第85話 魔王候補の休日
第85話 魔王候補の休日
イステリアの街。
昼時を迎えた大通りは、多くの人々で賑わっていた。
商人達の威勢の良い呼び声。
石畳を行き交う馬車。
買い物を楽しむ家族連れ。
冒険者らしい装備を身に纏った男女。
港町らしく潮の香りを含んだ風が建物の間を吹き抜け、その喧騒すらも街の日常の一部となっていた。
そんな大通りから少し入った場所に、一軒の喫茶店がある。
若い女性を中心に人気を集める店で、昼時ともなれば空席を探す方が難しい。
そして。
窓際の席。
「ん〜♪」
一人の少女が、幸せそうに頬を緩ませていた。
「やっぱり美味しいわね」
クロエ・ハートフィリア。
王国三大公爵家の一つ。
ハートフィリア公爵家の長女。
第一王子の婚約者。
Aランク冒険者。
アンデッドの軍勢を従え。
吸血鬼を配下に置き。
王国すら保有していない巨大な工業地帯を築き上げ。
そして――。
世間では魔王候補とまで呼ばれている少女。
そのクロエが。
今。
パンケーキを食べていた。
目の前に置かれているのは三段重ねのふわふわなパンケーキ。
その上には、これでもかというほど大量の生クリームが盛られている。
苺。
ブルーベリー。
ラズベリー。
バナナ。
色鮮やかな果物まで山のように添えられ、粉砂糖が雪のように振り掛けられていた。
クロエはフォークでパンケーキを一口大に切る。
生クリームと苺をたっぷり乗せて。
ぱくり。
「んっ……」
ふわふわの生地が口の中でほどける。
甘さ控えめの生クリーム。
苺の程良い酸味。
思わず頬が緩んだ。
そして。
カップを手に取る。
中身は砂糖もミルクも入っていないブラックコーヒーだった。
こくり。
「ふぅ……」
甘いパンケーキ。
苦いコーヒー。
その組み合わせが気に入っている。
一方。
向かい側では。
「足りないニャ」
ユナが真剣な顔で呟いた。
「何が?」
「甘さニャ」
「十分甘いでしょう?」
「まだいけるニャ」
そう言って。
メープルシロップの容器を持ち上げる。
「ちょっと――」
とろぉぉぉぉ……。
黄金色のメープルシロップが流れ落ちる。
少量ではない。
滝だった。
「ユナ!?」
パンケーキが見る見るうちにメープルシロップへ沈んでいく。
「それ、かけ過ぎじゃない!?」
「これくらいがちょうど良いニャ!」
「絶対嘘でしょう!?」
ユナは気にしない。
大きく切ったパンケーキへ生クリームを乗せ、さらにメープルシロップを絡ませる。
そして。
「あーん……」
ぱくっ。
口いっぱいに頬張った。
もぐもぐ。
もぐもぐ。
狼耳がピンッと立つ。
尻尾が左右へ猛烈な勢いで揺れ始めた。
「んんん〜〜〜っ!!」
両頬へ手を添える。
「幸せニャ〜〜〜!」
「安上がりな幸せね……」
クロエは呆れながらコーヒーを飲む。
だが、その口元には笑みが浮かんでいた。
そんな二人を。
少し離れた場所から見つめている少女がいた。
「……」
黒髪。
紫色の瞳。
カノン。
Aランク冒険者。
蒼穹の旅団に所属する斥候兼暗殺者。
そして今日から。
クロエ付きのメイドである。
もっとも。
「……」
本人の表情は死んでいた。
理由は単純だった。
服である。
黒を基調としたクラシカルなメイド服。
白いエプロン。
膝丈のスカート。
胸元には小さなリボン。
頭には白いホワイトブリム。
普段の暗殺者としての装備とは似ても似つかない。
(……落ち着かない。)
何度目か分からない感想を心の中で呟く。
ちなみに。
この衣装を選んだのはカノンではない。
千手怨霊ミサだった。
朝。
カノンの仕事着をどうするかという話になった時。
『メイドならメイド服でしょ!』
という、謎の理屈によって押し切られた。
断ろうとはした。
だが。
何故か用意されていた大量のメイド服を前に、ミサが異様なまでに楽しそうだったため、最終的に諦めた。
(人生って……。)
(何が起こるか分からない。)
孤児だった。
生きるために暗殺術を身につけた。
冒険者になった。
Aランクまで上り詰めた。
数え切れないほど危険な依頼を経験してきた。
そんな人生を送ってきた自分が。
まさか。
(メイド服を着て……。)
視線を前へ向ける。
(魔王候補がパンケーキを食べているところを見守ることになるなんて。)
本当に人生は分からない。
だが。
目的を忘れてはいない。
カノンは静かにクロエを観察する。
(クロエ・ハートフィリア。)
昨日。
屋敷の裏側を見た。
巨大発電施設。
溶鉱炉。
工場。
鉄道。
戦車。
装甲車。
飛行兵器。
そして。
それらを運用する膨大な数のアンデッド。
王国ですら持たない技術。
軍事国家にも匹敵する戦力。
それを築き上げた少女が。
「ユナ」
「ニャ?」
「口にクリーム付いてる」
クロエがナプキンを取る。
「動かないで」
「むぅ」
ユナの口元についた生クリームを拭ってやる。
(……。)
カノンは無言になる。
(本当にこの人なの?)
昨日見たものと。
目の前の少女が。
どうしても結び付かなかった。
すると。
「カノン」
突然名前を呼ばれた。
「はい」
反射的に背筋を伸ばす。
クロエが不思議そうにこちらを見ていた。
「ずっと立ってるつもり?」
「メイドですので」
「そうだけど……」
クロエは首を傾げる。
そして、自分の向かいにある空席を指差した。
「あなたも一緒に食べる?」
「……」
カノンの視線が動く。
クロエ。
そして。
パンケーキ。
「いえ」
即答する。
「結構です」
「そう?」
「はい」
「……」
「……」
沈黙。
クロエがパンケーキを一口食べる。
カノンの視線がそれを追う。
ふわふわの生地。
たっぷりの生クリーム。
真っ赤な苺。
「……」
クロエがもう一口食べる。
また視線が追う。
「……」
クロエは気付いた。
カノンの顔は完全に無表情。
しかし。
視線だけは。
パンケーキに釘付けだった。
「ふふっ」
「……何でしょう?」
「別に」
クロエは小さく笑う。
そして店員へ手を挙げた。
「すみません」
「はい!」
「このパンケーキ、もう一つお願いします」
「かしこまりました!」
「……クロエ様?」
「カノンの分」
「私は結構だと――」
「いいじゃない」
「でも」
「せっかく来たんだから食べましょうよ」
「……」
カノンは困った。
本当に困った。
断る理由がない。
「……そこまで仰るのでしたら」
「うん」
「いただきます」
数分後。
カノンの前にも同じパンケーキが置かれた。
「……」
改めて見る。
近くで見ると、さらに美味しそうだった。
ナイフを入れる。
驚くほど柔らかい。
一口分を切り取り。
生クリームを少し乗せる。
口へ運ぶ。
「……」
ふわっ。
口の中で溶けた。
(……美味しい。)
ほんの僅か。
本当に僅かだった。
だが。
カノンの口元が緩んだ。
それをクロエは見逃さない。
「美味しい?」
「……普通です」
「そう?」
「はい」
「じゃあ要らない?」
「食べます」
「ふふっ」
「……」
カノンは少しだけ頬を赤くして、黙々とパンケーキを食べ始めた。
その時だった。
「おや?」
聞き覚えのない男の声。
「奇遇ですね」
クロエが顔を上げる。
「あら」
そこには一人の青年が立っていた。
穏やかな表情。
どこにでもいそうな青年。
少なくとも。
普通の人間が見れば。
「ジン」
「こんにちは、クロエさん」
ジンはいつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「こんなところで会うとは思いませんでした」
「私もよ」
「あはは、こう言うのを運命って言ったりするんですかね?」
「偶然よ」
そこでジンは空いている席を見る。
「僕もご一緒して宜しいですか?」
「別にいいけど」
「ありがとうございます」
ごく自然に。
クロエの隣へ腰掛けた。
「……」
カノンの手が止まった。
フォークを持ったまま。
完全に固まる。
(……え?)
目の前の青年を見る。
間違いない。
見間違えるはずがなかった。
(ジン……。)
Sランク冒険者。
冒険者なら、その名を知らない者の方が少ない。
単独で国家級の災害へ対処できる怪物。
Aランクであるカノンから見ても、完全に別次元の存在だった。
AとS。
文字にすれば一段階。
だが。
実際には、その間には絶望的な壁が存在する。
その男が。
「すみません」
店員を呼び止める。
「彼女と同じパンケーキをお願いします」
「かしこまりました!」
普通にパンケーキを注文した。
(……。)
カノンはクロエを見る。
クロエは普通にコーヒーを飲んでいる。
ジンを見る。
普通にメニューを眺めている。
再びクロエを見る。
(知り合いなの!?)
驚愕を顔へ出さなかった自分を褒めたい。
「クロエさんは、よくこの店に来るんですか?」
「たまにね」
「ここのパンケーキ、美味しいですよね」
「知ってるの?」
「ええ。僕も何度か来ています」
運ばれてきた水を一口飲む。
「生地がふわふわですし、クリームも甘過ぎないところが気に入っています」
「へぇ」
「意外ですかね?」
「少し」
「僕だって甘い物くらい食べますよ」
ジンが苦笑する。
そして。
視線がカノンへ向いた。
「ところで」
「はい」
「こちらの方は?」
カノンの背筋が僅かに伸びる。
「カノンよ」
クロエが答える。
「今日から私付きのメイドとして働いてくれてるの」
「なるほど」
ジンが興味深そうにカノンを見る。
「メイドさんですか」
「はい」
カノンは静かに頭を下げる。
「カノンと申します」
「ジンです」
「存じております」
「え?」
「冒険者で貴方を知らない者は、ほとんどいません」
「ああ……」
ジンは少し困ったように頭を掻いた。
「有名なのも考えものですね」
(何を今更。)
カノンは心の中だけで呟いた。
するとジンが再びクロエを見る。
「でも、専属のメイドさんまでいるなんて」
「クロエさんって、普段から使用人を連れて歩くようなお嬢様だったんですね」
「一応、元貴族よ」
「一応なんですね」
「色々あるのよ」
「なるほど」
何がなるほどなのか分からない。
クロエもそう思ったのだろう。
小さく溜息を吐いた。
「相変わらずね……」
「何がです?」
「何でもない」
その時。
「クロエ〜」
ユナが顔を上げた。
「ニャ?」
鼻先。
頬。
口元。
生クリームだらけだった。
「……どうやったらそうなるのよ」
クロエは呆れながらナプキンを取る。
「動かないで」
「ん」
口元を拭う。
頬も。
鼻先も。
「子供じゃないんだから」
「美味しかったニャ」
「それは分かったから」
ジンはそんな二人を黙って見つめていた。
そして。
ふっと。
柔らかな笑みを浮かべる。
「……」
カノンの紫色の瞳が細くなる。
職業柄。
人を見る癖がある。
視線。
呼吸。
僅かな表情。
そうした変化から、相手の感情を読み取る。
ジンの視線は。
ユナではない。
パンケーキでもない。
クロエへ向いていた。
(……?)
その瞬間。
カノンの中で別の好奇心が芽生えた。
観察対象はクロエだけだったはずなのに。
気になる。
非常に気になる。
「あの」
気付けば口を開いていた。
「はい?」
ジンが振り返る。
「ジンさんとクロエ様は……」
一拍。
「どのような関係なのですか?」
「ちょっと、カノン?」
クロエが目を瞬く。
「申し訳ありません」
そう言いながら。
カノンの目は全く反省していなかった。
知りたい。
ジンは少し考える。
「僕達ですか?」
「はい」
「どうでしょうね」
腕を組んだ。
「パーティー仲間……と言うには、まだ一回しか一緒に依頼を受けていませんし」
黒岩ダンジョン。
クロエ達と共に攻略した場所だ。
「それだけで仲間を名乗るのも、少し馴れ馴れしいですかね」
「……」
「友達というのも……」
ジンはクロエを見る。
「まだ図々しいでしょうか?」
その視線を受けて。
クロエはブラックコーヒーを一口飲んだ。
「単なる顔見知りよ」
ばっさり。
「クロエ!?」
ユナが笑う。
「厳しいニャ!」
「事実でしょう?」
クロエは平然としている。
だが。
ジンは落ち込まなかった。
「そうですね」
むしろ笑っていた。
「僕達、まだ知り合ったばかりですし」
「ええ」
「なら」
ジンは真っ直ぐクロエを見る。
「これから親しくなっていけば良いですしね」
「……」
クロエの手が止まった。
ほんの一瞬。
ジンと視線が重なる。
「……何よ」
「いえ」
「だったら、そんなに見ないで」
「すみません」
そう言いながら。
ジンは笑っている。
「……」
クロエは気まずそうに視線を逸らした。
コーヒーカップを持ち上げる。
「……苦い」
「ブラックですからね」
「分かってるわよ」
僅かに頬が赤い。
カノンは見逃さなかった。
(……。)
クロエを見る。
ジンを見る。
もう一度クロエを見る。
(なるほど。)
何かを理解した。
少なくとも。
ジンがクロエを見る目は。
ただの顔見知りへ向けるものではない。
(この人……。)
(クロエ様のことが好きなのでは?)
新たな観察項目が増えた瞬間だった。
「どうしたの?」
クロエが怪訝そうにカノンを見る。
「いえ」
カノンは何食わぬ顔でパンケーキを一口食べる。
「何でもありません」
「なんでちょっと笑ってるの?」
「気のせいです」
「絶対何か考えてるでしょう」
「メイドですので」
「答えになってないわよ」
カノンは答えない。
ただ。
パンケーキをもう一口。
(……やっぱり美味しい。)
口元がまた僅かに緩む。
クロエはそれを見て小さく笑った。
窓の外。
イステリアの街はいつもと変わらず賑わっている。
誰も知らない。
人気の喫茶店の窓際で。
魔王候補と呼ばれる少女と。
Sランク冒険者。
ウェアウルフ。
Aランクの暗殺者が。
揃ってパンケーキを食べているなど。
まして。
その魔王候補が。
「ユナ!」
「今度は何ニャ?」
「私の苺取ったでしょう!」
「知らないニャ」
「口に付いてるでしょうが!」
「証拠隠滅ニャ!」
「あっ、食べた!」
苺一つを巡ってウェアウルフと本気で揉めているなど。
誰が想像するだろう。
カノンはブラックコーヒーを飲みながら、静かに二人を見つめた。
(魔王候補。)
(アンデッドの支配者。)
(王国すら凌ぐ技術を持つ少女。)
(Sランク冒険者とも知り合い。)
並べれば並べるほど。
恐ろしい人物にしか聞こえない。
なのに。
目の前にいるのは。
奪われた苺を本気で悔しがっている、一人の少女だった。
(……やっぱり。)
カノンは小さく息を吐く。
(分からない人。)
だが。
昨日とは少しだけ。
その言葉の意味が変わっていた。
恐ろしいから分からないのではない。
もっと知りたい。
そう思っている自分がいる。
クロエ・ハートフィリア観察記録。
二日目。
魔王候補は――。
休日にパンケーキを食べる。
そして意外と。
普通の女の子だった。
――続く。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
今回のお話をもちまして、この章は一旦完結となります。
気付けばクロエの周りには随分と変わった仲間達が集まり、屋敷も最初とは比べものにならないほど賑やかになってきました。
黒岩ダンジョンの攻略、新たな使用人達との出会い。
そしてクロエの知らないところでは、ジンと強欲の悪魔アモンによる、とんでもない戦いまで繰り広げられることになりました。
物語もここから少しずつ大きく動き始めます。
クロエが手に入れた黒岩ダンジョンと古代ドワーフ文明の遺産。
大量に眠る魔石や希少鉱石。
そして、未だ謎の多いジンや七大悪魔達。
これらが今後どのように物語へ関わってくるのか。
そして何より――。
平穏な生活を求めていただけのクロエが、果たして本当に平穏に暮らせる日は来るのか。
引き続き見守っていただければ嬉しいです。
ここまで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。
感想やお気に入り登録なども、とても励みになります!
それでは、クロエ達の物語は一旦ここで一区切り。
また次の章でお会いしましょう!




