3.淑女たちの街遊び
「今日は晴れてよかったですね、スピラー」
「ミャーン」
祭りの一日目は、実にいい散歩日和だった。
午前十時を示す時計台の下で、ソフィアはこうして待ちぼうけをしている。
水色のハーネスでおめかししたスピラーは、ゆったりと尻尾を振ってご機嫌な様子だ。
見たところ、ストレスを感じている様子はまったくない。
(ヌイくんも大丈夫とは言っていたけど、本当に動じないのね……)
花壇にふすふすと鼻を寄せているスピラーを見て、ソフィアは思わず感心していた。
ここに来るまでの道もかなり混み合っていたが、スピラーはなにかに怯える様子もなく、堂々と歩いていた。
特に、道中で「ねこちゃんだ~!」と駆け寄ってきた子供たちにも、寛容に自分を撫でさせていたのは驚いた。
以前のスピラーなら間違いなく、誰かを引っ掻いていたに違いない。
「ごめんね~ソフィアちゃん! おチビちゃんたちの支度に手間取っちゃって!」
スピラーが花壇にいたカマキリとにらみ合いをしているのを見ていると、そこへ、待ち合わせをしていたニコラが息を切らせて走ってきた。
「大丈夫ですよ、こちらも今来たばかりですから。どこから回っていきますか?」
ソフィアは会場ゲートから入場したときにもらった地図を広げ、ニコラに尋ねてみる。
「とりあえず、バザーに行ってみない? けっこう面白いものが売ってるんだよ! ハンドメイドのアクセサリーとか、使い魔用の可愛い首輪とかさ!」
「それは楽しそうですね、行ってみたいです」
「よしっ、じゃあ早速行ってみよ~っ!」
思えば、王都の街をじっくり回って見るのは初めてだ――ソフィアは五歳で王都を出てから、ずっと郊外で生活していたし、イオリと出会ってからも遊覧目的で街を歩く機会はなかった。
屋台から漂ういい匂い、街を賑わせる声、色鮮やかな工芸品、珍しい大道芸――様々なものが、ソフィアの五感と好奇心を刺激してくる。
「あ、猫ちゃん用のカップケーキだって! スピラーは何が好きなんだっけ? カボチャが苦手なのは聞いたけど……」
「うーん、この中だと……あ、ニンジンとチーズのケーキは好きだと思います。スピラー、食べてみますか?」
「ミャーウ」
「このブレスレット、綺麗ですね……! 花びらが舞ってるみたい……」
「ああっ! それ、ウチが毎年行ってるお店のマジックアクセじゃん! ソフィアちゃん、それプレゼントしてあげるよ~!」
「ええっ! そんな、そのお金はお子さんのために……」
「いーの、いーの、これも思い出だから! お姉さんに華を持たせなさーい!」
バザーに、焼き菓子店に、アクセサリーショップに――とあちこちを巡っていると、時計の針はあっという間に正午を回っていた。
屋台の食べ物で昼食をとりつつ、ニコラが言う。
「ソフィアちゃん、この後はどうする? うちのおチビちゃんたちや旦那も合流するんだけど、一緒に遊ぶ?」
「いえ、私はあと一時間ほどでおいとましようと思います。スピラーをあまり長時間連れ回すわけにもいかないので……」
「そっかぁ、残念。じゃあ、これを食べたら、最後にもう一軒だけ回ろっか!」
本当はもう少し遊んでいたい気持ちもあるが、ニコラの家族団欒の時間を邪魔するわけにもいかない。
スピラーも体力があるとはいえ、あまり連れ回しては疲れてしまうだろう。
ここいらが潮時だ。
「そういえば、お花の種はどうなったの? そろそろなんのお花か分かるんじゃない?」
ニコラに言われて、ソフィアは肌身離さず持っていたカプセルを取り出す。
およそ二週間――彼に気持ちが伝わりますように、と丹念に魔力を吹き込んだ種は、いつの間にか蕾をつけていた。
「お、いい感じじゃ~ん! しかも丈夫な花木だよ! 縁起がいいね~」
「そうなんですか? でも、このお花、どこかで見た気がします……」
しなやかな曲線を描く枝と、まだ生え始めたばかりの赤みを帯びた葉。
そのすぐ上部で膨らんだ薄紅色の蕾が、今か今かと開花の時を待ちわびている。
(……そう、東国ではサクラと呼ばれているんだわ)
花の名前を思い出したのを皮切りに、ソフィアの古い記憶が呼び起こされる。
確か、母とよく行っていた公園にも、サクラの木が植えられていた。
母は、『この花を塩漬けにすると、とても香りのいいハーブティーになる』と教えてくれた気がする。
ちょうど今くらいの、風が暖かくなってきた時期のことだった。
東国らしい花になったのは、イオリへの想いを込めていたからだろうか。
「なんていうか、ソフィアちゃんらしいかも。この色、ソフィアちゃんが照れてる時のほっぺたと同じだし!」
「そ、そうでしょうか……?」
「んっふふ~いいねぇ、甘酸っぱくて! きっと副長にも伝わるよ! こんなに綺麗なお花なんだもの」
「……っ、ありがとうございます。頑張って渡しますね」
ニコラがソフィアの頬をつんつんつつく。
くすぐったいやら恥ずかしいやらで、ソフィアの顔は瞬く間に薄紅色に染まるが、悪い気はしない。
(……これ、なんて言って渡せばいいんだろう)
イオリにもらったものは、花だけでは到底返しきれないほど大きい。
できるなら、言葉でも想いを伝えたいものだ。
溢れんばかりのこの気持ちを凝縮して伝えるには、一体どうしたら――
「ねえ、君! 王都校の生徒じゃないよね?」
と、ソフィアが思案していたところで。
背後から若い男に声をかけられ、ソフィアはぴょっ! と肩を跳ねさせる。
「俺らも外から来てさ、道が分かんないから一緒に歩かない?」
「こういうのは人数が多い方が楽しいでしょ?」
見たところ、背後の二人の男は、他の地域から来た魔法学校の学生のようだ。
ソフィアを学生と勘違いしているらしい。
男子生徒たちから、舞踏会でシュナイダー少尉に声をかけられた時と同じ雰囲気を感じて、ソフィアは一気に頭が真っ白になった。
「えっ、あ、でも、私、お友達と来ててっ……」
「全然構わないって! そこの友達も一緒に回ろうよ!」
「ダブルデートみたいでいいじゃん!」
「ちょっ、アンタたちねぇ! ウチを何歳だと思って……!」
腹に据えかねたニコラがくわっ! と牙を剥いて反撃に出ようとしたところで――突然、男子生徒の後頭部が、ボードのようなものでスパン! と小気味よい音を立てて引っ叩かれる。
「お~い、君たち~? ナンパ行為は禁止って看板に書いてあったよね? 公用語が読めなかったのかな~?」
「……イオリさんっ!?」
「副長ぉ!」
男子生徒の背後にいつの間にか立っていたイオリを見て、ソフィアは手にしていた花のカプセルをサッと懐にしまう。
イオリは人のよさそうな笑顔を浮かべているものの、目がまったく笑っていない。
笑顔の仮面の下から漏れ出るオーラと、隠しきれない鋭い目つきが、彼のピリピリとした怒りを伝えてくる。
……軍人口調で怒らないのは、おそらく学生相手に手心を加えているからだろう。
「やべっ、王国軍人っ……」
「すいませんでしたぁあ!」
王国軍の隊章を目にした生徒たちが、慌ただしく逃げていく。
その背中を静かに見送って、イオリはやれやれ、とかぶりを振った。
「イオリさん、どうしてここに?」
「ん? 休憩がてら会場を回ってただけだよ。そしたら偶然、ソフィにくっついた悪い虫を見つけたから、つい叩いちゃった」
イオリは茶目っ気まじりに言うが、ハエ叩きのような音を立てながら、クリップボードを片手に叩きつけているのが怖い。
「ごめ~ん、副長! ウチじゃソフィアちゃんの男避けにならなかった~!」
「そりゃ、ニコラは三児のお母さんに見えないからねぇ」
「ええ、ひっどぉ~! ウチは子供に見えるってこと!?」
……別に子供に見えているわけではないが、ニコラが三児の母に見えないほど若々しいのは事実だ。
三児の育児と看護師の仕事を両立して、この陽気さと力強さである――体力のないソフィアにしてみれば、羨ましいことこの上ない。
あの学生たちが真実を知ったら、どんな顔をするのだろう……とソフィアはどうでもいいことを考えた。
「悪かったね、淑女のランチタイムに波風を立てたりして。スピラーも楽しんでいるようでなによりだよ」
「ええ。ニコラさんのおかげで、スピラーの好物も見つけられました」
「ンミャー」
イオリに額や顎を撫でられて、スピラーはグルグルと喉を鳴らした。
すると、すぐ近くから、
《間もなく、一時三十分より、王国軍海兵隊によるコンサートが始まります――》
と、くぐもった人の声らしき音が聞こえてくる。
ラジオの音声に似ている気がするが、なんだろう……とソフィアは辺りを見渡した。
すると、少し離れたところに立った柱に、箱形の機械のようなものがくくりつけられているのを見つけた。
さらに少し離れたところには、小さなテントが立てられていて、魔法学校の生徒らしき人物が、機械に向かって話しかけている。
「あれって、放送設備ですか?」
「うん、そーだよ。ソフィアちゃんは初めて見た感じ?」
「ええ。この会場、あちこちに新しい設備がありますよね。お祭りの様子も、ラジオで中継するって聞きましたし……」
「今年から始まったらしいよ。王国軍が使ってる無線設備を転用できないかって、試験的に導入してるんだってさ~」
ニコラの説明を聞きつつ、ソフィアは「へえ」と興味深く観察する。
たまに聞いていたラジオも、こんなふうに声を届けていたのか、と思うと面白いものだ。
「そういえば、ソフィ。転移魔法の装置は使った? あれ、一瞬で目的地に着くからすごく便利だよ」
「転移魔法ですか……!?」
イオリの台詞に、ソフィアは驚きの声を上げる。
転移魔法技術そのものはソフィアも知っているが、あの設備は軍用に作られたものだ。
一般人がそう易々と使えるものではない。
軍の大規模遠征などを除いては、災害時などの緊急避難の時くらいしか使えないはずだ。
「今年から一般客にも試験的に解放することにしたんだって。人混みが激しいと満足に移動できないし、却って事故に繋がりかねないしね」
「さすが王都ですね……」
郊外ではこんな設備自体、まずお目にかかれない。
なのにここでいきなり体験できるなんて、とソフィアはわくわくしてくる。
「じゃあ、この『鏡のトリックハウス』も、転移装置を使えば……」
「うん、すぐに行けるよ。魔法学校の近くだから、あの屋台の向こうにある装置から行けばいい」
もしかして、遠すぎて時間に間に合わないかもしれない、と諦めかけていた展示品だ。
ソフィアが喜びを感じたのは、イオリやニコラにも伝わったらしい。
「じゃあ、最後の目的地も決まりだね!」
「行っておいで。後で家に帰ったら、感想聞かせてよ」
「はいっ!」
ソフィアは喜色満面のまま、ひときわ元気な返事をした。
*
鏡の魔法を使った展示は、ソフィアの想像を軽く越えてきた。
「おーこりゃすごいねえ! 学生さんの展示ではダントツ一位かも!」
「本当にすごいです……こんなこともできるなんて」
動物たちが歌う森の景色も、雲の上の透き通る青空も、夜闇に輝く光の花畑も――目の前に広がるのは間違いなく異世界なのに、現実と遜色ない空間だった。
「鏡に景色を投影させる魔法、でしたっけ。王都の学生さんはすごい魔法を習うんですね……」
「ね~! 発想も面白いし!」
四方を鏡で囲って、その中に学生たちが想像して作り上げた風景を投影する――鏡に望んだ光景を投影させる魔法を、こんな作品に昇華してしまうなんて、驚愕しきりだ。
夢中で楽しんでいると、鏡の空間が舞踏会の場面に変わる。
ガラスでできた豪華な建物、その向こうに巨大な満月が浮かび、薄暗い場内が淡く照らされた。
「ふふ、スピラーは毛が真っ白ですから、光ってるみたいですね」
ソフィアの腕に抱えられたスピラーが、体の中に蝋燭を灯したように発光している。
鏡に投影した月の光が、スピラーのふわふわの体毛を照らしていた。
「ソフィアちゃんも綺麗だよぉ~? ほら、ワンピースがちょうどドレスみたいになってる!」
ソフィアのワンピースにも月明かりが投影され、ちょうど魔法のドレスのようにきらめいていた。
(……あの日も、月明かりが綺麗な夜だった)
イオリと初めて出会った、あの夜──バルコニーでの彼とのひとときは、傷ついていたソフィアにほんの少しの癒しをもたらした。
柔らかい月明かりに包まれながらの会話は、まるで魔法にかけられたかのように幸せだった。
(……イオリさんとなら、一曲くらい踊ってみたかったな)
鏡に投影された風景の中で、透明なガラスの人形が、オルゴールのようにくるくると踊り出す。
(勿体ないな……今日限りの展示なんて)
周囲で踊り出す幻影たちに合わせて、カップルたちが戯れだす。
ソフィアは周囲のカップルが少し羨ましかった。
*
家族と合流したニコラに別れを告げ、さて帰ろうかとソフィアは歩き出す。
スピラーは少し疲れたようで、ソフィアの腕に抱えられたきり、一向に降りようとしなかった。
(ちょっと連れ回しすぎたかしら……でも私もそろそろキツいかも……)
並の猫よりも重めなスピラーを抱えていると、ソフィアの息もふうふうと弾んでくる。
ソフィアが一旦休憩しようとスピラーを下ろせば、スピラーはやや不満げに「ンミャーウ」と鳴き声をあげた。
「ちょっと待ってください、スピラー。そろそろ水分補給しないと……」
汗だくになりながらベンチに腰を下ろし、水分を摂る。
本当は血を飲めれば一番いいのだが、今は水で我慢だ。
イオリが仕事から帰ってきたら、すぐに血をねだることになるのだろうな……とソフィアは体の力を抜きながらぼんやり考えた。
「スピラー!?」
そこへ、聞き覚えのある金切り声が、ソフィアの鼓膜を叩く。
緩めていた筋肉がすぐさま強ばったのは、長らく体に染みついた条件反射だ。
「やっと見つけた……私のスピラー!」
「あの女ね、リリアーネ様の大切な使い魔を奪ったのは!」
制服を身にまとったリリアーネが、複数の女子生徒を引き連れて、ソフィアのもとにやってくる。
ほぼ一ヶ月ぶりだろうか──久しぶりに見たリリアーネの顔は、なぜか醜く見えた。




