4・興奮
連勤明け、今日は娘の誕生日だ。なんとしてでも帰らねばならない。昼過ぎに、妻と待ち合わせして重い身体を引きずって娘の誕生日プレゼントを用意する。俺に頼らずに、自分で、いやネットでもいいじゃないか、妻が自主的に準備しないことに真田剛は不満を滲ませた。あくまでも自分の中でだ。
妻に不満を滲ませようものなら、後々面倒なことになる。
面倒はご免だ。
真田は上がりの直前、後輩刑事の七尾葉月に引き留められた。S市の住宅街で2名の絞殺遺体が見つかったと言う話だった。所轄の鑑識が動くということになったが、本庁が動くかもしれない、先に状況把握を一緒にしてくれないか、と言う相談だった。
真田はにべもなく、あさって、と言い七尾が渡そうとしていた、捜査資料だけを預かり帰宅した。「真田さん」、七尾がと引き留めるも、声だけ。悲しいかな刑事が動くときは誰かが死んだり、消えたり、揉めたり、トラブルが起きてからだ、風邪薬に何もかも頼るのはやめて欲しいものだ。そもそも風邪薬は風邪を引く前に飲むのが正しい、真田は妻との待ち合わせ場所に急いだ。S市駅前にできた巨大なショッピングモール1階、鍵のチェーンハウス店の前だ。
*******
現場には真田不在で、七尾が率先して状況確認に立ちまわる。
鹿田竜也、52歳・左官業、絞殺により死亡。自宅の庭で毛布を掛けられた状態で発見。
鹿田誠一、22歳・S市立大学4回生。全裸の状態で、庭に掘られた穴で発見。頭から穴に埋まっている状態、土はかけられていない。平べったい鈍器、たとえば鍋やフライパンの底で殴られたことによる、脳出血死。父親の竜也の方にも殴られた跡がある。凶器とみられる鈍器は発見されていない。同じく、竜也の直接死因となった絞殺に使われた“ひも状のもの”も見つかっていない。
本庁捜査一課にはまだ目をつけられていない。それよりも、S市の隣町B市での誘拐事件に躍起なのだ。小学二年生の女児が身代金目的でさらわれたからだ。
七尾は無線で本庁が来ないことを確認し、真田への報告すべき要点を整理していた。この事件の容疑者なる人物が、佐伯結子。22歳、スナック・ブラボー勤務。鹿田竜也とは親密であった一方、息子の鹿田誠一とは高校の先輩にあたる。
七尾は狭い田舎ならではの人物相関図に辟易とした。警察官から刑事へと、ノンキャリで順調にできる出世を果たしてきたつもりだった。だが、取り扱う事件は、密集した人物同士のいざこざ。もっと派手で、もっと複雑で、もっとドラマティックな事件を扱いたいそう思っていた矢先、やはり、家族間トラブルのような事件に遭遇するのだ。
意識不明で搬送された佐伯結子の所持品の中に、不思議なものがあった。「骨」である。
それは骨付きチキンの「骨」のような、バカバカしい茶番のためのものではなく、どうも「人骨」だと言うのだ。背骨の一部を削ったような。どこの部位ともはっきり言えないが、切断して手に入れられるものでもない部位。つまり、この骨の当事者は、死亡している。そして、明らかに子どもの骨らしいのだ。それも十二歳以下の。
七尾は心躍った。不謹慎なのはわかっていた。だが、子宮のあたりが熱くなるのを感じていた。誰かが困っていても、笑ってしまう。苦しんでいる姿が滑稽なのだ。きっと私はサイコパスなのではないか、そう思うほどに反対の、犯罪とは真反対にある仕事に就きたかった。そうしないと、自分が何らかの罪を犯すと、自認していたからだ。
この男二人、決してか細くもない二人を殺害した人物。もしかして、佐伯結子を取りあった挙句に、いや、それなら戦利品の佐伯結子だけが生き残っているのはおかしい。死亡推定時刻から考えても、父親の竜也が殺害sれ、そのあとに、息子の誠一が殺害されているのは明らかだった。佐伯結子がいつから意識不明かにもよるが、竜也殺害の後、と考えるのが真っ当だろう。そうでなければ、佐伯結子は丸三日意識不明のままだったことになる。どう見ても、誠一殺害と同じタイミングで意識不明となったと考えるのが正解だ。
一旦署に戻り、鑑識の藪北が報告書をあげてきた。通常鑑識がいち若手刑事に報告書を持参することはない。真田が不在なのも知っているはずだった。交渉だ、と七尾は察した。七尾は藪北の舐め回すような視線に、辟易としつつも、今度食事でも行きましょうね、と実現しない約束―日時を決めない約束を取り付けた。代わりに報告書のコピーを手に入れた。
佐伯結子のジーンズの後ろ左ポケットに入っていた「骨」は人骨であり、年齢は10歳〜12歳、女性、であることがわかった。今から十年前の骨、つまり2016年に何らかの理由で死亡したと。骨の一部が佐伯結子のポケットに入っていた理由はわからずだった。
七尾は令状を取り、佐伯結子の自宅を家宅捜索する予定だったが、佐伯結子の自宅なるものは存在しなかった。S市での住民票も存在しない。S市から車で30分ほど北にある生家とされるアパートは取り壊されていた。
七尾は心が躍った。唯一、任意で聴取できそうな妻の鹿田和美は、入院中だとわかったのが夜の10時。すり減ったスニーカーの買い替え時だと、真田に今朝言われたのを思い出していた。行動を示す間接的物質、たとえば“スニーカー”のような、足を使っていることを聞かなくても、靴底のすり減り具合で察知できるような読み。刑事としてごく当たり前の視点を「低く、低く」することで何かが見えるかもしれない。
もしかしたら、真田は自分がサイコパスであると知っているのかもしれない、七尾はそう妄想すると、狂おしいほどの興奮に駆られた。真田に異性としての感情があるというわけではなく、自身の立場が危うくなるその塀の向こう側にもしかしたら落ちてしまう、下校途中に白線を踏み外すと地獄、と言っていたあの頃のような純粋で無垢な興奮。
真田になら、自分を救えるのかもしれないという淡い期待。学生時代のただ同じクラスになったから好きになったという、限定された空間での感情とは全く違う、必然性のような甘く苦い唾が七尾の口中を満たしていた。口の際から涎がこぼれだす。そんな夜は見ず知らずの男に抱かれて、今日を乗り越えたい。夫では、今日から先に進めなくなる気がするから、七尾はすり減ったスニーカーを黒のパンプスに履き替え、夜の街へと消えて行った。




