3.逃げ出した使い魔
「おいおい、イオリ~? いいキレっぷりだったなぁ~? 人ひとりくらいならあっさり殺れそうな眼力だったぜぇ、けらけらけ!」
「言わないでくれ……自分でもキレすぎたって反省してる……」
先ほどの威圧感はどこへやら、運転中のイオリの横顔は非常に暗い。
状況を影の中から見ていたのか、ヌイは面白そうに茶化している。
「ごめんね、ソフィ……被害を受けたわけでもない僕が一人でキレまくってて、君も怖かったよね……」
「い、いえ……そんなことは……」
「分かってるんだ……キレたら目つきが死ぬほど怖いって、部隊でも散々言われてきたからさ……。でもあれだけはどーーしても許せなくって……」
正直、怖くなかったと言えば嘘になる。
けれど、あれはソフィアに狼藉を働いたリリアーネに対する怒りだ。
自分のためにあんなに怒ってくれたのだと思えば、ソフィアは嬉しくもあった。
「気にしないでください。イオリさんのおかげで、両親の形見も無事に持って来れました。貴方には本当に感謝しているのです」
「ほらほら、カワイイ彼女も言ってんだ、そろそろ忘れようぜぇ。いつまでもうじうじしてる野郎なんて、ただウゼーだけだぞぉ~?」
「ミャーウ」
「うるせーよ、さっきまでイジってたくせに……ん?」
イオリが首を傾げるのと同時に、ソフィアもまた(あれっ?)と不自然に気づく。
今、ここにいる三人のものとは明らかに違う声が聞こえたような。
「……スピラー!? どうしてここに……!」
ソフィアは、いつの間にか傍らのヌイに抱かれているスピラーを見て仰天した。
「お前らが屋敷を出る時、オレがいた影の中に入ってきたんだ。『もう痛いことはしないから、助けてくれ』、だってよ」
「私が? でも、助けるってどうやって……」
「この首輪を外せばいいんじゃねえの。使い魔を縛る魔術がかかってるみてーだし。オレの手じゃ弾かれて外せねえ」
スピラーの首には確かに、大きな青いリボンをあしらった首輪がつけてある。
ややキツめにつけられた首輪を、ソフィアはそっと外した。
途端、ふっくらツヤツヤだったスピラーの姿が瞬く間にみすぼらしくなっていく。
真っ白な毛並みはボサボサに乱れ、体型は信じられないほど細くなっていき――下手をすれば、そこいらの野良猫よりも酷い見た目だ。
「まさか、お嬢様……魔法でスピラーの見た目を誤魔化していたの……!?」
「みてーだな。無理にダイエットさせられたり、食いたくねーもん無理やり食わされたりで、かなり苦労してたっぽい」
想像を絶する事実に、ソフィアは二の句が継げなかった。
スピラーはことあるごとに引っ掻いてくる怖い猫だと思っていたが、とんでもない誤解だった。
スピラーはリリアーネからおもちゃのように扱われ、苦しい思いをしていたのだ。
「ソフィを攻撃していたのは、ストレスで気が立っていたからか。あるいは、リリアーネの命令に無理やり従わされていたか……」
「それでも、お前が可哀想だから、手を軽く引っ掻くくらいに加減してたらしいぜ。あのクソ令嬢からは、顔を狙えって言われてたみてーだ」
自分の使い魔に対してまで、この扱いとは……痩せ細ったスピラーの体があまりにも軽くて、ソフィアは胸が締め付けられるようだった。
「あの、イオリさん。ご迷惑でなければ、この子も……」
「構わないよ。君ならそう言うと思った」
しばらくして、車がゆっくりと停止する――どうやら、イオリの自宅に着いたようだ。
ソフィアはイオリの手に掴まって車を降り、眼前に佇む一軒の建物に目を向けた。
(今日からここに住むんだ……)
二階建ての小洒落たその家は、さすがに一般家庭のそれよりは大きいものの、軍の高官の住まいとは到底思えなかった。
貴族ではない、ちょっとしたお金持ちが選びそうな家だ。
ソフィアはスピラーを連れて家の中に入ると、タオルを敷いたソファの上に、スピラーをそっと下ろした。
「これって、すぐに病院に行った方がいいのでしょうか?」
「いや、今すぐどうこうって感じじゃないよ。ただ、魔力欠乏で力が出ないみたいだ。多分、リリアーネの魔力量じゃ賄えなかったんだろう」
霊獣を使い魔として使役するには、それに見合った対価を人間側が差し出さなければならない。
霊獣が上級であれば当然、要求される対価の量も増えていく。
イオリが上級霊獣のヌイを使役できているのは、彼の魔力が豊富であることに加え、魅魔血という魅力的な対価を宿しているからなのだ。
「リリアーネの魔力量なら、下級霊獣一体くらいが妥当なところだけど、スピラーは明らかに中級以上の霊獣だ。よく今まで暴走せずに我慢してたよ」
「だな。オレだったら相手にキレて食ってると思う」
スピラーは本来、他の霊獣よりも穏やかな性格なのだろう。
これがユニコーンなどの気性の荒い霊獣だったら、目も当てられない大惨事が起きていたに違いない。
「まずは魔力の供給からだね。少し回復したら、食事を通して魔力を補給させるのがいいと思う」
気だるげに横たわるスピラーを、魔力を帯びたイオリの手がゆっくり撫でている。
不足した魔力を回復させている最中なのだろう……スピラーは眠そうに目を細めて、イオリの治療の手を受け入れていた。
それを見たヌイが、ソフィアの服を軽く引っ張りながら尋ねた。
「おい、お前。“料理の魔法”って使えるか?」
「……! は、はい! それでしたら、なんとかできるかと……」
「じゃあお前がこいつのメシを作ってやれ。イオリは料理じゃ役に立たねえからよ」
「悪かったな、料理下手で……」
イオリが横目でじとりと睨んでいたが、ヌイは全く意に介さず、「ついてきな」とソフィアを案内する。
ヌイに連れられてやってきたのは、陽だまりの気持ちよさそうな中庭だ。
ソフィアは目の前に広がった光景に「わあ……!」と感嘆の声をあげた。
「すごい……! 立派なお庭ですね」
貴族が好みそうな観賞用の華やかな庭園とは違う、新鮮な緑が美しい庭だった。
どの植物も瑞々しい活力に満ちていて、丁寧に手入れされていることはひと目見ただけで分かった。
「全部イオリの魔力で育った薬草だ。エミリアの真似事って、本人は言ってた」
「! お母さんの……」
確かにそうだ――母は軍医の頃から亡くなるまで、昔ながらの薬草をずっと研究していた。
今から四百年ほど前に実在していたという、魔女たちが用いた薬草の研究だ。
科学に基づいた医療魔術が発展している今、魔女の技術や知識は否定されることも多いが、母は『自然療法も侮ってはいけない』とよく口にしていた。
(懐かしいな……小さい時は、いつも一緒に庭仕事をしていたっけ)
季節のベリーや野菜などの世話をしながら送る暮らしは、決して裕福ではなかったが、とても幸せだった。
ソフィアはほんの少し、懐かしい気分に浸る。
「猫でも食えそうなやつはあるか?」
「そうですね……あ、ラズベリーならスピラーでも食べられると思います」
「じゃあ、それを使ってメシをこさえるといい。他に必要なモンがあれば、オレが買ってきてやる」
意外にもヌイが親切なことを言ったので、ソフィアは「えっ!?」とつい声を上げてしまった。
「ンだよ。そんなに驚かなくていいだろ」
「ご、ごめんなさい……失礼でした……」
ふんっ、とヌイがそっぽを向く。
けれど、彼にも優しいところがあるのだと知って、ソフィアは胸が温かくなるのを感じた。