第20話 ログザ魔脈坑の終焉
────第1層。
気絶したグレンを背負ったジャズは、焼け爛れた足の激痛を精神力でねじ伏せ、丸2日をかけて暗い坑道を登り続けた。
途中、第5層で完全に崩落したスロープを越える際、残り僅かな緑魔素を振り絞るも発動した風魔法の威力が足りず跳びきれなかった。だが、ジャズは血の滲む指先で上層へ続く崖の岩肌へしがみつき、気絶したグレンを背負ったまま、執念のみで崖を登り切った。
(絶対に……絶対にこいつを死なせはしねえ……!)
ひとえに、その気合だけで歩を進め続ける。
やがて、第2層を塞いでいた分厚い蜘蛛の巣の僅かな隙間を見つけ、なんとか這い出るようにして通り抜けた。
そして遂に、第1層の中盤に差し掛かる。
ジャズの視界の先に、ログザ魔脈坑の大穴の淵に立ち、一斉に魔素銃を下へ向けている治安維持部隊の面々の姿が映った。
(何とか、戻ってこれた……)
だが、背中で眠るグレンの呼吸はひどく弱く、体温の低下も肌越しに伝わってくる。もはや1刻の猶予もなかった。
ジャズは最後の気力を振り絞り、出口へ向けて走り出す。
しかし、その背後の深い闇の底から、おぞましい金切り声が重なって響き渡った。
「「「キィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」」」
驚いて振り返ると、体長5メートルほどの地蜘蛛の亜種が、第2層の蜘蛛の巣の裏側から、ぞろぞろと無数に這い出してきているのが見えた。地底でジャズが目撃した個体よりも、さらに1回りほど大きく成長している。
「なっ、くそっ! 孵化した連中がもうここまで上がってきやがったか!?」
淵で警戒に当たっていた兵士らも、這い上がってくる群れを目視したのだろう。次々に銃撃が開始され、蜘蛛の巣に着弾して激しい爆発を起こす。
先ほどグレンらが死闘を演じた巨大な蜘蛛とは違い、火魔法を浴びた子蜘蛛たちは熱に身を捩って怯む様子を見せるが、それでも致命傷には至らず、着実に蜘蛛の巣へ這い上がってきていた。
兵士たちの弾幕による時間稼ぎのおかげで、ジャズはなんとか魔脈坑の入り口へ到着する。兵士たちは、死んだと思っていたジャズの生還に目を見開いた。
「ジャズ曹長!? ご無事でしたか!!」
「ああ! だが今は俺の心配をしてる場合じゃねえ! あの穴底の状況を見たな!?」
「は、はいっ!」
悪夢のような光景を思い出したのか、入り口の兵士は青ざめた顔で頷く。
「航空支援の要請はどうなってる!?」
「キ、キース准尉が軍管区と直接交渉に当たったというところまでは聞いていますが、最終的に許可が降りたかまでは……!」
ジャズは舌打ちをすると、グレンを背負ったまま駐屯兵舎へと走り込んだ。途中、すれ違った顔見知りの兵士の肩を掴み、背中のグレンを強引に預ける。
「第7層での生存者だ! 直ちに医療班へ引き渡せ!」
「……っ、はっ! いや、しかしその身なりは奴隷では……我々軍人の医療物資を奴隷に使うのは……」
「曹長命令だ!! ────いいか、こいつはこの未曾有の事件の『最重要目撃者』だ! 万が一こいつを死なせたら、特務部隊の権限で貴様ら全員を極刑に処す! 分かったな!」
「は、はいいいっ!」
兵士はジャズの鬼気迫る表情に圧倒され、慌てて敬礼すると、グレンを抱き抱えて医務室へと駆け出していった。
それを見届けたジャズは、血と泥に塗れ、火傷の足を引きずりながら通信室へと直行する。扉を蹴り開けると、そこには机に肘をつき、祈るように手を強く組み合わせているキース准尉の姿があった。
「キース准尉」
「!? ジャズ曹長……生きていたのか!」
キースは弾かれたように立ち上がり、かつてないほど安堵の表情を見せてジャズの生還を喜んだ。
「あのバケモノは……殺したのか!?」
「はい。生存していた奴隷の協力を得て、なんとか討伐には成功しました」
「なっ……」
その報告を聞き、キースの顔色が一気に青ざめる。自分がキャリアを懸けて強引に通した『航空支援要請』が、すべて無駄になったのではないかと絶望した顔だ。
「准尉、安心してください。俺たちの首は繋がってますよ、今はまだ。……奴は第7層で、すでに凄まじい個体数を『繁殖』させていました。先ほど俺が帰還する際、孵化した群れが第2層に張られた蜘蛛の巣まで上がってきているのを目視で確認しています。このままでは、遅かれ早かれ地上は地蜘蛛の亜種で溢れかえります」
「なるほど……どちらにしても我々の命は風前の灯火か」
ジャズはキースの目を真っ直ぐに見据える。
「准尉。で、肝心の『航空支援』はどうなりましたか」
「……一昨日に上層部へ要請を叩きつけ、昨日ようやく返答があった。──作戦は承認された。空爆を実施するとのことだ」
「……! 本当ですか!」
ジャズの顔に、明確な希望の光が差す。しかし、キースの表情は依然として硬いままだった。
「だが、問題がある。作戦の開始時刻がいまだに知らされていないのだ。実施の直前に部隊から直接通信が入るとのことだが、いくら待っても連絡がなくてな──」
────ダダダダダダダダダンッ!!!
キースの言葉を遮るように、外から大気を震わせる凄まじい量の一斉射撃の音が鳴り響いた。
直後、血相を変えた下士官が通信室へ転がり込んでくる。
「報告します! 第2層の蜘蛛の巣を突破し、魔獣の繁殖個体が第1層へ侵入を開始! その数、目視できるだけでも300を越えると思われます!」
「300だと!?」
キースは絶望に顔を歪めた。
「はい! 現在、駐屯部隊のほぼ全隊員が穴の淵に展開し、全力で交戦しております! なんとか弾幕で足止めしていますが、数が多すぎます! 長くは持ちません!」
キースとジャズは、同時に苦虫を嚙み潰したような顔を見合わせた。
遂に子蜘蛛らは、新たな餌を求めて一斉に地上を目指し始めたのだ。
「……ジャズ曹長」
「ええ、分かってます。任されましたよ」
ジャズは火傷で激痛が走る足を叩いて気合を入れると、壁にかけてあった予備の弾薬袋をひったくり、早足で魔脈坑の入り口へと引き返した。
そのときであった。
通信機から、無機質な電子音と共に、ノイズ混じりの音声が響き渡った。
『────こちら南部軍管区・航空司令室。ログザ駐屯地、応答願う』
それはキースにとって、待ちに待った救いの声だった。彼は慌てて通信機のスイッチを叩き込むように押した。
「こちらログザ駐屯地、キース准尉です! 航空支援の実施は、いつになりますか!」
『当軍管区所属の飛空突撃艇編隊は、すでに2時間前にアルザル航空基地を出撃している。予定では、あと30分もしないうちに目標上空へ到達し、空爆を開始する』
「あと30分……ですか!」
『いかにも。目標ポイントの直上から、全火力を投射して制圧する。……地上部隊に何か問題はあるか?』
キースは額の汗を拭い、繁殖個体が今まさに地上へ溢れ出そうとしている危機的状況を早口で伝えた。
『……なるほど。いいか准尉、どんな犠牲を払ってでも、30分間、魔獣の群れを必ず『大穴の中』に押し留めろ。もし魔獣が地上へ溢れかえった場合、我々は作戦を変更し、被害拡大を防ぐためにログザ駐屯基地の居住区や周辺施設諸共、焦土作戦に切り替えてすべてを爆撃することになるぞ』
「────分かりました。死守させます」
通信室を飛び出したキースが現場へ到着すると、大穴の淵はすでに地獄絵図と化していた。
数百名の兵士たちが横1列に並び、崖の下へ向けて絶え間なく魔素銃を撃ち下ろしている。だが、下から這い上がってくる蜘蛛の群れは、仲間の死体を足場にしてでも、執拗に地上を目指していた。
「ひぃぃっ! こっちの壁を登ってくるぞ!」
「撃て! 撃ち落とせ! 火力を集中させろ!」
「足元を狙え! 崖を切り崩して下へ落とせ!」
怒号と悲鳴、そして炸裂する赤魔素弾の閃光が入り乱れる。
ジャズは最前線に立ち、満身創痍の身体を奮い立たせ、先陣を切って登ってくる個体を順次撃ち込んでいく。
「怯むな! あと30分だ! あと30分だけここを死守すれば、空からの支援が降ってくる! それまで一歩も引くんじゃねえぞ!!」
ジャズの激が飛び、兵士たちは恐怖で震える足を踏みとどまらせて引き金を引き続ける。
5分、10分、20分。
永遠にも思える時間が過ぎていく。兵士たちの弾薬が次々と尽き、銃身が焼き切れる者が続出する。
中には繁殖個体が吐いた蜘蛛の糸に巻き取られ、そのまま喰われるものもいた。
徐々に、群れの進行を抑えきれなくなり、ついに数匹の巨大蜘蛛が、第1層の淵の岩に太い脚をかけた。
「だ、駄目だ! 突破されるッ!」
絶望が兵士たちの顔を覆った、その瞬間だった。
────ヒュイイイイイイイイイイイイイイィィィン……ッ!!!
上空から、大気を切り裂くような甲高いタービンの駆動音が響き渡った。
全員が思わず頭上を見上げる。
ログザ魔脈坑のすり鉢状の大穴に影を落とすように、空に複数の影が現れた。ザイバス共和国が誇る航空兵器、飛空突撃艇の編隊である。
『こちら第4飛空大隊。目標ポイントへの到達を確認した。これより、ログザ魔脈坑の魔獣災害制圧作戦を開始する』
タービンの駆動音が聞こえると同時に、下士官全員が叫んだ。
「全員、崖から離れて伏せろォォォォッ!!」
ジャズと兵士たちが一斉に穴から離れ地面に這いつくばった直後。
上空のストライカーのハッチが開き、雨霰のように無数の黒い塊──航空用の特大赤魔素爆弾が、大穴の底へ向けて一斉に投下された。
それは、文字通り『圧倒的な暴力』だった。
ズドドドドドドォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
魔脈坑の底から、太陽が直接墜落したかのような凄まじい閃光が逆流する。
鼓膜を破壊する爆音と共に、灼熱の爆風が、大穴から火柱となって天高く吹き上がった。這い上がろうとしていた300匹の魔獣の群れも、足場にしていた第2層の分厚い蜘蛛の巣も、持ち前の火魔法耐性が効果ないほどの熱により、一切の抵抗を許されず瞬時に蒸発し、跡形もなく消し炭へと変えられていく。
兵士たちは地面に伏せたまま、頭上を通り抜ける熱風に耐え、ただその圧倒的な破壊の光景に震えることしかできなかった。
……数分後。
爆撃が終了し、耳鳴だけが残る静寂の中、ジャズはゆっくりと身を起こした。
大穴の淵から下を覗き込む。かつて地底まで続いていた魔脈坑は、スロープの道が崩壊し、崖が抉り込まれ、地底が埋まっている状態であった。
それは、誰が見ても復旧まで数年がかかるであろう、魔脈坑の大崩壊を意味する。
「……終わったか」
ジャズは煤だらけの顔でへたり込み、大きく、深く息を吐き出した。
全身の力が抜け、持っていた魔素銃が手からこぼれ落ちる。
その頃。
駐屯基地の医務室の固いベッドの上で、全身に包帯を巻かれた小さな少年が、静かに寝息を立てていた。
奴隷としての理不尽な搾取、命を懸けた絶望的な死闘。それらすべてを乗り越え、彼は確かに生き残ったのだ。
グレンの長く過酷な『労役』の日々は、文字通り炎と共に焼き尽くされ、ここに幕を下ろしたのだった。
第1章 完結です!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。やっとプロローグが終わりました。
気づけば、約12万字になっていたんですね。
執筆所感や今後の展開等も含めて、活動報告でお話しさせていただければと思います。
さて、実は年度末の関係で仕事が忙しいのもあるので、いったん書き溜めの時間をいただこうかなと考えています!
次回更新は4月6日19:00~20:00から1話ずつの更新を想定しています。よろしくお願いいたします。




