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2.リリアーネの罠

「死神軍医のモルモットにされちゃったかと思ってたけど、意外としぶといわね。こそこそ忍び込んで、まるでネズミみたい」


 ソフィアが怯える様子が面白いのか、リリアーネはさらに言葉で突き刺してきた。


「もしかして、死神軍医のところから逃げてきたの? 食べ物もお金もなくて困ったから、うちから何かを持ち出そうとしたとか?」


 手にした封筒をまじまじと見てくるリリアーネ。

 ソフィアは思わず動揺してしまうが、僅かに残った冷静さで、リリアーネの意識を逸らそうと試みた。


「誤解、です……い、イオリさんは、そんなことをする人では……」

「あら、優しくしてもらっていい気になっちゃった? 穢れた身の上であることも忘れて、すっかり舞い上がってるのね。まあ、平時なら綺麗で優しそうな人だし、無理もないかしら」


 上品な口調のまま、リリアーネは「でもね」と口角を歪な形に吊り上げる。


「相手はあの死神軍医よ? この前の彼の戦いぶりを見た? 魔物になったら、きっとお前も火で炙られて、あの鬼に食べられちゃうわね」

「……っ」 

「そんなことより、この袋の中身はなあに?」


 リリアーネはソフィアの手元に視線を戻し、不意をつくようにソフィアの手から封筒を取り上げようとした。


「!? だめっ、これだけは……!」


 身を挺して抵抗するソフィア。

 リリアーネがソフィアの三つ編みをぐいっと引っ張る。

 

「口応えしないで、このコソ泥!」


 反射的に力が緩んでしまい、ソフィアの手から封筒がこぼれ落ちる。

 バサッと音を立てて落ちた封筒を慌てて回収するが、魔石の指輪だけがぽろっと転がり出てしまった。

 あっ、と手を伸ばすソフィアだが、「フミャアア!」と鳴き声を上げたスピラーが、その手を引っ掻いた。


「いた……っ!」 

「あら? 見たことない指輪ね。こんなもの、うちにあったかしら?」


 リリアーネの手が、転がった指輪を拾い上げる。

 大事な形見が彼女の指にはめられたのを見て、ソフィアは何かを考える間もなく、


「――返してください!!」


 と、反射的に叫んでいた。

 大きな声に驚いたリリアーネの手を掴み、ソフィアは指輪を奪還しようとする。

 そのまま二人で揉み合いになったかと思うと、


「きゃああっ!」


 と、リリアーネが唐突に大きな悲鳴を上げて、自ら転んだ。


「リリー! どうしたの?」

「っ!?」


 そこへちょうど夫人がやってきて、ソフィアはしまった、と思った。

 リリアーネは、騒ぎを聞きつけてやってきた男爵夫妻に、あたかもソフィアに強い力で突き飛ばされたように見せかけたのだ。


「お父様、お母様ぁ! ソフィアが私の宝物を盗もうとしたのよ!」


 リリアーネは涙を浮かべて、わっと大きな声で夫妻に訴えた。


「お前……! うちで養ってやったというのになんてことを……!」

「あ、ち、ちが……っ!」


 夫人がリリアーネを抱きしめ、ソフィアを冷たく睨む。

 ソフィアの中で、同じような経験をしたときの記憶が再生されていた。

 リリアーネが嘘の被害を訴え、夫妻が庇い――最後は決まって、仕置き部屋に連れて行かれ、他の使用人から折檻を受ける。

 今まで蓄積されてきた恐怖が甦って、言葉が出てこなかった。


「ソフィ! どうしたの――」

「カラスマ様! 私はただ、ソフィアが宝物をこっそり持ち出そうとしたのを止めただけなの!」


 リリアーネが一番後ろにいたイオリにも被害を訴える。

 イオリは一瞬だけ呆気にとられたように目を見開いたが、その後は床に座り込んだままのリリアーネをじっと見ていた。


「ねえ、カラスマ様。これで分かったでしょう? ソフィアはこういう子なの! 自分が悪いことをしているのに反省もしないで、私が悪いように仕立て上げるの」

 

 彼の真っ黒な瞳は、なに考えているのか一切分からない――それだけに、イオリもリリアーネの言葉を信じていたらどうしよう、とソフィアは怯えた。

 そんな愚かな人物ではない、となんとなく分かってはいても、不安が拭えなかった。


「騙されないで! ソフィアは気弱な演技をしているだけよ!」


 沈黙を続けるイオリにもうひと押しするよう、リリアーネはさらに主張する。

 イオリはそれを受け、「……ふーん」と特になんの感情もこもっていない返事をした。


「君の宝物とやらは、君がはめているその指輪のことかな?」

「ええ、そうよ。私の誕生日にお父様から買ってもらった、大切なものなの。そうよね、お父様?」


 ありもしない事実を、まことしやかに主張するリリアーネ。

 愛娘が可愛い男爵は、リリアーネの言葉一つで口裏合わせもするだろう。

 しかし、ここで――ソフィアにとっては意外なことが起きた。


「男爵? ご息女はああ言ってますが、本当ですか?」

「う……」


 普段なら間違いなく頷いているはずの男爵が、なぜか言い淀んだのだ。

 この異変には、ソフィアのみならず、リリアーネや夫人も反応した。


「お父様……? どうして頷いてくださらないの?」

「そうよ! リリーが嘘をついているというの?」


 早く調子を合わせろと促してくる妻と娘に、しかして男爵は冷や汗をかいて唸るのみだ。

 イオリはどっちつかずの男爵を一瞥すると、視線をソフィアへと向けた。


「……ソフィ。正直に言ってごらん。これは誰の持ち物?」

「それ、は……」

「大丈夫。本当のことを言えばいいんだよ」


 そう促す彼の声は、先ほどよりも幾分か穏やかだ。

 なんの感慨もなさそうだった表情も、今だけはほんのりと笑っているように見える。

 ……彼がソフィアを疑っていないことは、容易に汲み取れた。


「……私の、父の形見です。母が持っていたものを、私が受け継いでおりました」


 僅かに平静を取り戻したソフィアが答えると、それまで弱々しい表情をしていたリリアーネが豹変した。

 今まで絶対に逆らわなかったソフィアの反論に、腹を立てたのだろう。


「っ嘘よ! この嘘つき! コソ泥みたいな真似をしておきながらよくも──」

「リリアーネ嬢。お静かに」


 金切り声で喚くリリアーネを、イオリが素早く牽制する。

 たった二言の短い台詞には、裁判官が叩く木槌の音にも似た迫力があって、リリアーネの喚き声は瞬く間に完封された。


「なに、どちらが嘘をついているかなんて、指輪に聞けばすぐに分かる」


 すると、イオリはリリアーネに近づき、指輪をはめた彼女の手を取る。

 その仕草ときたら、舞踏会の時以上に優雅かつ耽美で、リリアーネや夫人をうっとり見とれさせるには十分だった。


「この魔石はヒスイという東洋原産の鉱石でね。身につけていると、肌の油分でより輝きを増していく珍しい石なんだ。そして面白いことに、この石は『記憶の魔石』とも呼ばれていて――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 イオリが最後の部分をあえてゆっくりと言った意図は、リリアーネや夫人にも伝わったらしい。

 二人は目を見開き、瞬く間に青ざめた。

 

「この石から感じ取れるのは、ソフィに似た魔力だけだ。ヒースコール家の魔力なんて微塵も感じ取れない」

「っ、そ、それは、長い間、ソフィアが隠し持っていたから……」

「あれ? でも、この魔力はおそらく男性のものだね? かなり長期間に及んで蓄積されてるみたいだから……もしかして、アッシュフィールド伯爵家の当主たちが身につけていたのかな?」


 イオリがソフィアに視線を向けながら尋ねてくる。

 ソフィアは彼の分析に、静かに首肯した。


「はい。父が爵位を継ぐ前は、祖父が身につけていたと聞いております。実家にあった代々当主の肖像画にも、その指輪が描かれておりました」


 そもそもこの魔石は、世襲貴族の間で当主の証として重宝されてきた品だ。

 指輪の魔石が帯びた魔力と一致する魔力の持ち主こそが、当主候補の絶対条件である……と定められていた時代もある。 

 貴族のリリアーネがそのことを知らなかったなんて、とソフィアは変なところで衝撃を受けた。

 

「そうか。じゃあ、間違いなさそうだね」


 イオリが掴んでいたリリアーネの手から指輪を抜き取る。

 リリアーネが「あっ……!」と縋るように手を伸ばすのには目もくれず、イオリは指輪をハンカチで拭いてから、ソフィアの指にはめ直した。


「って、ソフィ! 手を怪我してるじゃないか!」

「え、あ、これは……」


 顔をしかめるイオリを見て、これ以上彼を激昂させてはまずい、と上手い言い訳を考えるソフィア。

 しかし、四本の細い引っ掻き傷をつけた犯人がバレないわけもなく――イオリは衣擦れの音一つ立てずに、そのままするっと後ろへ振り返った。


「君、大法螺(おおほら)を吹いてソフィを嵌めようとした上に、怪我までさせたの?」

「っ……!」


 リリアーネの顔は青ざめていたが、どこか苛立たしげで、今にも悔し泣きをしそうだ。 

 丸め込もうとしたイオリが騙されなかったばかりか、格下のソフィの味方をしているのが、気に食わないのだろうか。


「痛かっただろう、ソフィ。すぐに治すからね」


 イオリはソフィアのほうへ向き直ると、怪我をした手を取り、反対側の肩にも触れて、ゆっくりと魔力を流し込んだ。


(……? これ……体内の魔力の循環を促進してる……?)


 治癒の魔術を受けたことは何度かあるが、これは今までにない手法だ。

 ソフィアが興味深く観察しているうちに、スピラーにつけられた引っ掻き傷がみるみる塞がっていく。


「はい、治ったよ」

「あ……ありがとう、ございます」

 

 どういたしまして、とイオリはソフィアに向かって柔らかく微笑んだあと、再びリリアーネに鋭い視線を投げかけた。

 ビクッと怯えたように肩を跳ねさせるリリアーネ。


「おい。自分が何をしたか分かっているのか? お前のした行いこそ、卑しいコソ泥みたいなものだぞ。しかも使い魔に人を攻撃させるなんて、魔術師としてもあるまじき行為だ」


 静かに、ゆっくりと、相手にひしひしと伝えるように……イオリは、リリアーネに近づきながら言う。

 口調が、シュナイダー少尉を叱責した時と同じ、軍人口調に変わっていた。

 その迫力は、後ろ姿を見ているだけのソフィアですら、圧迫感を覚えるほどだ。


「っ、お、お許しください、カラスマ様! 娘はただ、ほんの少し──」

「黙れ。貴様の釈明は求めてない」


 娘を庇おうとする夫人に釘を刺し、イオリはリリアーネをじっと睨み据えた。

 早く謝れ、と言われていることには、さすがにリリアーネも気づいているだろう。

 けれど、リリアーネはわなわなと震えるだけだ――格下のソフィアに頭を下げて謝罪するなど、プライドの高い彼女にできることではない。


「申し訳ございません、カラスマ殿! 不肖の娘には私から言って聞かせますので、どうかお許しを……」

「被害を受けたのは私ではないぞ。許しを乞うべき相手が誰かも理解していないのか?」


 男爵の釈明に、さらに怒りを露わにするイオリ。

 けれど、ソフィアはもう十分だ、と彼の肩にそっと手を置いた。


「いいのです、イオリさん。……謝罪は不要ですから、行きましょう」


 これ以上、イオリに脅しのような嫌な役はさせたくない。

 それに、こんな形でリリアーネに頭を下げさせたとしても、心からの謝罪が得られるわけではない。

 ソフィアのそんな諦念を感じ取ったのか──イオリはもう一度、深く呼吸をする。


「よかったね、リリアーネ嬢。これで君だけは頭を下げずに済んだわけだ。恥を知るにはいい機会だっただろう?」


 うってかわって、明るい声と笑顔を見せるイオリ。

 しかし、それらは殺しきれない彼の怒りと見事に矛盾していて、却って底の知れない恐ろしさを醸し出していた。

 リリアーネにとっては、これが一番恐ろしかったようで、「ひっ」と怯えていた。


「では皆さん、ご機嫌よう。もう二度と会わぬことを願って」


 イオリは踵を返し、ソフィアの肩を抱くと、スタスタと玄関から外へ出た。

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