4.スピラーの答え
「スピラーを返しなさい、泥棒女!」
息を荒げながら要求するリリアーネ。
ソフィアはそれを受け、傍らのスピラーを見やった。
スピラーは両耳を真横にピンと倒し、ジッとリリアーネを見ながら警戒している。
「戻ってきなさい、スピラー! お前の世話をしてやったのは誰だと思っているの!? 私から受けた恩を忘れるつもり!?」
微動だにしないスピラーに、リリアーネは命令する。
けれど、スピラーはそれでも彼女をじっとり睨んだままだ。
ふわふわの尻尾を箒のように逆立て、飛びかかる準備をするようにお尻を突き上げている。
「……お、嬢様……スピラーは貴方を怖がっています。命令するような口調は、どうか控えて――」
「お黙り、ケガレ! 喋っていいと言った覚えはないわ!」
ソフィアは震える声で訴えるが、リリアーネは聞き入れることなく、ぴしゃりと一蹴した。
まるで、喋ること自体が不快だとでも言うようだ。
「私のアレク様を惑わせた上に、スピラーまで奪うなんて……病で心まで腐り果てたのね……!」
睨まれて、ソフィアの背筋に怖気が走る。
舞踏会でバケモノと罵ったときと同じ、憎悪の顔だった。
「ねえ、貴方! 良心があるなら、リリアーネ様の使い魔を返してあげて!」
「人の使い魔を泥棒するなんて酷いわ!」
リリアーネの友人たちが、訴えてくる。
なんだろう、と周りの客がソフィアたちを注目し始める。
視線と声が突き刺さる。
まるで、自分が悪者だと言われているようだった。
――私は、スピラーを彼女に返さなければいけないのではないか。
という思いが、ソフィアの頭をよぎる。
「フギャアアア……!」
けれど――スピラーの威嚇の鳴き声を聞いて、すぐにその思いは消えた。
だって、ソフィアのもとにいたスピラーは、間違いなく平穏だったはずだ。
屋敷にいた頃はあんなにソフィアを引っ掻いていたのに、保護されてからのスピラーは、一度も誰かを攻撃しなかったのだから。
「スピラー、思い出して! お前にとって一番幸せな場所は、私のそばよ! だって、この私の使い魔になれるんですもの! 分からないの!?」
「フギャアアアアッ!」
リリアーネの訴えを否定するように、スピラーが再び鳴き声をあげる。
全身の毛を逆立てて、いよいよ飛びかかってしまいそうだ。
リリアーネの肩を持っていた友人たちも、様子がおかしいと気づき始めたのか……リリアーネを威嚇し続けるスピラーに困惑しつつ、お互いに顔を見合せたりしていた。
友人たちの前方にいるリリアーネだけが、周囲の困惑に気づいていなかった。
「……ッ、なんてことしてくれたのよ! 私のスピラーをこんなに大きくて醜い猫に変えてしまって! せっかくダイエットも食事制限もして、絶対に太らないよう管理してたのに!」
「――!」
ソフィアの中で、逃げてきたスピラーを保護したときの記憶が蘇る。
――抱き上げて家に運んだ時の、驚くべき軽さ。
――ゴツゴツした骨の感触。
――ボサボサの体毛。
――疲れきった、悲しげな青い目。
リリアーネは、スピラーのそれらのサインを全て無視して、あろうことか魔法で隠していた。
自分の考えだけをひたすら押し通し、スピラーを飢餓の一歩手前まで追いやった。
……だというのに。
「……お嬢様。スピラーはこの姿が一番魔力が安定するんです。お散歩する力もあって、毛もツヤツヤで、とても可愛いです。醜いなんてとんでもありません」
――腹が立つ。
スピラーのことをなにも見ていない、見ようともしない、酷く傲慢な態度。
「お前に何がわかるの!? この子の好物も、好きな遊びも分からないくせに……」
「スピラーはカボチャが苦手なんですよ」
「は?」
――ほら、貴方の好きなカボチャのケーキよ。
リリアーネはいつもそう言って、スピラーにそれを与えていた。
それを真正面から『苦手』と否定されたからか、リリアーネは戸惑っていた。
否定してきたのがソフィアだったから、というのもあっただろう。
「なに、そんなでたらめを……」
「スピラーは私の前ではカボチャを一切口にしませんでしたよ」
「それは、お前の餌が気に入らなくて……」
「焼いたお魚やチーズは、おやつにあげるととても喜んでくれますよ。ヨーグルトや蒸したお芋もときおり食べていました。ご存知ではなかったのですか?」
リリアーネがグッと唇を噛み締め、言い淀んでいる。
おそらく、知らなかったのだろう――動物を飼った経験のないソフィアでも、観察していればすぐに分かることなのに。
「っ、そんなの関係ないでしょう!? 私がその子のためを思ってやってきたことが、間違っていたと言いたいの!? 私のやり方に文句なんて――」
「スピラーはっ!!」
イライラしていたからか――自分でも驚くほど大きな声が出た。
ソフィアは、今までにない大声で、リリアーネの主張を遮っていた。
「この子は、魔力欠乏を起こしていました! 貴方は十分な魔力をこの子に与えていなかった! ずっとお腹を空かせて、苦しんでいたんです! それでも貴方を傷つけたくなくて、怒らせたくなくて、ずっと我慢していたんです!」
魔力を糧とする霊獣にとって、魔力の枯渇は死に直結する。
下級霊獣を従える程度の魔力しか持たないリリアーネが相手なら、スピラーも本気を出せば反発できたはずだ。
けれど、スピラーはそれをしなかった――仕方なく攻撃していたソフィアですら、最小限に留めていたのだ。
「スピラーは優しいから、仕方なく受け入れていただけ! 貴方がしてきたことは、ただの独りよがりな虐待です!」
ソフィアが虐待だと断言した瞬間、リリアーネの可憐な顔が歪んだ。
とてつもない苛立ちに満ちた顔が、ここまで醜いとは……と、ソフィアは心のどこかで冷静に思う。
「違う、違う、違う!! 私が間違っていて、ケガレのお前が正しいなんて、そんなのあるわけないでしょう!? いいから早くこっちに来なさい、スピラー!!」
リリアーネはズカズカと歩み寄り、スピラーを無理やり連れていこうとする。
しかし、彼女の手がスピラーに触れる寸前――パッとまばゆい光が、スピラーを包んだ。
「なっ……!?」
「スピラー!?」
スピラーの体はどんどん大きくなり、ソフィアの胸の高さまで膨らんだところで、光が消えた。
現れたのは、蝶のように大きな耳と、純白の毛を持つ、しなやかな体躯の猛獣だった。
「スピラー、貴方……」
「ガロロロロ……!」
美しいヒョウのような姿になったスピラーが、鋭い牙を見せつける。
リリアーネは、ひっ、と声を上げて後ずさった。
「それが、貴方の本来の姿なの……?」
ソフィアは、特にたっぷりの毛をたくわえた、スピラーの首あたりにそっと触れる。
すると、スピラーは青い目をゆったりと細めて、ソフィアを見つめ返した。
まるで、微笑まれているようだ。
それを見たリリアーネが、悲鳴をあげるように叫び出す。
「どうしてっ……? 私が、ケガレよりも劣ってるっていうの……!? アレク様も、スピラーも、どうしてその女を選ぶのよぉ!?」
声に涙を孕ませたリリアーネは、今にも地団駄を踏みそうだ。
今の彼女は、お世辞でも貴族の令嬢とは言い難い。
ソフィアはそんな彼女を見て、ハッと目が覚めたようだった。
――身勝手で、わがままなだけの子供じゃないか。
――高潔な貴族たらんと怒りを抑え、毅然と振る舞うこともできない、未熟者。
――どうして私はこんなものを怖がっていたのだろう。
「……お嬢様。貴方の魔力では、スピラーを使役することはできません。この子にとっても、貴方にとっても、荷が重すぎます」
「うるさい!! ケガレが、私を見下さないでよ!! 私と違って、大した才能もないくせに!!」
怒り狂った彼女を見ても、ソフィアはもう動じなかった。
自分はリリアーネより下なのだ、と勝手に思い込んでいた――その思い込みから、いつの間にか解放されていた。
静かに振る舞うソフィアに、リリアーネはますます怒りを滾らせて……ついに実力行使に出た。
「分からせてやる……お前がどんなに下で、私がどれだけ上なのか、思い知らせてやる!」
杖を取りだしたリリアーネが、詠唱をはじめる。
リリアーネの友人たちは、彼女が何をしようとしているかを早々に悟り、悲鳴をあげて逃げ出す。
そしてソフィアにも、その魔法が何なのかはすぐに分かった。
霊獣召喚の魔術、しかも上位霊獣だ――彼女の魔力では到底使役できない。
「危険です、お嬢様! やめて!」
魔法陣が二重、三重と浮かびあがり、光を放ち始める。
光の中から現れたのは、一本角の白い馬――上級霊獣の代表格、ユニコーンだ。
しかも、周囲には鳥型の下級霊獣を多数従えている。
「さようなら、ソフィア」
詠唱を終えたリリアーネが、にやりと微笑むのと同時に、ユニコーンが声高に嘶いて、暴れだした。
まずい、蹴られる――と思った次の瞬間、スピラーが「グオォォ!」と唸り声を上げてユニコーンに飛びかかった。
「スピラー!?」
けれど、ユニコーンの体躯は大きく、スピラーの牙と爪をもってしても完封できない。
揉み合っているうちに、スピラーの脇腹が後ろ脚で蹴り飛ばされてしまう。
「スピラー! 大丈夫!?」
地面に転がったスピラーに、ソフィアは急いで駆け寄る。
むくりと起き上がるスピラーだが、蹴られた箇所が痛むのか、少し動きがぎこちない。
「待ってて、すぐに癒すからね」
ソフィアはスピラーの脇腹にそっと手を当て、魔力を流し込む。
「やめて、止まりなさい! 私の命令を聞いて!」
治療をしていると、少し離れたところから、リリアーネの必死な声が聞こえてきた。
やはり、彼女の魔力では、召喚した霊獣を従えられなかったのだろう――ユニコーンは、ソフィアもスピラーも見ていなかった。
錯乱した状態で、周囲の店や展示品などを壊しながら暴れ回っている。
もちろん、ユニコーンだけではない――一緒についてきた下級霊獣の鳥たちもあちこちを飛び回って、通りすがりの客たちを攻撃していた。
既に収拾がつかないほど、状況は混沌としていた。
(どうしよう……! あんなにすばしっこい霊獣が何体も……どうしたら……っ)
この人混みで人を巻き込むような魔法は使えない。
けれど、一網打尽に捕まえる方法も思いつかない。
ソフィアの魔法の知識ではどうにもできない、と困り果てた時だった。
「ヒィ~ヤッハァ~!!」
突然、奇声が聞こえたかと思うと――その辺を暴れ回っていたユニコーンの背中に、上空から降ってきた誰かが飛びついた。
「つっ、かまえたぁ~! こいつぁ最高のロデオだぜぇ! イィーハァーッ!!」
「ヌイくん!?」
ユニコーンの背中にしがみついたヌイが、そのままユニコーンを乗りこなしていた。
激しい揺れをものともせず、腕を高く振り上げて叫ぶ彼は、実に弾けて楽しそうだ。
さらに、呆気にとられるソフィアを囲むように、イオリとレベッカが駆けつける。
「いいぞ、ヌイ! そのまま操っておけ!」
「ソフィアちゃんとスピラーちゃんは動いちゃダメよ」
イオリは袖に隠した短剣を取り出すと、自らの腕をパッと斬りつけた。
水属性魔術で操られた血液が流線を描き、周囲をぐるりと円で囲むように飛び散る。
「レベッカさん、術式構築を! 魔力は僕が補助する」
「任せなさい、イオリちゃん。『歪な声に囚われし汝らへ、安寧たる帰途の導きを――』」
これは――召喚した霊獣たちを送還する魔法だ。
レベッカの詠唱とともに、魔法陣が徐々に構築されていく。
「来い、霊獣ども! 至高の魅魔血をくれてやる!」
イオリが呼びかけると、そこらじゅうを飛び回っていた霊獣の鳥たちが、一斉にイオリを向いた。
真っ白な矢の雨が降り注ぐように、鳥たちが四方八方から殺到してくる。
「さあ、アナタたち――在るべき処へ還りなさい!」
同時に、レベッカの術式構築が終わり――四人を取り囲むように、ドーム状の白い魔法陣が現れた。
イオリの魅魔血に吸い寄せられた霊獣たちが、レベッカの白い魔法陣に触れた先から、眩い光を放って消えていく。
まるで、流れ星が間近で弾けているようだ。
「こいつで最後だ、レベッカ!」
ヌイがユニコーンに乗って突進してくる。
魔法陣にぶつかる寸前でヌイは飛び降り、最後のユニコーンが送還されたところで魔法陣は消えた。
ひと仕事を終えて、ふうっ、と息を吐き出すイオリとレベッカ。
「ナイスファイトだぜぇ、兄弟」
「ヌイちゃんもお疲れ様」
ヌイとレベッカが、バシン! と豪快にお互いの手を叩き合う。
「イオリさん、魔力は大丈夫ですか?」
「平気だよ。ちょっと小腹が空いたくらいかな」
「相変わらずとんでもない魔力量よねェ、イオリちゃんは」
霊獣たちはユニコーンを入れて、軽く三十体はいた。
そんなに数多くの霊獣を送還するなんて、魔力の消費量も凄まじかったはずだ。
しかし、イオリは息切れひとつせず、ピンピンしている。
「あーあー、こんなに血を零しやがって勿体ねぇ」
「じゃあ君が飲んでおく?」
「おー、もらっとくぜぇい」
イオリは水属性の魔法で周辺に散っていた血を集めると、飴玉くらいの大きさの球に変えて、ヌイの口にポイッと放り込んだ。
「んん~っ♡ 労働後の魅魔血は格別だぜぇ!」
満足そうに舌なめずりをするヌイを見て、ソフィアは少しだけ羨ましくなった。




