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『名もなき革命 〜転生者たちは、腐った世界に革命を起こす〜』  作者: 鯨の吐息


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4/4

決意

 夜明けの光が、森の木々の間から差し込んでいた。昨日の脱走劇が嘘のようにあたりは静かだった。そんな森の中を悠久(ゆくる)は歩きながら、自分がどこへ向かっているのかを考えた。


 答えはすぐに出た。


 一つしかない。ナタカが過ごしていた家である。そこに何をしに行くのか。何を求めているのか。悠久のルーツはそこにはない。ナタカの声はもう聞こえない。しかし、自然と体が動いていた。




(僕の代わりに、ちゃんと怒ってほしいんです。)



 その言葉が、悠久(ゆくる)の胸には残っていた。


(怒る?何に?誰に?)


 それはまだわからない。だが、わからないからこそなのかもしれない。この足が止まらないのは。




 まともにドレヴァン国内に入ることは難しい。ノーヴェリア国に敗戦したとはいえ、この大陸ではまともな国家である。正面突破は不可能であろう。

 そこで、悠久(ゆくる)は裏口から国内に入ることにした。その裏口は悠久(ゆくる)では絶対に見つけることのできなかっただろう。ナタカは酔った父親に殴られた後、父親が眠りにつくと、王国の外につながる裏口を抜けだし、誰もいない森の中、適当な場所で一人になっていた。まだ成人していないナタカにとって、森は危険が多い場所であるが、先ほどまで自身を殴っていた父親のいる家で寝る気は起きなかった。そしてただただ人のいない場所に行きたかったのだ。



 その記憶を頼りに、今度は家に帰るのだ。運命とは数奇なものである。



 家は、思っていたより早く見つかった。記憶の中にあった場所だった。正確には——ナタカの記憶の中にあった場所だ。自分のものではないはずなのに、足が迷わず向かっていた。それが少し、怖く、少し心強かった。

 前世を振り返っても、自分の中で誰かが存在していたことは数えるほどしかない。

 今はそれをより強く感じる。



 かつては店だったのだろう。間口がやや広く、今は使われていない調理台の名残らしきものが、埃をかぶったまま隅に押しやられていた。木の板が歪んで隙間ができている。手入れが行き届かなくなって久しいのか、かつてここに人が集まっていたことが、もはや想像しにくかった。

 ナタカの記憶には、小さいが温かい、そんな家だけが残っていた。それ以降の灰色の記憶については痛みともに、記憶の奥底へ押し込められたのだろう。


 窓から光が漏れている。ナタカの父親はまだ起きているのか、それとも飲んだまま眠っているのか。


 悠久(ゆくる)は扉の前で立ち止まった。


(戻る必要はない。)


 理性はそう言っていた。ナタカの父親は、子を売った。ナタカは解放されたのだ。そして悠久はナタカの父親に用はない。このまま遠くへ行けばいい。


 だが足は動かなかった。


 ナタカがここに残していったものがある。言葉にならない何かが、この扉の向こうにある。悠久はそれを確かめなければならなかった。理由はうまく言えない。ただ、そう感じた。



 重い扉を、開けた。



 男がいた。姿は馬車に乗っていた少年少女と同じかそれ以上にみずぼらしかった。大人であるということが一層みすぼらしさを助長しているのかもしれない。悠久(ゆくる)が過ごしていた前世では、大人はある程度はまともな格好をしていた。しかし、この世界ではちゃんとした服というのは高価なものなのだろう。

 しかし、昔は着ていたであろう飲食店の制服らしき衣類は不自然なまでに整えられていた。それだけがこの男の矜持なのだと、悠久(ゆくる)はこの男を哀れに思った。怒ることも一瞬忘れてしまうほどに。


 今やその男は、卓に肘をついて、杯を持ったまま眠っていた。酒の臭いが部屋に満ちている。ランプの明かりが、その顔を照らしていた。


 悠久は黙って、その顔を見た。


 大きな男だと思っていた。記憶の中では、もっと大きかった。でも今、目の前にいるのは——ただの、疲れた男だった。頬がこけている。手が荒れている。眠っている顔に、怒りはない。ただ、くたびれている。


(これが、父親か。)


 前世でも、今世でも。どこへ行っても、同じ顔をした人間がいる。


 追い詰められて、逃げ場を失って、一番弱い場所に向かっていく人間が。どんな人間にも苦しいときというのは訪れる。特に何かを失ったときは。家族、仕事、プライド。そのどれであろうと、喪失というのは人間を変えてしまうほどの負の事象だ。


 だから気持ちもわからなくないし、むしろそれはこの男がそれまで誇りに思っていたということの裏返しでもある。しかし―――




(許せるかどうかは、別の話だ。)



 その喪失が、その者にとって、どれだけ大きな出来事であったかはわからない。しかし、いかなる理由があろうとも、親が子を傷つけるなんてことを許してはいけない。




 気配を察したのか、男がゆっくりと目を開けた。


 焦点が定まるまでの一瞬、ただこちらを見ていた。



 次の瞬間、男の顔が歪んだ。



 驚きではなかった。恐怖だった。


 その顔を見た瞬間、悠久(ゆくる)の中に別の記憶が蘇った。


 ナタカの記憶だ。


――――――――――――


 最初は、違った。


 小さな店だったが、いつも温かかった。カウンターの向こうで父親が笑っている。常連の客がナタカの頭を撫でていく。料理の匂いが満ちた店内で、ナタカはそれが当たり前だと思っていた。


 それが当たり前だった頃が、確かにあった。


 変わり始めたのは、魔物大戦が始まってからだ。


 客が来なくなった。食材が手に入らなくなった。父親は軍の配給係として働くようになったが、給金はわずかだった。店は開けていても閑古鳥が鳴いた。夜になると父親は酒を飲んだ。最初は少しだけだった。それが、少しずつ増えていった。次第に家業に必要な分の酒すら飲み干すようになった。


 怒鳴り声が聞こえるようになったのは、いつからだったか。



 理由はわからなかった。ただ、怒っている。ただ、大きい。ただ、恐怖した。

 逃げ場のない部屋の隅で、小さな身体を縮めて、次の一撃がいつ来るかだけを考えていた。


 魔物大戦が終わった頃、一時的に店が戻った。父親も戻った気がした。笑っていた。あの頃の父親に、少しだけ似ていた。




 でも長くは続かなかった。



 魔物大戦で勝利しても、魔物相手に賠償金を請求できるわけではない。失ったものは戻らないのだ。


 地獄はそれだけではなかった。


 1年も経たないうちに、ノーヴェリア国が攻めてきた。また全てが崩れた。今度は戻らなかった。あのひと時の温かさを知っているから、余計に父親は追い詰められた。魔物相手ではない、人間相手の戦争。ましてノーヴェリア国はドレヴァン国が魔物大戦をしているときから、ドレヴァン国を落とすために準備を整えてきたのだ。


 あの頃に戻れないという絶望が、ナタカへの怒りになった。


 怖かった。それだけだった。


 怖いから、逆らえなかった。逆らえないから、従うしかなかった。従うしかないから、それが当たり前になった。初めは暴力に対して「なんで?どうして?」という気持ちもあった。


 しかしそれは次第になくなっていった。考えても殴られるからだ。これが「父親」というものだと——思い込まされていた。


 疑う余裕すら、なくなっていったから。


 ただ、最後だけは疑うことができた。父親がナタカを売った日だ。少し身なりが整った男が家を訪れた。その手には酒とわずかな金が入った袋があった。それを父親に渡すと、その男はナタカを思い切り殴り、気絶させた。気絶するほんの一瞬、最後に見た光景は、父親がもらった酒に口をつけようとしていたところだ。最後、あの男はナタカのことを見るでもなく、目の前の酒に溺れていた。そこで初めてナタカは、父親を疑った―――


――――――――――――


 記憶が、引いた。


「なん、で、ここにっ…!」


 悠久(ゆくる)は目の前の男を見た。震えている。


(そうか。)


 わかった気がした。この男が暴力を振るっていたのは、支配したかったからではなかった。自分が壊れていくのを、止められなかったからだ。追い詰められた人間が、一番近くにいる弱い存在に向かっていく。それだけのことだった。


 だとすれば——恐怖で従い続けたナタカは、何も悪くなかった。逃げ場を与えられなかったのだから、逃げられなくて当然だった。


 悠久(ゆくる)の前世でも、同じだった。


(こうすれば、良かったんだ。)


 怖がらなくて良かった。逃げて良かった。それだけのことが、あの部屋の中ではわからなかった。いや、みんなそうなのかもしれない。だってどこに逃げればいいんだ?


 男が先に動いた。売ったはずの息子が戻ってきた。それが何を表すのか、その男にはわからなかっただろう。しかし、いてはいけない存在がここにいる。そのことを否定したいのだろうか。その目は追い詰められた獣のようだった。


(お前が勝手に追い詰められただけだろうに。)



 男は震える手で、壁に立てかけてあった棒を掴み、悠久に対峙した。



(怖がらなければ、おびえなければ、ちゃんと見ていれば、こんなにも容易いものなのか。)


 悠久にとってこの襲い掛かろうとする大人は、恐怖の対象ではなかった。それはこの男が、その脆弱な精神性が、大人たりえないというものもあるだろう。


 しかし、それ以上に、悠久(ゆくる)の精神年齢が、物事を捉える目が、肥えたのだ。本来ならばこの年の少年が経験するはずのない、2人分の人生が、彼を、彼らを大人に“してしまった”。


「うあああああ!」


 男の手が振り上げられた瞬間、悠久(ゆくる)は静かにその腕に意識を向けた。


 何かが、剥がれた。


 子は父のものという「所有権」が。「恐怖で縛る」という構造が。「父親」という概念が。


 するりと、棒が抜けた。



 男がその場に崩れるように座り込んだ。何が起きたのかわからない顔をしていた。怒りも、恐怖も、今はもうその顔にはなかった。ただ、空っぽだった。


 悠久はその顔を、一秒だけ見た。


 それから、踵を返した。



(この世界も、向こうの世界と同じように、大人によって子供が虐げられるなら。)



(子供たちの逃げる場所が、ないというなら)



(俺が、この世界を変えてやる。子供たちが笑って過ごせる世界を、俺が作ってやる。)




 扉を出た瞬間、夜明けの風が頬を撫でた。


 後ろは振り返らなかった。


 男がその後どうなるのか、悠久(ゆくる)には関係がなかった。呪縛は、解いた。あとは——知らない。


(ナタカ。)


 心の中で、名前を呼んだ。返事はなかった。ただ、何か軽くなったような気がした。この身体が、少しだけ自分のものになったような。



(俺が代わりに怒ってやる。大人たちに……この国に!)



 悠久(ゆくる)は夜明けの道を、前だけを見て歩き始めた。



 帰る場所など、最初からなかった。



 だから——どこへでも行ける。


ここまで読んでくださりありがとうございます。

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