諦めるな
音。硬い道を車が走るような。そんな音だった。
よく聞けば、その音だけではなかった。体が揺れれば、聞こえる、木が軋むような音が。
車輪の音だけではない。何かが走るような音も聞こえる。
(木の車、、、?それに何かが走るような音、馬車か?)
他にも音が聞こえる。すすり泣くような音が。しかも複数。
夢ではないようだ。少しずつ頭が働いてきた。
(夢ではない?)
自分の思考に問いかける。
手のひらを開いたり閉じたりした。小さい。自分のものではないような、それでいて確かに自分の意志で動く手。
手首に縄がある。足首にも。引っ張ってみたが、びくともしない。
10歳ほどの身体で、見知らぬ馬車の中で、縄で縛られて。
(どうして生きているんだ?だって俺は、、、)
それが喜ばしいことなのかどうか、悠久にはまだわからなかった。縄の感触だけが、妙にはっきりとしていた。
“人生を終わらせよう”と思ったのにそれが“続いてしまう”なんて。
瞬間、体が跳ねた。直後、鈍い痛みが腰を襲った。馬車(仮)が石でも踏んだようだ。ただその衝撃で頭が完全に覚醒した。目を開くとそこは予想通り車内であった。
予想していなかったのは車内には小さな子供だけがいたことだ。
(同い年くらいか?)
そんな少年少女たちが、そこにはいた。
そのほとんどがみすぼらしい服だった。髪も乱れている。顔に生気はなく、唇も乾いているか切れているかしている。
そこで一人の少女に目が留まった。そこにいる少年少女とは一線を画すほど、整えられた身なりであった。明らかに身分が違うような、そんな感覚を覚えた。
「なにをじろじろみているの?」
少女が言う。誰も何も答えない。
「あなたです、あなた。そこの。」
ややいらだった様子で、再び告げた。
「俺か?すまない、一人だけ他のやつとは違う雰囲気を感じたのでな。」
(これで俺に話しかけてなかったら恥ずかしいが、まぁいいだろう。俺には何も失うものはないしな。)
彼女の様子を見るに、そうではないようだ。少し考えこんで、彼女は口を開いた。
「そうですね。私はマリー・トゥキルザ。トゥキルザ侯爵、いえ、“元”侯爵の娘です。今は絶賛没落中ですけどね。」
そう言いながら、彼女は笑った。いや、正確には笑っていない。これは―――
口角は上がっている。しかし目が、笑っていない。
悠久には見覚えがあった。苦しいのに笑う人間の顔を、前世で何度も見てきた。限界まで追い詰められて、それでも「大丈夫」と言い続けた少年たちの顔を。笑い方は知っている。ただ笑い方を忘れた―――そういう顔だった。
(無理をしている。)
それだけがわかった。
「あぁ、安心してください。今、騎士団が私のことを助けるために追いかけてくれているはずです。没落中といっても騎士団くらいは持っていますから。本当にこのまま私が売られてしまえば、本当に没落してしまうでしょうけど。」
再び彼女は笑った。あの笑みだ。ただそれより気になることがあった。
「売られてしまう?」
思わず口に出てしまった。自身の手に意識が向く。そこでようやく理解した。この馬車が奴隷売買のためのものであることを。
「そうです。この馬車は奴隷を売るための馬車です。行先はノーヴェリア共和国。」
(やはり、奴隷にされるのか、いやそれよりも)
「共和国?共和国なのに奴隷制を敷いているのか?」
単純な疑問だ。王国や帝国は君主が存在し、その下には貴族が存在する。そういった階級制度が存在するからこそ、奴隷という明らかに不当な扱いを受ける身分が一定数存在するのもうなづけるというものだ。しかし、共和国ではそのような明確な身分の違いが存在するような階級制はあまりない。だからこその疑問である。
「わが国は、、、ドレヴァン王国は、、ノーヴェリア共和国に戦争で負けたのです。 ノーヴェリア共和国が新興国だからまだ奴隷制とかの制度はないんです。」
(この世界でいう新興国というものがよくわかってはいないが、現代でもそのような話はあったと記憶している。金さえ積めば日本でだって色々なことはできた。それが戦勝国と敗戦国という立場であればありえない話というわけではないな。)
俺が考えこんでいると、彼女、マリーは続けた。
「そういえばあなたの名前は?」
(俺の、、、名前、、、)
今の俺は、かつての俺ではない。それに今の身体も。
(そういえばこの身体の持ち主は?今、俺という精神が入り込んでいるが、この身体のもとの精神があるはずだ。)
「ごめんなさい。話したくないなら大丈夫です。この馬車に乗っているということは、楽しい事情ではないでしょうから。」
マリーは申し訳なさそうに謝罪した。
(まだ分からないことが多すぎるし、整理もついていない。だからといって彼女に気を遣わせるのは悪いな。話していると頭の整理もつくしな。)
「すまない。少し混乱しているようだ。俺の名前は、、、遠嶋悠久だ。」
そう彼女に告げると、マリーは少し驚いた表情を見せたがすぐに平静を装って
「トオシマ・ユクル?苗字があるということはどこかの貴族です?この国の貴族は大体把握していると思うのだけれど、、、」
「あ、あぁ。東にある小国で育ったんだ。」
(東、と言ったのは咄嗟だった。この国の人間が知らない場所であれば、どこでもよかった。前世の記憶がある以上、この世界が前世と全く無関係とも思えない。だとすれば、東に島国があっても不思議ではない。)
「そうなのですね。まだ国内の勉強で精いっぱいで。そんな時に魔物大戦が起こって、せっかく魔物に勝ったのに、人間に攻められるなんて、、、」
そういうとマリーは涙ぐんだ。
(この歳にしてはずいぶんとしっかりしていると思ったが、やはり無理をしていたんだな。さっきの話ではマリーは侯爵だった、と言っていた。貴族であったということは国の要職にいたはず。そこで戦争に敗北したということは、辛いこともあったのだろう。)
「すみません。少し思い出してしまって。でも平気です。私にはまだ家族同然の騎士団だっていますし。」
「大丈夫。人には何かしら抱えているものがあるから。」
(それにしても、魔物がいるのか。ファンタジー世界なのは間違いないようだ。それに馬車ということは文明もそれほど発展していないのだろう。魔法とかあったりするのだろうか。色々と聞きたいことがあるが、確実に今聞くべきことではないだろう。)
「ユクルさん、なんか大人びていますね。」
彼女はそう言いながら、どこか儚く、それでいて何かを思い出すような、そんな不思議な表情を浮かべていた。
身体の揺れが止まった。馬車が止まったようだ。車内から外の様子を見ることはできないが、現代社会の車のように遮音、防音がしっかりしているわけではない。馬車の外には複数の男たちがいるようだった。
「追手が来ているようだ。ここで待ち伏せをしよう。奴隷輸送班は2手に分かれるぞ。あの貴族の娘だけは価値が高いからな。」
男たちの声は筒抜けであった。しかし、筒抜けだったからといってなにかができるわけではない。
(このことをマリーに伝えるか?いや、いずれ分かることだ。)
「マリー、ノーヴェリアのやつらが騎士団に気付いたようだ。どうやらマリーだけでも連れて行こうとしているみたいだ。」
「そんな。。。」
彼女は動揺していた。唯一の希望が潰えたのだ。
彼女はきっとひどい扱いを受けるだろう。この国の上位貴族だったのだ。奴隷として働かされるならまだいいほうだ。年齢不相応の落ち着きに加え、貴族として培ってきた知識や能力なんかがあればもしかしたらあくまで、利用という形でだが、人間として尊厳を保つことはできるかもしれない。しかし、一番現実的なのは、嬲られることだ。歳不相応の頭の回転、そんな“おもちゃ”はなかなかない。現代においても、幼女がひどい扱いを受けるというのは少なくない話であった。しかし、大体貧困国のこどもである。まともな国の、ましてや貴族階級の少女がそのような扱いを受けるというのは聞いたことがなかった。だからこそ、“レア”なのである。
(俺に、何かできないのか、、、!何か能力とか、、、!この状況、現状で!)
そもそも能力のような力が存在する世界なのかもわからない。しかし、こどもがひどい扱いを受けるというのは、もう見たくない。どうにかならないのか、、、
騎士団が来る。そう信じていた。仲間が、必ず助けに来てくれると。しかしその希望は、消えた。
(もう、誰も来ない。)
「もう、、、ダメなのね、、、ノーヴェリアに行くくらいなら、いっそ、、、!」
マリーは思いつめた様子で、しかし震えながら、“何か”をしようとしていた。
その表情を見た瞬間、何かが悠久の胸を貫いた。
見たことがある。この顔を、知っている。追い詰められて、それでも誰にも言えなくて、最後に一人で決めてしまう人間の顔を。
(あの顔は、、、死ぬことを決めた顔だ、、、!)
「やめろ!」
マリーは驚いた様子でこちらを見た。
「お前のことを諦めていない人たちがいるんだろ。それならお前が勝手に諦めるんじゃない!」
言葉が勝手に出ていた。皮肉な話である。その言葉はかつて悠久が散々投げかけられていた言葉であった。
「なんで、、、その言葉を、、、?」
マリーは先ほどよりも驚いた顔で、問いかけた。その表情は少し明るく見えた。
「落ち着け。まだ終わっていない。」
悠久は努めて静かに続けて言った。マリーの震える肩を視界に収めながら、声だけは平坦に保った。
「でも騎士団が、もう―――」
「騎士団がいなくても、逃げる方法はある。」
根拠はなかった。ただ言わなければならなかった。マリーの目に、あの色が戻らないように。
「……本当に?」その瞬間、馬車が止まった。
外で複数の足音がした。砂利を踏む音。鍵を外す金属音。それから―――扉が開いた。
大柄な男が立っている。男は馬車の中を一瞥して、
「何を騒いでいやがる!」
一喝。それだけで空気を再び絶望へと押しやった。馬車に乗っているのは少年少女だ。怒声を浴びせれば、立場を理解せられる。実際、少年少女たちはおびえていた。マリーもまだ落ち着きを取り戻していないようだった。
「そこの女!こっちへ来い!」
大柄な男はマリーに向けてそう言い放つと、車内に上がり、マリーの腕を強引につかんだ。
「いやっ!離して!」
マリーが抵抗する。大柄な男も、貴族の娘を乱暴には扱えないのか、少し手間取っている様子であった。
(まずいな。分断されたらもうどうしようもない。)
そこで悠久は気づいた。自分がマリーを助けようとしていることに。なぜそう思ったのか、
悠久には分からなかった。前世では他人のことを気にしている余裕などなかったのだから。
(といっても今も余裕はない。せめてこの縄が外せれば、、、)
瞬間、何かが、剥がれた。
指先から、するりと抜けていくような感覚。縄が「縛るもの」でなくなった。所有も、拘束も、意味も——ただの繊維になった。
縄が、ほどけた。
悠久自身も理解していない。ただ、できた。
(なんだ!?縄がほどけた!?)
足の縄を見る。もう一度考える。この縄が外せれば、と。
再び同じことが起きる。何かが、剥がれるような何とも言えない感覚。理論は全く分からない。ただ縄が解けただけではない。
(もっと違う、概念的な何かに変化が起こった、?)
試しに他の少年少女の縄にも念じてみる。すると同様に、何かを剝がすような感覚とともに、彼らの縄が解けた。
ただし―――子供たちは動かない。解放されたことに気づいていない子もいる。長く縛られていると、縄がなくなっても逃げ方を忘れる。先ほどまで支配していた恐怖の空気から、困惑の空気へと変わっていった。
縄が解けた子供が一人、小さく声を上げる。それが賊の耳に届く。
マリーを外へ連れ出そうとしていた大柄な男が再び車内を見回す。一人、二人、いや―――全員、縄が解けている。
「何が起こりやがった!?」
大男が狼狽えた。大男には、現状が理解できていない。この状況の原因が俺にあるということが。
(今ならいけるか、?)
「逃げろ!」
俺は叫んだ。目的は注意を俺に引くことだ。大男は馬車の出口に一番近い。そこで俺に注意を引けば、マリーは逃げられるはずだ。それ以外の少年少女だって何人かは逃げられるかもしれない。全員が逃げられるとは思っていない。相手は大人だ。そこまで甘くはないだろう。
「おいてめぇ!」
大男が俺を見る。マリーの手は掴んだままだ。
(さらに何か仕掛けないと。手さえ離せば、マリーは逃げられるのに、、、!)
なにかが、“剥がれた”。さっきの感覚だった。大男が、マリーの手を放す。最初からつかんでいなかったかのように。あまりに自然に。強引に離されたようなものではなかった。
(また発動した!?まだ理屈はわからないが、とにかく!)
「マリー!走れ!お前らもだ!」
二度目の俺の号令で、ようやく理解したらしい。今このチャンスを逃せば、もう逃げられないことに。マリーを先頭に、少年少女たちが動き出す。大男の目が、逃げる子供たちを追った。俺のことはすでに視線から外れていた。
(俺も逃げなきゃな。奴隷なんてまっぴらだ。)
「逃がすな!全員捕まえろ!」
大男が外に向かって怒鳴った。虚を突かれた頭が戻ってきたようだ。
馬車の外で複数の足音が動き始める。逃げ切れるのは、最初の数人だけだ。それはわかっていたこと。
全員を救うなんて、そんな力はない。現実とは残酷なものだ。
その現実を知ってか知らずか、先頭を走るマリーは“振り返らなかった”。




