性を助けようと一生懸命だった。そのために全力を尽くしていた。時間が限られている中で、遅れることはシリウス自身の命も危なかった。だから、忘れていた。シリウスは、目の前の女性を誘拐したのだ。


「けだもの!」


 女性に頬を張られた。シリウスに避ける余力はなかった。平手を顔で受けた。その代わりに、立ち上がろうとする女性の腕を掴み、強引に走り出すことにした。


「ちょっと。やめなさい! 私が誰かわかっているのですか!」


 走り出した足を反転し、シリウスは掴んだ腕の持ち主を振り返った。腰の剣を抜き放ち、剣の腹を女性の喉に押し当てた。


「さわげば殺す。俺の言うとおりにできないなら、どうせ死ぬ。後、ほんの数分だ。だからここで殺しても俺は構わない。わかったか?」

「……何が起こるのです?」


 女性の声が低く落ちた。シリウスは答えなかった。時間が惜しかったのだ。掴んだ腕をそのままに、再び引きずるように走り出した。ようやく、武器庫に辿り着いた。


「エリス、ユーリー、あとどれぐらいだ?」


 武器庫の上の人影に、シリウスが呼びかける。影の一つが動いた。より細く、小柄なほうが、武器庫の壁を滑るように降り立った。


「私のほうはもう終わっているよ。もうこの辺りの湿度はゼロに近いから、エリス待ち。そんなにかからないと思う……誰?」


 ユーリーの視線が、シリウスに引きずられるように走ってきた茶色い肌の女性に向いた。シリウスが答える前に武器庫の扉が開き、モーデルが顔を出した。


「シリウス、ようやく戻ったかい。女三人が潜れるだけの穴は掘れたが、あんたのスペースはないよ。どうする……誰だ?」


 二人から同じ問いが出された。答えは決まっていた。


「知らない」


 シリウスの口から咄嗟に出たのは、紛れもない真実である。


「どうして、余計な奴を連れてきているんだよ。穴を広げている暇なんかないよ」

「魔物の要塞に人がいたんだぞ。見殺しにはできないだろう。人間を捕まえてある以上、捕虜か食料だ。死ぬことが解っていて、置いてこられるはずがないだろう」

「魔物の要塞って、どういうことですか?」


 モーデルを説得しようとしていたシリウスは、背後から声をかけられ、眉を寄せて振り返った。浅黒い肌をした瞳の大きな女性が、毅然とした態度で問いかけていた。

 何も説明していないのは確かだが、魔物に囚われていたところを人間に救出されたにしては、おかしな態度だ。シリウスを誘拐犯だと思っていたとしても、あまりにも堂々としている。

震えてもいない。濃い酸素の中で、唇はむしろ血色がよかった。


「自分の置かれた立場を理解していないのか? ここは魔物の要塞だ。どうしてあんたが連れてこられたのかは、後で聞いてやる。とにかく、俺達はこの要塞を吹き飛ばしに来た。時間がない。一緒に吹き飛ばされないよう、あんたも協力しろ」

「シリウス!」


 振り返ると、モーデルが険しい顔をしていた。いつも一緒にいるガリギュアの前以外では、常にあまり機嫌のよくない女だが、それにも増して、深刻に見えた。


「どうした?」

「余計なことを喋るな!」

「下手に騒がれるよりいいだろう。魔物が集まってきたら、面倒なことになる」

「『吹き飛ばす』ですって?」

 女の声は、可能な限り抑制された、だが甲高い声だった。

「そうだ。だから、隠れる場所を確保する必要がある。外からは隔絶された空間がいる。精霊使いの使う力の中でも、最大のものだ」


 モーデルがいらついているのは解っていたが、何より時間がない。シリウスは早口で言いながら、女を武器庫に連れ込むため腕を取ろうとした。女はシリウスの手を振り払うように腕を振った。実際に振り払ったのだ。


「要塞全体を吹き飛ばすのですか?」


 女の声が、抑制から開放されたかのように跳ね上がった。


「ああ。力が大きいから下手に制御はできない。要塞を含めた辺り一帯を焼きつくす。わかっただろう。協力しろ」


 シリウスが女の腕に再び手を伸ばした。女はまたも振り払おうとしたが、シリウスは許さなかった。所詮力が違う。抵抗を感じながらも、シリウスは女の腕を押さえつけた。


「この要塞にどれだけの人間がいるか、わかっているのですか?」

「……あんた以外にも人がいるのか?」


 シリウスが唇を噛んだ。女はシリウスの表情を見て、むしろ衝撃を受けたようだった。シリウスの肩を掴み、ただでさえ大きな目を、剥き出すように広げた。


「二〇〇人の魔物の兵士を殺すために、五〇〇〇人の人間を吹き飛ばすのですか?」

「……五〇〇〇人?」


 聞いていた話とは違う。要塞に人間は一人もいないはずだった。改めて問い返す時間は与えられなかった。頭上から、声が落ちたのだ。


「シリウス」


 エリスが武器庫の屋根を降りた。準備が整ったに違いない。今この要塞を取り囲む空間は、純度九九パーセントを越える、酸素のみに保たれている。エリスの呼びかけは、シリウスに作戦の続行を促すためのものだ。術に集中していたエリスは会話を聞いていなかったらしい。シリウスは動かなかった。

 代わりに、モーデルが剣を抜いた。


「待て!」


 高純度の酸素は、わずかの火に反応して巨大な燃焼を引き起こす。金属が打ち合わされることにより発生する火花で十分だ。金属の武器や鎧はそれゆえに慎重に扱わなければならず、扱いを間違えれば取り返しのつかないことになる。


「話が違う。作戦は中止だ」


 モーデルの剣が、シリウスの喉に突きつけられた。


「もう手遅れさ。急いで隠れな。何が起こるか解っているだろ。さっきも言ったけど、あんたの隠れる穴はないよ」

「モーデル……知っていたな。ここが魔物の要塞じゃないことを」


 鋭い顔つきをした女の金の術者は、ほんのわずかに笑って見せた。


「まさか。知るはずないだろう。知っていたら、仲間に隠し事なんかするもんか」


 ユーリーとエリスは予定通りに武器庫に隠れた。長い間極度の集中状態にあった二人は、状況の変化を理解していないようだった。居るはずのない第三者の存在も、シリウスの焦りも、エリスは認識さえしていないだろう。モーデルが二人の後を追った。計画を止めることは、もはや不可能に近い。要塞を包む高純度の酸素を、一切の火花すら発生させずに霧散させるには、水と風の術者が憔悴しすぎている。


「どういうことです?」


 浅黒い肌をした美女が、きつい口調で尋ねた。議論の余地はない。計画を実行するしかない。


「この近くに……深い穴はあるか?」

「向こうに、井戸があります」

「案内してくれ。すぐに!」


「まだ、私の話が終わっていません」

「あっちだな」


 女の華奢な体を強引に抱き、シリウスは走り始めた。井戸はすぐに見つかった。蓋がしてある。シリウスは女を抱えたまま蓋を蹴飛ばした。剣を抜き放つ。井戸は深い。シリウスは井戸に飛び込みながら、井戸を囲む岩の一つに剣を投げつけた。幸いにも枯れ井戸ではなかった。王女を名乗る娘の頭をつかみ、一緒に水に潜る。






 投げた剣が岩とぶつかる、高い音が水中にまで届いた。

 火花が散ったのだろう。それで、十分だった。






 轟音と震動が、深い縦穴を揺らした。


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