16
翌日、夜。人々の間には既に戦争が始まるかもしれないという噂が隠し切れない程に広まっているようで、外を出歩く人の影などまるで見られない。もしそれがあったとしてもよくよく見ればそれが剣組の構成員であると気付くことが出来るだろう。全く、月の綺麗な夜にはまるで似合わぬものだ。
そんな夜の闇を走る影が一つ、彼は剣組の構成員で下っ端も下っ端な小物だ。そんな彼に与えられた役目といえば町の入り口辺りを見張る事だけだ。本来ならそれはどうせそんな場所に来るまでに誰かが見つけるだろうという目論みから与えられた役目だ、要するに彼に手柄を挙げさせる気など無かったらしい。
今日も彼は目的の人物など現れるはずのないその場所で見張りを続けるはずだったのだが、今、彼はザンキが一人待つ町の空き地に走っていた。
「か、頭ぁ!」
「どうした?」
「あ、アジサイ組の若頭が町の外に!」
アジサイ組の若頭、彼はこの町でも有数の力を持つアジサイ組の次期組長と目される相当な大物だ。
「本当だろうな?」
そう、大物なのだ。故にザンキはそう聞き返す。そんな大物がこの時期に町の外へ行く事があるだろうか? いや、無い。あるはずが無いのだ。
或いはこの顔もろくに覚えていないような下っ端が嘘をついているのではないだろうか、そんな疑いが頭を過るのは無理もない。
しかし。
「う、嘘だなんてそんな。お、俺が嘘ついたって何の得も無いでしょう!?」
ザンキはその言葉を聞き考える。
―――それもそうか。
と。
剣組の組員の復活地点は全て彼の管理下にある。であればここで嘘を付けばこの男がその後どんな目に遭うのかは本人もよくよく分かっている事だろう。死ぬことも許されぬ苦しみの中で日々を過ごすか、高所から突き落とすか、或いは工場のスライムの餌にしてもいい。そんな未来が待っているのが分かって嘘を付く必要はない。
とはいえ本来なら例えば買収された可能性ぐらいは存在するものだ。ザンキがそれをまるで考慮に入れようとしないのはひとえに彼の自尊心、或いは傲慢故か。逆らおうなどと頭の片隅にも思わせることの無い恐怖政治を敷いて来たのだ。余計な疑いを持つ理由は彼には存在しない。
「場所は?」
「外で仲間があとをつけてますんで、目印を途中で置いてるかと」
「そうか、なら」
―――戦争の始まりだ。
残虐な笑みを浮かべるザンキ、報告に来た男は思わず冷や汗を浮かべる程だったという。
そこからの行動は早かった、ザンキは目にも止まらぬ速度で走り出すと町の外へ。目印を早々に見つけるとそれを追ってあっという間にアジサイ組の若頭とそのお付きのあとをつける剣組の面々に追い付く。
「か、頭!」
「黙ってろ」
「あ、すいません……」
ザンキは下っ端を黙らせると前方にいる者達の顔を見つめる。成程、それは彼が何度も見た事のあるアジサイ組の若頭に違いない。なぜ今この時期にこんな場所へ来たのかは分からないがもはやそんなことはどうでもいい。彼はいつだってそんな細かな事は考えない、一度動き出したなら事が終わるまで駆け抜けるだけだ。
担いでいた大剣を掲げると月明かりが反射して光り輝く。或いはその光の反射で異変に気付いたのだろうか、その瞬間に若頭が走り出す。
「……あ?」
ザンキはその動きにどうも不自然さを感じていたが、しかし先程も言った通りだ。かれは一度動き出したなら細かな事は考えない。
「逃がすか!」
森の中の追いかけっこが始まる。逃げるアジサイ組、追う剣組。最初に脱落したのは剣組の下っ端連中だ。彼らは装備こそホーンビートルの素材を使った高級品であったが中身の方は大した鍛錬も積んでいない気性が荒いだけの一般人だ。それに対してアジサイ組は若頭とそのお付き、それほどの者達が鍛えていない事などあり得ない。少なくともあのザンキを相手にどうにか距離を保ったまま逃げ続けるだけの力を持っている。
そして逃げ続けた先は。
木々を抜けた先に見えた景色を見て思わずザンキは足を止めた。見渡す限り月明かりに照らされた森、彼はそれを高台崖の上から見下ろしている。風が吹き抜けるその場所には幾つかの影がある。その中には彼の目的でもあるあのアジサイ組の若頭もいた。間違いなく本人だ。
ザンキは己の力に絶対の自信を持っている。たとえ相手がどこぞの組の幹部であろうと、それに加えて武闘派の組員が数人ついていようと、自らの大剣で以て目的を果たす事は出来る。そういう確信を持っている。
ただ、もしも仕損じる事があるとすれば。
若頭はザンキをしかと見つめ、しかし何を言うでもなくお付きを引き連れてその場を歩き去って行く。遠ざかる足音を前にザンキは追い掛けようとはしなかった。これ程の好機をなぜ見逃すのか、まさか何か取引でもあったのだろうか。
いや、あのザンキに限ってそれは無い。彼にとって他人とは全ておもちゃのようなものだ、自らの恐怖の糸によって操られるだけの。そんな相手が取引を持ちかけたところで彼の大剣が頭上から降って来るだけだろうし、ましてやザンキの方から下手になど出るはずが無い。
ではなぜこんなことが起こっているのか?
その答えはたった一つの人影が示している。
「よう、ザンキ」
月明かりが彼を照らす。その顔の半分は仮面に覆われていた。
二日前、町の入り口正面に存在する食堂。そう、誰もが知るアジサイ組の若頭が拠点としているあの場所だ。
一人の色気ある美女が店に入ると客の視線が自然と集まり、彼女がそのまま店の奥へ案内されるのを見ると成程彼女は若頭のお気に入りか何からしいと皆が察する事だろう。それ以上彼女について触れようとする者はいない。
そんな彼女が奥の一般客から隔絶されたその席に座るとすぐに歓迎を示す庶民にはとても手が届かないだろう最高級の美酒が注がれる。それに口をつける彼女の姿にウエイターが見惚れていると誰かがその後ろからその肩を叩く。そのウエイターは後ろを振り返るとそこに立つ者の顔を見て慌てて逃げ出した。やって来たその男は呆れるように逃げ出した背中を見送ると美女の正面にどん、と座り込む。
こうして千里とアジサイ組の若頭の会談は始まった。
「こうしてわざわざここを訪ねたって事はうちの保護下に入るって事でいいのか?」
「そうねぇ。悪くないとは思うわ」
にこやかな笑みを浮かべる千里に対して若頭は不信感を顕わにして彼女を見つめる。
「何か含みがある言い方だな」
「あら、そう思うかしら?」
「思うな、だから女ってやつは苦手だ。もっと率直に話して欲しいもんだな」
「ふふふ。組長さんがあなたを私の所に遣わしたのはそういう所を直して欲しいのかもしれないわね」
彼はちっ、と軽く舌打ちをして視線を逸らす。どうやら図星だったようだ。
「それで、何の用だ?」
「実際、私は戦争が起こるなら安全な場所で過ごしたいとは思うわ。それがあなた達の保護下であっても良いと思っているのよ」
「なら何が不満だ?」
「不満だなんて、そういう言い方はやめて欲しいわね。ただ私はこうも思うの。もしも戦争が起きないのであればその方がずっといいのに、って」
実際彼女が心の底からそう思っているかは議論の余地がある所だが、少なくとも今の彼女は戦争が起きない未来へ向かって行こうとしている。その嘘偽りの無い心の内を読み取ったが故だろう、若頭は大仰な溜息をついた。
「この前も占いだかでそう言ってたがな、そういうのは方法と一緒に語るべきだ。理想を口にするだけでいいなら俺は今頃世界の支配者にでもなってる頃だ」
彼女が頭のお気に入りでなければ今頃店の外に突き出していた事だろう。全く馬鹿な話を聞いたと言わんばかりに彼は立ち上がりその場を去ろうとした。したのだが、目の端に捉えた彼女の表情はさっきまでとまるで変わらない。
まるでそれは。
「……何か方法があるとでも?」
にこり、と彼女は笑みを浮かべた。
「人を呼んでもいいかしら」
三分後、千里の隣にはガガの姿があった。
「……お前か。何の用だ?」
「まあ仲良くしようじゃないか。お前たちにも悪い話じゃないんだ」
「この前も言ったが今のお前は所詮素材屋だ。自分が何らかの力を持ってるなんて勘違いをしない方が良い」
「もうちょっと愛想よく出来ないもんかね……。まあこっちも時間がそう残っているとは限らんしさっさと本題に入ろう」
彼はそう前置きをすると軽く咳払いをしてその計画を話す。
「俺はガガを倒すつもりだ。完膚なきまでに、な。その為に力を貸して欲しい」
「誰がお前に」
「力を貸すと言ってもとある場所まで連れ出して来てくれるだけでいいんだ」
本来一介の素材屋を相手に貸し出す手駒などアジサイ組には存在しない。たとえそれが頭のお気に入りの取り成しだったとしてもそれは変わらないだろう。
しかし連れ出すだけ、その言葉は少なくとも話を聞くぐらいの価値はあると判断させたようだ。若頭は顎で続きを促す。
「俺は俺の事情でザンキを止めたいと思っている。その方法として一対一で戦おうってわけだ」
「……剣組は組の要人が隙を晒すのを待ってる。その事情を利用してお前が選ぶ決戦の地まで連れて来いってわけか?」
「そうなるな。もし俺が負けたところであんたらにリスクはない。俺が勝てば戦争は止まる、或いは始まった所で頭が欠けた剣組だ、怖くも無いだろう?」
若頭は考える。
―――本来なら一蹴する申し出だな。
こんな話に一々付き合うなど馬鹿らしい。ザンキは自らの強さを頼りに剣組を巨大組織へと変えたのだ。そんな化け物を相手に一対一での決闘をして止めるなど、普通に考えれば不可能だ。場所を事前に決めて罠でも仕掛けておくのだろうがそんな程度であれを止められるならば今頃剣組は町の歴史の中で埋もれた存在になっていたはずだ。
彼は確信する、そんな馬鹿げた話は。
「お前以外がそれを言って来たなら相手にもしなかっただろうな」
ガガの表情が僅かにほころぶ。
こうしてアジサイ組の協力を得たガガは決闘の場所を伝え全ての準備を終えたのだった。




