10*Action
Action――行動
▼C14H19NO2
特進科に編入して、約1ヶ月が経とうとしている。私の感覚だと2週間くらいしか経っていないように思えるが、この日々が駆け足過ぎた故だろう。慣れない闘衣換装や作用機序に戸惑ったり、ソラ達に協力を求められたりと、流石に忙しすぎた。
「そろそろ、メチルフェニデートにも参考服薬者が必要かもしれないわ」
松本先生は、何か思案しているようだ。
「参考服薬者…って、なんですか?」
「特進科に属する薬のうちの1つを投与されている、またはこれからされる患者の中から、家庭の事情などを考慮した上で『観察対象』として選ばれた1人の患者のことよ。言わば貴方達にとっての『パートナー』なの。貴方達は基本的に、編入後1ヶ月したら参考服薬者が選定されるのよ。もちろん選定されない薬もあるわ」
「…そう、なんですね。私はどうやって会うんですか?」
「貴方達は普段、人間に現身を『見せていない』だけで誰にでも見えるの。だから、現身のままで会えるわ」
現身で人間社会に出る――デバイスが設置されている場所だろうか。
薬師寺学院と提携している病院として『瑠璃光総合病院』があるが、特進科に編入すればそこに直に関われるのか。
「もしかして…瑠璃光絡みの何かですか?」
「ええ。そこに入院しているか、もしくはその近辺に在住している患者から選ばれるわ。1種類の薬につき1人だけれど、『投与を終了した』『複数の薬を服用することになった』などの理由があれば解除されるのよ」
神経科に在籍していた時も何回か話は聞いていたが、当時は病院に入ることは出来ても、特定のパートナーは持たなかった。
これも特進科の生徒としての、一種の仕事だろうか――
***
瑠璃光総合病院は、専属の薬剤師の技術が高度なことで有名な企業立病院だ。『大医王』『医王善逝』とも称された如来・薬師瑠璃光如来の名を刻まれたこの病院は、私立薬師寺学院と提携している。
その系列の1つである瑠璃光総合関東病院は、約600床の病床を備えた地上11階・地下4階建ての建築物で、特進科の生徒はデバイスを、他の科の生徒は生徒証をかざすことで出入りが認められる。最上階の11階はセキュリティを重視した特別病棟で、差額ベッド料約4万円~約13万円の特別個室があるが、こちらもデバイスまたは生徒証をかざすことで出入りできる。薬師寺学院からは車で5分だ。
「エチゾラム、色々教えてあげなさいね」
「はーい!」
エチゾラムとメチルフェニデートは薬師寺学院の制服を着ている。表向きは医者や薬剤師の助手として振舞い、患者と親族にのみ事情を説明して『自分は薬だ』ということを明かすのだ――制服に包まれた体に、温もりはない。
「あの…特進科の生徒さんかな?」
姿を現したのは暁万里。この病院専属の薬剤師で、彼女もまた向精神薬取扱者としての免許を持った者・薬師である。纏めた金髪と碧眼の彼女は、どことなくエチゾラムに似ていた。
「はい。C14H19NO2、メチルフェニデートです」
「同じくC17H15ClN4S、エチゾラムです!」
「エチゾラムのことは知ってるよ。それで、メチルフェニデートさん。参考服薬者、探しに来たんでしょう?」
「そうです。ここにいるのですか?」
「まあ、そんなとこかな。ついておいでよ!」
暁は、一足先に2人に背を向けて、廊下に踏み出した。
同時刻 私立薬師寺学院特進科校舎 廊下
「なあ、ジアセチルモルヒネ」
フルニトラゼパムは、前にいた長い髪の少女のような姿をした薬――ジアセチルモルヒネを呼び止めた。
「…何よ」
「リタリンに、何もしてねえよな?」
「ええ、あの子には何も。あの子は、今は自分の参考服薬者を探しているわ」
「参考服薬者…ああ、そろそろか」
かつてフルニトラゼパムにも、参考服薬者がいた。
それは今から1年半前――フルニトラゼパムが、まだ人間で言う16歳だった頃。
梅枝凛々香、彼女は瑠璃光総合病院の入院患者で、他の催眠薬に反応しない、慢性の不眠症だった。
『ロヒプノール、お前の薬だ。宜しくな!』
『アタシは梅枝凛々香。どういうわけか、ある時からすげえ眠れなくなってさ。それがずーっと続いてるんだよな…ロヒプノール、アンタはアタシを助けてくれるのか?』
『まあな。それが薬ってもんだしな』
けれど、そんな彼女が参考服薬者でなくなるときがやって来た。彼女は、両親の仕事の都合でアメリカに発つことになったのだ。
そこで、両方にとっての障壁が待ち構えていた。
フルニトラゼパムは、アメリカでは医薬品として承認されていなかったのだ。
それどころか一部の州ではスケジュールI、つまり麻薬扱いになっている。そのため、アメリカにフルニトラゼパムを持ち込むことは非常に難しい。
――思っていなかった。自分が薬であることを、これほど後悔する日が来ようとは。
例え現身で人間のように振る舞おうと、本来の姿が薬である以上はパスポートなど発行されるわけがない。
『リリィ、オレはお前に謝らなきゃいけねえ』
フルニトラゼパムは凛々香のことをリリィと呼んでいた。
リリカという商品名の薬・プレガバリンがあるから、という理由もあったが、何より彼女本人の希望でもあった。
『何があったんだよ…!』
『オレは、向こうに行けねえんだ。アメリカに行くんだよな?』
『それがどうしたって…!』
『残念なことに、アメリカはオレを医薬品として認めてねえ。それどころか、麻薬扱いしてる州もあるんだ。こういうことは、オレがどうにかできることじゃねえしな』
『そうだったのか…まあ、処方期間が終わるまではもう少しあるんだろ?』
『まあな。それまで宜しく、ってことで!』
フルニトラゼパムは、しばらく回想に浸っていた。
「リタリンも参考服薬者が付くんだな…あいつはそれを果たし切れるのかな…」
「どういうことよ。貴方は果たしきれなかった訳?」
「だな。あいつはアメリカに行っちまった。オレは…向こうに行けねえしな…」
「そうね。貴方は指定されているもの」
「お前もだろうが。つーか、お前を認めてくれてんのはスイスくらいだろ」
ジアセチルモルヒネもまた、スケジュールI、つまり麻薬に指定されている。それも、ほぼ全ての州で。
「そうね…だから私は解放されたいの。もう封印されたくないもの」
麻薬棟の一室に封印されている状態が常のジアセチルモルヒネならば、解放されたいと考えても不自然ではないだろう。それも、国に認められた状態で薬効を発揮できるのは、スイスのヘロイン計画に限られている。
だからこそ、ジアセチルモルヒネはクーデターを起こそうと企んでいるのだ。
「私に協力しない?そうすれば私も…貴方も医薬品として好きに動けるはずよ」
「それは一理あるかもしれねえ。…が!オレは協力してやれねえ!」
フルニトラゼパムは共感を示した上で、それでもその提案を切り捨てた。
「どうしてよ?指定さえされなければ、貴方の参考服薬者の元にだって行けたはずよ?」
「確かにな。指定されてなきゃ、オレもお前ももっと自由だったかもしれねえよ。けど、それじゃいけねえんだ。薬ってのは、本来人間を助けるもんでなきゃいけねえ。人間を壊すもんでもねえし、かといって救うもんでもねえからな」
フルニトラゼパムには、薬としての確固たる矜持があったのだ。
元々2人は折り合いが悪かったのだが、これで決別は目に見える形となったと言えるだろう。
「正直言って、オレは許してやれねえよ。お前自身も、お前のやり方もな」
「…貴方は、見限ったということね」
「まあな。じゃ、そういうわけだから」
フルニトラゼパムは何も言わずに踵を返した。




