3・記憶
人は完璧な存在ではない、と死の無防備さが教えてくれる。竜也は鹿田家では、強い存在だった。家長なんて言葉がもう死語になっているが、強さの象徴みたいなものだった。
左官屋としては腕はいいが、気性が荒く現場で殴り合いの喧嘩をして帰ってくることもたびたびあった。顔を青黒く腫らして、軽トラから降りて来た姿に、死ねばよかったのにと誠一は漏らしていたことを思い出す。
死んだ、死んだ、死んだ。
殺した、殺した、殺した。
強さの象徴をこの世から追い払った。きっと世の中にはもっと強いヤツ、傲慢でこざかしくて、悪党にもなり切れない、カスみたいなやつ、つまり竜也のようなヤツはゴマンといるだろうが、目の前から目の上のタンコブをちぎり取ったというのは、何とも爽快だ。
誠一は寝室で死後硬直が抜け始めている竜也を足先で蹴った。蹴った拍子に、裏側がすり減ったスリッパがベッド下に滑り込んだ。
「外に埋めるから、松の木の側に」
誠一がそう言うと、結子は小さく頷いて、竜也の頭か足か、どっちを持つのかを聞いた。
誠一が無言で頭側を脇に両手を入れ持ち、結子は裸足の足を持った。引きずるように寝室から運び出し、玄関から庭へと運び出した。
人通りはなく、両隣は独居老人で外出もほとんどしない。
誠一は納屋からシャベルを取り出し、松の木の隣、根が露出していない土を掘り始めた。あらかじめ掘って置けばいいのにと自分でも思ったが、竜也を家の中に置いておくのがとにかくイヤだった。
結子はその様子というよりも、堀進めていく「穴」に注目していた。誠一は三時間、無言で穴を掘り進めた。竜也には毛布をかぶせているが、足先が出ている。外から見えない程の広い庭で塀も高いが、今警察官が来れば危機的状況になる。
自分から招く危機を味わう。誠一は、結子とのセックスよりも、自分を自分で追い込む
まさに今のこの瞬間に強く興奮していた。人生は自分が推せる興奮を探す作業で、それは途方もない作業だが、見つければ枯れない金の鉱脈のようなもので。
人一人分、足をかがめて埋めるには申し分のない穴が掘れた。遺跡で発掘される埋葬された遺体のように体を畳めば入る、誠一はそう言って、水を飲みに戻った。結子には見張りをさせていた。
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誠一の言っていた、和美のしつけの口癖。
「悪いことしたら、松の木の下に埋めるよ」
に結子は心が囚われていた。
悪いことをしたら、悪いこと、誰が? 誰が悪いことをしたら? 思い出していた、自分の母のことを。母は惚れやすい。男に惚れて、それも若い男。身体をボロボロにしながら、貢げるだけ貢ぐ。それは信心深い新興宗教の信者のようだった。
お布施の額で神様が振り向くかどうか決まる。クソみたいなうんちくを垂れ流すスナックの常連客に、結子は唾を吐きつけ、ボトルで殴ったことがある。他の客がいなかったから、そのまま殴り殺してやろうかとも思ったが、殴っている最中、その常連客が嬉しそうな顔に変わって行くのが見えて、腹立たしくなり、やめた。血まみれの常連客が床に突っ伏している中、竜也が店に入って来たのだ。
仕事着のまま、店前に軽トラを停め、酒を飲みに来た竜也は、こいつを埋めてきてやるよ、とだけ言い、二時間後店に帰って来た。
竜也が店に来るのは月末の金曜日、その日は5月29日。ゴールデンウィークを挟むせいで、店はガラガラだった。
竜也は、ハイボールを頼み、休んでいるママが作り置きしていたきんぴらのお通しを指でつまむ。
「俺の女になれよ、それならこのこと黙っててやる」という竜也の単刀直入な命令に、カラオケで聞いたことのない演歌を唄いながら、結子は「よろしくお願いします」とだけ言った。竜也は店の内鍵をかけると、奥のボックス席で結子を犯した。結子は竜也の首筋の臭いを嗅ぐ。そして言った。
「首を絞めて欲しい、興奮するから」と。
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誠一がまだ帰ってこない。トイレだろうか。結子が毛布の中に手を入れ、竜也の冷たくなった手を握る。目を閉じた。この手じゃなかった。結子は穴の奥を覗き見る。それは白く光っていた。か細い、小さな、小さな、「骨」だった。地面に這いつくばりながら、穴に右手を入れ込む。指先がピンと伸びるほどに、もう少しで届く、カリカリと人差し指で穿る。親指でその「骨」をつまみ取る。
「悪いことしたら、松の木の下に埋めるよ」
結子は見たこともない和美の顔を思い描いた。その顔ははっきりとイメージできた。穴から取り出した骨をジーンズの後ろポケットにしまいこみ、誠一の戻りを待った。




