外伝:とんでも腐れビッチ紫苑ちゃん Ⅸ
真夜中、紗織とカニは醍醐の屋敷を少しばかり離れたマンションの屋上から見下ろしていた。
「一応、醍醐の警備システムは総て誤作動させてある。このまま乗り込んでも警報一つ鳴らんだろう」
「御配慮、感謝します」
「いや良いさ。しかし……やるのか? 醍醐栞は居ないんだろう?」
カニの伝手を使って今日の栞の動向を調べさせた。
結果、仕事の関係で京都で一泊していることが判明。
「ええ、それでも倉橋は居る。アレも私の復讐対象と言えばそうだし、栞にとっても六年前からの親代わり」
殺しておけば少しでも溜飲は下がる。
紗織はそう言うがカニとしてはどうにもこうにも上手く行かない気がしていた。
「そうは言うが、春風紫苑が既に手を打っていると思うんだが……」
「それならそれで構いませんよ。昼間、あなたが推測が正しかったと知ることが出来るのだから」
もう半ば以上にカニの推論を正しいとは思っている。
それでも、確かめてみる必要はあるだろう。
もしも的外れであったのなら、春風紫苑が気付く前に倉橋だけでも殺しておかねばならない。
「正しく、防がれたとしても私の復讐がそこで終わるわけではありませんし。そうでしょう?」
「まあ、そうだな。春風紫苑は周囲の人間にはともかく、醍醐栞との相対自体は邪魔せんだろう」
栞が助けを求めない限りは。
そして、彼女が助けを求めることはあり得ない――紗織はそう確信している。
「しかしカニ、あなたまで着いて来る必要は無かったんですよ?」
「抜かせ。お前の復讐の結果に興味は無いが私は私で虚仮にされてるんだ。直接面を拝んでみたいじゃないか」
誘導されて動かされるなどカニにとっては初めての経験だった。
逆の立場になら幾度も立ったことはあるが、利用される側に立ったのは初めて。
悔しい、そして同時に面白いと思う。だからこそ良い機会だと出張って来たのだ。
「そうですか……では、付き合って頂きましょうか」
「ああ」
そうして二人は物音一つ立てずに跳躍し、醍醐の屋敷へと降り立った。
着地した場所は庭園で、紗織にとっては六年ぶりになる。
「で、どうする?」
「部屋の位置は変わっていないでしょうから、ピンポイントで殺気を飛ばして誘導します」
倉橋ならばそれで気付くと言う確信があった。
何せ物別れする以前にもどうして大人なのに自分と香織を助けてくれないのかと紗織は殺気をぶつけたことがあったから。
忘れているのならば真性の屑だ。
紗織は瞳を閉じ、そこに居るであろう老人へ向けて殺気を放つ。
六年の時を経て熟成され、かつてよりも重く濃厚な殺気を。
「お、釣れたようだな」
数分ほどで、彼は姿を現した。
急いで着替えたのか若干着衣に乱れはあるが、それ以上に表情が乱れている。
悔恨と絶望に彩られたその顔を見るだけで紗織はほんの少しだけ心が軽くなった。
「……紗織、御嬢様」
蚊が鳴いたような小さな声が静かな夜に虚しく染み渡る。
「ええ、久しぶりねえ倉橋」
既に黒姫百合の皮は脱ぎ去り、醍醐紗織としての顔を露にしている。
栞と瓜二つ、違うのは彼女につけられた傷ぐらいのもの。
顔の作りも声さえも同じ。これが紗織でないならば何だと言うのだ。
「私が此処に来た理由は分かるわよね?」
そもそも、倉橋だけは知っていたのだから。
焼け跡で見つかった死体は孫のもので、紗織は行方を眩ませていたことを。
「……何時か、何時かこう言う日が来ると覚悟はしておりました」
普段ならば朗々と響き渡るその声も今は酷くしわがれている。
「紗織御嬢様、あなたが私を怨んでいることは百も承知。
私があなたの父君と母君を止めていれば悲劇は起こらず、あなたも日の当たる場所に居られたのだから」
主に歯向かい、総てを変える覚悟がなかった。
己の弱さが幼子に親を殺させ、血を分けた姉妹の殺し合いを生み自身の孫までをも殺したのだ。
断罪の白刃に首を刎ねられる覚悟は出来ている。
「私が死ぬことは構いません。その覚悟は出来ております。
ですがどうか、私だけで終わらせて頂けないでしょうか。妹君――栞様を手にかければ、きっとあなたは後悔なさる。
あれだけ想い合って姉妹なのですから……もう、戻れぬのだとしても、それでも殺してはなりませぬ」
倉橋は調べたわけでもないが、紗織の心情を正確に把握していた。
幼い彼女にとって孫――香織がどれだけの支えであったのか。
そしてそんな支えを失う原因となった栞をどれだけ憎んでいるのかも。
しかし、同時に心の底では未だに栞のことを想っているはずなのだ。
それほどまでに固い絆で結ばれていて、だからこそ一つの破綻により大きな怨嗟を生み出してしまった。
「随分と勝手なことを言うのね、この老いぼれは。私が助けて欲しいと願った時も助けず。
どころか、自分の孫さえも叩き落し手を差し伸べることもなくのうのうと生きて来た癖に……!!
香織だけでも……香織だけでも助けてくれていたら! あの子は死ななかった!!!!」
あの日から、一瞬たりとも忘れたことはない。
炎の中で見た、大切な大切な親友の笑顔を。
あんな風に、死の間際でも誰かを想える優しい人間こそが生きるべきだった!
怨み辛みを抱えて闇に沈んだ自分のような人間よりも!
血を吐くような紗織の糾弾は実に正しい。大人が大人としての責を果たしていれば悲劇は生まれなかった。
何もしなかった大人が今更綺麗ごとをほざくなど赦されるわけがない。
「殺すわ、あなたも、栞も――――醍醐に連なる総ての者を!!!!」
右手を天に掲げ、五指を伸ばす。
五指の延長上には糸で編まれた巨大な爪が形成され、振り下ろせば倉橋は一瞬で細切れになるだろう。
紗織に躊躇いは無い。これ以上醜い老人の戯言など聞いていたくはないと一気に振り下ろすも、
「……やっぱりな」
ガキィン、と甲高い音が鳴り響く。
紗織の爪は倉橋を切り裂く寸前で何かに止められた。
それは目に見えず、パッと見紗織が途中で攻撃を止めたようにしか見えない。
だが、重ねて言うが紗織に躊躇は無い。
「何者か!?」
悪鬼の形相で邪魔者に敵意を叫ぶ。
その声に呼応するかのように先ず現れたのは槍の穂先。
ついで徐々に輪郭が何も無い空間に浮かび上がっていき、
「……」
アイリーン・ハーンがその姿を現す。
紗織は混乱はあったものの、殺意の方が勝っていたのだろう。
槍で押し留められて爪に更に力を込めて押し切ろうとするのだがピクリとも動かない。
根本的な膂力が違うのだ。
「あ、あなたは……栞様の御学友の……な、何故此処に……」
助けられた倉橋としてもアイリーンの存在は予想外だった。
「ははぁん……成るほどねえ。その爺さんの反応を見るに、幻術か。
幻術でお前を違和感なく、或いは不可視の存在にして醍醐の屋敷に潜り込ませた。
いざ紗織がやって来た場合に狙われるであろう家人の護衛として」
アイリーンが此処に居る理由。それはカニが今、語った通りだ。
ただ潜り込ませたのでは家人達にその存在が知れ渡り、紗織に嗅ぎ付けられる恐れがある。
それゆえ、世界改変の幻術を以ってアイリーン・ハーンと言う個人を認識出来ないようにして潜り込ませた。
「仕掛けるタイミングはこっち次第なのに、何時からか知らんが御苦労なこった」
「友達」
「……おい紗織、コイツは何を言ってるんだ?」
何の脈絡もない友達発言に困惑を隠せないカニ。
ちなみにアイリーンが言いたかったのは「友達のためだから平気」。
それぐらいなら全部言えよと言う話である。
「……通訳の方が居ないので無視してください」
アイリーンが現れたことで紗織の頭も幾分か冷えて落ち着きを取り戻した。
此処にアイリーンが居ると言うことはカニの予想は正しかったと言うことで、倉橋を討ち取ることは不可能になったのと同義。
今、自分が狙えるのは栞のみ。
それが分かってしまった以上、頭を切り替えるべきだろう。
「酷い」
「酷いのはこの状況だ。本人ならまだしもこんな意思疎通の困難な奴を配置するなよ」
そうぼやきつつも紫苑の考えはカニにも分かっていた。
恐らく紫苑本人は栞についているのだ。
彼女を護るため、ではなく万が一直接狙って来た場合無辜の人間が巻き込まれかねないから。
その場合はアイリーンでは手が回らない可能性が非常に高く紫苑以外に適任は居ない。
「紗織、分かってるな?」
「ええ……ハーンさん、紫苑さんから言伝を預かってはいませんか?」
「もう直ぐ来る」
と、要領を得ない返答の直ぐ後に庭園に紫苑が現れる。
隠れていたわけではない、本当に、何某かの手段で転移をしたのだ。
何気ないその行動だけでも聡明な人物が力の強大さを推し量るには十分だった。
「はじめまして、と言うべきかしら醍醐紗織。そして……その協力者さん」
アイリーンは二人が屋敷に侵入した時点で紫苑に連絡を取っていた。
連絡を受けた紫苑はそのまま栞を彼女がリクエストした場所に運んだ後で屋敷へと転移。
紗織を決戦の場へと誘うためだ。
「ああそうだな。にしても、やってくれるねえ」
「そちらがやり手だもの。私もアレコレ考えなきゃ」
「そんだけの力があって、それでも驕らないってんだから厄介な手合いだよ」
いえいえ、常時驕りマックスです。
「(ほほぅ……分かってるじゃないのこの赤毛)それはどうも」
と、そこで沈黙している紗織に向き直る。
「栞はあなたと対峙する場所を選んで、そこで待っている。後はあなたの意思次第ね。どうする?
私は一対一で向き合うのならば中立を保つわ。二人が抱える苦しみはあなた達だけのものだから」
ゆえにコンディションが悪いのならば先延ばしも構わない。
暗にそう気遣っている(フリをしている)のだが紗織は首を横に振った。
「いいえ、構いません。邪魔をしないと言うのならば。ですが一つだけ」
「何かしら?」
「何故、倉橋を護るのです? その男は屑です。責務から逃げ傍観と言う罪を犯した加害者の一人でもあるのに」
「だとしても栞は彼の悔恨を慮って、死を以って償うやり方を否定した」
「中立だと言ったのに肩入れですか?」
「順序の問題。もしもあなたが栞を殺した後でならば、彼の処遇については口を出さない」
先ず決着をつけるべき人物が居るだろう、紫苑はそう言っているのだ。
「惨劇に至る最後の引き金を引いたのはあなたよ、醍醐紗織。ならばそれ相応の責任を持ちなさい」
栞は紗織を傷つけた、だけども紗織も栞を傷つけた。
それならば先ず片付けるべき因果はそちらだろう。
そこと向き合わずに栞への精神攻撃として倉橋を狙うのはおかしい。
確かに彼は加害者だが紗織と同じ被害者である栞は死を望んでいないのだから。
「もしも栞が自業自得だと切り捨てていたのならば私も何も言うつもりはなかったけどね。
ああ、被害の度合いは自分の方が大きいなんて反論してみる?」
「……いいえ」
それはある一面で正しいがある一面では間違っている。
被害の度合いと言う論点に持っていくと更に議論が拗れてしまう。
これ以上時間をかけるつもりはないし、先に栞との因縁にケリをつけろと言う紫苑の言葉にも一理ある。
そう判断したからこそ紗織はこれ以上の追及を止めた。
「そう。それと、そっちの……」
「カニと呼んでくれ。あだ名だがな」
「ならカニ、あなたも一緒に来てもらうわ。目の届く場所に置いておかなきゃ栞も安心して戦うことが出来ないもの」
「ああ良いさ。お前が醍醐栞側の立会人ならば私は醍醐紗織側の立会人として同席しよう。良いか、紗織?」
「そうですね、ならば御願いしましょう」
意見がまとまったところで紫苑は指を鳴らし、その眼前に扉を生み出す。
此処を潜れば栞が待つ場所へ……あれ? これってどこでもド――――。
「アイリーン、あなたは一応、此処に残ってくれるかしら?」
「分かった」
カニが何かを仕掛けていた時の対応役だ。
仮に爆発物か何かを仕掛けていた場合でも、アイリーンならば倉橋と他の家人を護るぐらいは出来る。
「おいおい、私も信用無いな」
「知り合って間もないからしょうがないでしょう。それにある意味、信を置かれているんじゃないですか?」
軽口を叩き合うカニと紗織。
このやり取りを見ていた紫苑はカニが闇に堕ちた紗織が得られた唯一の特別な友人なのだと気付く。
「(やっぱり、そう強い人間でもないなぁ……ま、私に比べれば全人類軒並み塵屑だが)さあ、行きましょうか」
扉を開いた瞬間、風が吹き抜けた。
舞い散る梅の花弁、空に輝く朧な月。ともすれば夢の中にでも迷い込んだかのような光景だ。
此処は栞と紗織にとって思いで深い場所だった。
「そう……此処で過去を断ち切りたいのね、栞」
俯き佇む栞に語りかける紗織。
この段で紫苑とカニは邪魔にならぬようにとはじへど移動を始める。
「違います」
「何が違うの? 私と顔を合わせる、それは殺し合うってことでしょう? 今度こそ黄泉返らぬように冥府へ叩き落したいのでしょう?」
忌まわしき姉を。
ケラケラと狂気が滲む笑い声を上げる紗織とは対照的に、栞は何処までも凪いでいた。
「いいえ……正確には、分からないんです」
そう、分からないのだ。
真実を知った後から、栞は考え続けて来た。
「私は姉様をどうしたいのか、どうなりたいのか。
殺されても良いと思う自分が居る一方で死にたくはないと思う自分も居る。私は何一つとして答えを出せていません」
出せるわけがないのだ、こんなにも短い時間の中で。
それでも向き合わねばならないことだけは分かっている。
「だから、命ごと姉様にぶつかります。その中で、私は私の答えを見出す」
「ハ! 勝手に盛り上がっていなさいな。私がやることは変わらない――――此処であなたを殺す!!」
栞と紗織。
互いの十指が煌き、夜を切り裂く糸が踊り、殺し合いが始まる。
「(想い合う肉親同士が繰り広げる血みどろの殺し合い!
どちらが死んでも勝ち残った者が抱くのは後悔のみ……最高のエンターテイメントだわ!!)」
Q.紫苑が今、一番欲しいものは?
A.ポップコーンとコーラ――――血の伯爵夫人並に趣味が悪いと言わざるを得ない。




