97日
珍しく日にちを置かずにバルド様とレオン様が訪れた。大抵お二人は週に一度来るかどうか。王宮遣えとあり、お忙しいそうだ。しかも二人が揃うことはあまりない。余命100日効果だろうか。
「ノワールは?」
「いつもならそろそろ帰ってくるころかと」
レオン様の問いに答える。
そう、いつもならそろそろ窓から帰宅するころだ。普段は猫姿でいるノワールの玄関は窓である。噂をすればなんとやら、窓のカーテンが揺れて黒猫が現れた。が、彼はすぐにきびすを返して窓から出ようとした。しかしレオン様がそれを許さず人差し指を窓に向けて、それからくいっと自分の方へ折り曲げる。するとノワールが出ようとした扉はひとりでに閉まってしまった。
「おい、なにすんだよ!」
そう叫んだノワールは既に人型となっていて、レオン様に詰め寄った。
「主人が来ているというのに毎回留守なんて失礼じゃないか?」
「うるせえ、お前なんか主人じゃねえよ。ご丁寧に気配まで消してくれやがって」
「はいはい。まあ主人じゃなくてもいいけど話があるから出ていかれたら困るんだ」
「話?」
「そう、話」
レオン様がもう一度繰り返すと、仕方がないというような雰囲気を出しながらノワールは空いていた席に座った。
しかし、レオン様の話とは一体なんだろう。よっぽどのことがなければレオン様はノワールを引き留めない。というのもノワールとレオン様がこうして顔を会わせて話すのを私は過去に一度しか見たことがないのだ。
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その日は久しぶりに悲しいと言う感情を抑えられなくなってノワールに泣きついていた。ここで注意してほしいが決して人型のノワールに泣きついていた訳ではない。万が一にもしない。ソファーに体育座りをしてノワールを抱き、背に顔を埋める。ノワールの体温が暖かくて安心するのだ。そういえばここしばらくバルド様もレオン様も来ていないなあと思う。そのせいで寂しくなったのかもしれない。いつから私はさみしがり屋になってしまったのだろう。
10分ほどぐずぐずとしてひと息つく。くよくよ悩んでいるタイプではないので一度泣いてすっきりしてしまえばあとは切り替えることができた。うわあ、ノワールの背が濡れていて少し申し訳ない。私が顔をあげるとふんすと鼻をならしてこちらを見るノワール。ちゃんときれいにしろよってことですね、わかります。濡れタオルでも用意しようと立ち上がるために少し腰を浮かすと、それを察したノワールが私の膝から降りる。ノワールは自分の背を確認するとまたふんすと鼻をならした。
「ごめんってば」
きっと鼻水もついているだろうし早く拭いてやろうと思ったそのときだった。
コンコンと扉をノックする音。いつもはすぐに開けるのだけれど今日はそうもいかない。なにせ泣いている顔のままなのだから。ノワール以外に泣いているところを見せるのは恥ずかしい。
「すみませんちょっと待っていてください」
「了解」
外にいる訪問者に声をかけるとレオン様の声が帰ってくる。
待たせるのも悪いと思い私は急いで洗面所に向かおうとした。そのとき視界の端に窓から外に出ていこうとするノワールの姿が見えた。まだ背中の涙やらは吹いていない。そのままだと乾いて毛並みが可哀想なことになるのは火を見るより明らかだ。
「待ちなさいノワール」
窓を閉めてノワールが出ることを阻止する。
「にゃお!」
「さすがにそのまま出るのはまずいと思うよ」
「にゃお!!」
「わかった急ぐから怒らないでよ」
よくわからないが尻尾を床にぺしぺし打ち付けて怒っているように見えるので急いで濡れタオルを用意しなければ。
そう思って急いだのがいけなかったのだが、丁度そばにあった花瓶に私の手が当たった。あっと言う声はバリーーンと響いた音に吸い込まれる。やってしまった。
その音は外にいたレオン様にも聞こえたようだ。
「…大丈夫か?心配だから入るぞ?」
ぎいと音がして扉が開く。
そこからは一瞬だった。
私とノワールを視界にいれたレオン様はすっと目を細めた。それからピカッと目の前が光ったかと思うと焦げ臭い臭い。それをたどるとノワールがいた場所で小さく上がる黒い煙。ノワールは既にその場所から移動していて、背中の毛を逆立てていた。
「ノワール、彼女に何をした」
はじめて聞くレオン様の低い声。空気がピリピリとする。まずい、これはまずい。
状況を簡潔に整理しよう。
いち、レオン様が怒っている。に、室内に雷が落ちた。さん、私の顔がやばい。
そのいちに関しては私が泣き顔で側にノワールしかいないイコールノワールが私に何かしたという方程式がレオン様の頭のなかで成立したからであると考えられる。ノワールの名前を知っていることからレオン様とノワールは知りあいらしい。世間って狭い。
そのには推測でしかないがレオン様の魔法だと思う。わー魔法すごーい。と思ったがノワールに当たってたらと思うと怖い。レオン様を怒らせてはいけない。
そのさん。超重要事項である。こんな泣き顔をレオン様に見せてしまうなんて恥ずかしすぎる。顔を洗いたい。
冷静に頭を働かせた結果をふまえて、私はレオン様を止めて顔を洗おうという結果に至った。あと割れた花瓶も片付けないと。猫のノワールが踏んだら危ない。
「レオン様、落ち着いてください。私は大丈夫です」
とりあえず睨みあっている笑顔のレオン様と毛を逆立てるノワールの間に割って入る。
「大丈夫なのか?」
「ええ、ノワールはなにもしていませんよ」
とにかく座ってくださいとレオン様をソファーに誘導し、それから窓から脱出しようとしていたノワールを捕獲した。私の意識がレオン様に向いている間に逃げようとしたのだろうが残念だったな。レオン様とノワールの関係も知りたいしーーまあ方や魔導師で方や使い魔となれば自ずと関係性は見えてくるがーー逃がすわけがなかった。
さっと顔を洗って整えて、ノワールの背も拭いてやってようやくレオン様の元へと戻ってきた。ノワールも不服そうな顔をしてソファーに丸まる。どうやら脱出は諦めたようだ。人型にならないのは最後の意地なのだろう。
「それで?」
話を切り出したのはレオン様だった。
「えっと花瓶が割れて驚いて」
「俺は騙されないからな」
まだ言葉の途中だったがレオン様にはお見通しのようで遮られた。まあ過去の私の行動を見ていれば花瓶が割れて驚いて泣くようなやつじゃないことは誰でもわかる。でもだからって寂しいから泣いてたなんて言えるわけがない。
「やっぱりノワールになにかされたんじゃ」
「違います」
そこだけは完全否定させてもらう。ノワールも私が否定するのをわかっているのか自分が疑われているのに微動だにせず丸まっている。
「別になんでもありませんから気にしないでください」
「かたくなに理由は教えてくれないんだな、こうなったら正直になる魔法をかけるしかないか?」
「んな魔法ねえだろ」
レオン様の脅しにも似た言葉にぎょっとしているとノワールが人形になってため息をつきながら否定した。
「さっきまで黙ってたくせになんだ?」
「うるせえ、ていうかお前も隠すことねえだろめんどくせえ。レオン、こいつはな、」
「ちょっとノワー、」
ル、という言葉はノワールに口を押さえられてもがっと言葉にならなかった。
「ん、んー!」
「うるせえ。いいか、こいつはな寂しいんだよ。いくら家出したって言ってもこの年じゃ両親が恋しくなるに決まってるだろ」
そういえば家出した設定でした。
言われてしまったものは仕方ないが腹が立ったので口を押さえられているノワールの手を思いっきりつねる。痛みに顔を歪ませたノワールは私のことを恨みがましくみるが、その顔をしたいのは私の方だ。
「あのレオン様、寂しいと言っても大丈夫ですのでおきになさらず、」
「わかってたんだ」
…今なんと?
レオン様は申し訳なさそうな顔をして私を見ていた。
「家出して独り暮らしなはずなのに複数あるティーカップや俺たちが来ると嬉しそうに笑う君を見ていれば誰かが来てくれるのを待っていたのはわかっていた。寂しいんだろうと思っていたんだ…」
私は無言でレオン様を見つめた。
盛大な勘違いですなんて言えなかった。
ティーカップなんてそもそも私が用意したものじゃない。レオン様たちが来て嬉しそうにしていたのは…食材が来るから自然と頬が緩んでいたんだと思う。
レオン様は申し訳なさそうに謝るが、むしろこちらが謝りたい。もしかしてバルド様もノワールもそういう勘違いをしているのだろうか。
「レオン様、謝らないでください。元はと言えば家出したのは私。レオン様が悪いことなどありません」
「それでも女の子に悲しい顔をさせてしまうのは俺の本望じゃないからね」
ふわりと笑って手を伸ばし私の頬を撫でるレオン様。不覚にもときめいた。
「相変わらず反応が薄いなあ…手強い」
「いや、今のはときめきました」
顔には出ていなかったらしい。
レオン様は私の言葉に驚いた顔をして、それから笑った。
「全く君は退屈しない」
「ありがとうございます?」
「まあ、無理はしないように。ノワールを存分にこき使ってやっても構わないしな」
「ああ、そういえばお二人の関係はなんなんですか?」
レオン様からノワールの話が出たので気になっていたことを聞いた。
「ああ、ノワールは俺の使い魔だよ」
「元、な」
「お前はそんなに俺のことが嫌いなのか」
「嫌いだ。だから鉢会わないようにしてたのによ…」
嫌いだと即答したノワールとレオン様はお互いの気配が分かるそうだ。魔導師と使い魔の繋がりは強いらしい。
ノワールは余程レオン様と居たくないのだろう、もういいだろと言うとふんすと鼻をならして家を出ていった。
「いいんですか?」
「ん?ああ、どうせ魔導師と使い魔は切っても切れない縁で繋がっているんだ。そう遠くには行かないだろうし大丈夫」
私には魔導師と使い魔の関係がどういう関係で繋がっているのかよくわからないのでレオン様が大丈夫というから大丈夫なんだろう。
これが私の唯一知る二人が顔を会わせていた日のことである。