第1ゲーム「ロシアン角砂糖」
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ルール説明
道具:角砂糖5個/コーヒーカップ5個
毒:角砂糖5個のうち1個に即死性の毒が仕込まれている。
手順:参加者は各自、角砂糖を1個選ぶ。
選んだ角砂糖を自分のコーヒーに溶かす。
コーヒーを飲む。
結果:毒入りを飲んだ者は即死。生存者のみ次に進む。
禁止:参加拒否/退出/外部連絡は不可能。
※扉は施錠済み。
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「ふん、茶番だな」
沈黙を切り裂いたのは紺色のスーツに銀縁眼鏡をかけた男、九条だった。
「マスター。このゲームの公平性は保証されているのか? 統計的に言えば、ここで誰か一人が確実に死ぬ確率は100%。だが、その一人が『自分ではない』という確証が持てない限り、この賭けは成立しない。そもそも、我々に選択権があるという前提そのものが――」
「あら、九条様」
赤いドレスに身を包んだ麗香の声が、論理構築を遮った。
「詭弁という細い糸にすがって、死という深淵を渡りきれるとお思い?」
麗香は扇子を閉じ、艶やかな唇を吊り上げた。まるで子どもが虫の観察をするような、冷たい好奇心が目に宿っている。
「よろしいわ、退屈しのぎにヒントを差し上げます」
麗香の指先が、テーブル中央の角砂糖へと伸びる。
「毒は、真ん中のこれですわ」
その宣言は、あまりにも明確で、躊躇がなかった。
「わたくし、これを避けて、一番左の端っこをいただきますわね。それが最も『合理的』ですもの」
空気が凍った。
四人の視線が、一斉に麗香へと集中する。
九条の眉間に深い皺が刻まれる。彼の脳は高速回転を始めた。
「……お嬢様、君は今、何一つ根拠のない『嘘』を吐いた」
九条の声は、わずかに震えていた。自分を納得させるために、彼は言葉を重ねる。
「そもそも、君が毒の所在を知っているはずがない。我々は全員同じタイミングで目を覚まし、同じ条件下でこの盤面を提示された。マスターとの共謀も考えられるが、それなら最初から君だけを生き残らせる方法はいくらでもある。わざわざ我々を集める必要がない」
九条は眼鏡を押し上げ、麗香を睨みつける。
「君も我々と同じ『プレイヤー』のはずだ。なのになぜ、そこまで確信を持って言い切れる? あまりにも不自然だ」
麗香は、扇子で口元を隠し、クスクスと鈴を転がすように笑った。
「あら、九条様。理由がなければ信じられませんの? 窮屈な人生ですこと」
「……演技だろう」
九条の声が、わずかに語気を強める。
「君は自分が『知っている側』だと錯覚させることで、我々の判断をコントロールしようとしている。ゲーム理論で言えば、情報の非対称性を利用した典型的なブラフだ」
九条は机に指を叩きつけた。
「君が『真ん中が毒だ』と言えば、我々の思考は二分される。君の言葉を信じてそこを避けるか、あるいは君が嘘をついて『安全な場所』を独占しようとしていると疑うか。どちらにせよ、君はそのリアクションを見て楽しむつもりだ」
九条は懸命に、目の前の少女を「自分と同じプレイヤー」という枠に押し込めようとしていた。論理という武器で、彼女の異常性を切り崩そうとする。
しかし――
彼の本能は警告を発していた。
なぜ、彼女の心拍は乱れないのか。
なぜ、死を前にして瞳孔が開かないのか。
なぜ、その指先には一片の震えもないのか。
麗香は優雅に首を傾げた。
「九条様。あなたは『わたくしが嘘をつくかどうか』を計算なさっているのね。でも、それは間違いですわ」
麗香の瞳が、爬虫類のように冷たく光る。
「わたくし、嘘は嫌いですの。……だって、本当のことが一番価値があるんですもの」
一方、碧は全く別の視点から麗香を見ていた。
九条のような論理の積み上げではない。もっと根源的な、生存本能に近い感覚。
碧は、麗香の細い指先を凝視していた。
(……この人、怖がってない。)
死の可能性がある角砂糖を前にして、麗香の指先には微塵の躊躇も、筋肉の硬直もなかった。それは、朝食のメニューを選ぶような、あるいは道端の石ころを避けるような、あまりにも日常的で淡々とした所作。
他の四人――九条、ミカ、佐藤、そして碧自身――は皆、心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなり、手が震えている。
しかし、麗香だけが違う。
まるで「死」という概念が、彼女の辞書には存在しないかのようだった。
(九条さんの言う通り、お嬢様が答えを知っているはずなんてない。でも……)
碧は唇を噛んだ。
(もし、この人の目に、私たちには見えていない『何か』が見えているんだとしたら?)
この狂った純喫茶で、唯一「確かなもの」があるとするならば、それは九条の理屈ではなく、麗香のこの異常なまでの静寂ではないか。
(信じよう。この人の言葉を。)
碧は深く息を吸い込んだ。
(理屈じゃない。生き残るために、私はこの『異常』に賭ける。)
麗香が「真ん中は毒」と言い、そして自分は「左端」を取ると言った。
ならば、その言葉の中に、生存への道標が隠されているはずだ。
碧は震える手を、左から三番目の角砂糖へと伸ばした。
その瞬間、
「うるせぇ……うるせぇんだよ!!」
極限まで張り詰めた緊張の糸を断ち切ったのは、限界を迎えた佐藤の叫び声だった。
彼は椅子を蹴り飛ばして立ち上がり、息を荒げながらテーブルに手をついた。
「あーだこーだ理屈並べやがって! 結局は騙し合いだろ!?」
佐藤の目は充血し、口からは唾が飛んでいた。理性という最後の砦が、音を立てて崩れていく。
「お嬢ちゃん、あんたは九条みたいなインテリをハメるために、わざとらしい嘘をついたんだ。……俺には分かる。あんたが『毒だ』って言った真ん中、そこが一番安全なんだろ!」
佐藤は血走った目で麗香を睨みつけた。
「九条をビビらせて、自分がそこを取るつもりだったんだ! だが俺はお前の裏をかいてやる! こんな小娘の芝居に騙されてたまるか!」
佐藤は震える手で、中央の角砂糖を乱暴にひったくった。
「三千万、チャラにして、このクソみたいな店からおさらばだ!」
麗香は何も言わなかった。ただ、扇子で口元を隠し、冷たく微笑んでいるだけだった。
九条は、麗香の「余裕の正体」を測りかねたまま、苦虫を噛み潰したような顔で右端を選択した。
ミカは震えながら左から二番目を掴んだ。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「……やだ、死にたくない……」
そして碧は、麗香の宣言を信じ、彼女のすぐ隣――左から三番目の角砂糖を手に取った。
最後に、麗香は宣言通り、左端を優雅に持ち上げる。
五人の手に、それぞれの運命が握られた。
「……配役が決まりましたね。それでは、最後の一滴まで、どうぞ」
マスターの声が、死刑執行人の読経のように響いた。
五人は一斉にカップを煽った。




