2.デートのお誘い
「あっはははは! ひい、ひいい~ひひひ!! ソフィアちゃん、ホントっ、サイッコーすぎる……っ! あっひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「アンタ、いつまでそのネタで笑ってんのよぉ」
仕事あがりのニコラとレベッカに「顔色が暗い」と言われたソフィアは、先刻やらかした失敗を包み隠さず話した。
そしてその結果……ニコラはこのとおり、二、三分ほどノンストップで笑い続けて、絶息しかけている。
夕方の喫茶店でいつまでも笑っているニコラに、レベッカは「そろそろ迷惑になるわよぉ」とお茶を差し出した。
「私が上手くできなかったばかりに、イオリさんに迷惑をかけてしまって……」
ソフィアの豪快な失敗のせいで、イオリは白衣と私服一枚を捨て、テオをはじめとする隊員から爆笑される、という多大な被害を受けた。
にもかかわらず、彼は終始ニコニコと笑ったままだったので、ソフィアの罪悪感は五割増しだ。
「だぁいじょうぶよぉ! こんなの新人あるあるだし、一朝一夕でできるようになっちゃったら、アタシたちの立つ瀬がないワ」
「そぉそぉ、まだまだこれからなんだし、失敗したっていいんだから! もっと気楽に行こ~!」
レベッカとニコラに慰められて、ソフィアは「はい……」とお茶を啜る。
(……そういえば、失敗してもいいなんて、久しぶりに言われたかも)
思えば、母が生きていた頃の自分は、今よりもずっと恐れ知らずだった気がする。
当然、失敗だって何度も繰り返していたが、それでも挑戦を続けられたのは、母が失敗を許してくれていたからだ。
ヒースコール家では失敗の度に厳しい折檻を受けていたから、今のソフィアはすっかり失敗を怖がるようになっていた。
あの家の異様さを、ソフィアは改めて痛感する。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえるだけで、また頑張ろうって思えます」
思ったままに口にして感謝を述べると、二人は揃ってきょろんと目を丸くした。
なにか変なことを言っただろうか、とソフィアが不安を感じ始めたあたりで、
「ねえ、ソフィアちゃんてば、ガチでいい子すぎない……!? 仕事でささくれた心が浄化されてくぅぅ……!」
「今まで大変だったでしょうに、よく立派に育ったワ……! 天国のエミィもさぞ誇らしいでしょうねェ……」
と、二人はなぜか泣き出した。
向かいに座ったレベッカはナプキンで涙を拭いているし、ニコラはソフィアをぎゅうぎゅう抱きしめながら、頭をわしわしと撫ではじめた。
「じゃあ、頑張り屋のソフィアちゃんに、ウチらからいいものあげちゃう!」
「いいもの、ですか?」
「ンフフ~」
二人がなにやらにまにま笑っている。
なんだろう、と好奇心をうずかせるソフィアに、ニコラが「はい!」と手のひらサイズの透明なカプセルを差し出してきた。
「これは、お花の種……ですか?」
「そう! フローラル・フェストの二週間前から配られる、お祭り用のお花の種なんだよぉ~」
「フローラル・フェスト?」
「王都の中心街で開かれる、花の女神のお祭りよ。ソフィアちゃんはずっと王都の外れにいたから、あまり馴染みがなかったかしら?」
「そうですね……王都の行事はまだよく分からなくて……」
ソフィアが王都にいたのは五歳までだ。
それ以降は王都に近づくこともなかったし、馴染みがないのも無理はない。
「そのお花は『フェスト・ブートニア』って言って、毎年魔法学校の生徒さんたちが手作りしてるんだ。前夜祭の時までに蕾になって、二日目の本番で一斉に開花する仕組みなんだよ!」
「これがまた洒落た仕組みでねェ。魔力を注いでおくと、それに反応して色んなお花を咲かせるのよ。何が出るかはお楽しみってコトね」
「わあ、面白い仕掛けですね……!」
「で、咲いたお花は記念品として持ち帰るもよし、教会の祭壇にお供えするもよし! なんだけど……」
ニコラが意味ありげに言葉を切る。
二人の表情がまた、先ほどのにまにま顔になった。
「これ、学生さんの間ではジンクスがあってねぇ。自分の魔力で咲いた花を好きな人に渡すと、想いが伝わるってことらしいの!」
「ただし、渡す瞬間までに相手にバレたら、効果がなくなっちゃうから注意よ」
「なるほど、恋のおまじないというわけですね」
それはまた、なんとも青春み溢れるジンクスだ。
初等教育の時に読んだ、児童書に載っていた恋の魔法にも似ている。
「ま、ソフィアちゃんはもう副長と付き合ってるけどね~」
「ふえ……!? お、お二人も知っていたんですか……!?」
「そりゃそうよぉ。ま、アタシとニコラはいつか付き合い出すだろうって予想してたけどネ」
「えええっ……!?」
つまり、二人が花の種を渡してきた意味は――
「ソフィアちゃん、イオリちゃんをデートに誘ってごらんなさい。きっと喜ぶわよォ~」
「で、でも、イオリさん、お仕事が忙しいんじゃ……」
「大丈夫! 副長はソフィアちゃんのためなら休みをもぎ取るはずだから! というか、もぎ取らせるから!」
「も、もぎ取らせる……」
「カワイイ彼女が勇気を出して誘ってるんだもの、断りゃしないわよ。万が一断るようなら、アタシがぶん殴るから」
盛り上がった自身の上腕二頭筋を叩きながら、むんっと鼻の穴を膨らませるレベッカ。
こんな棍棒のような腕で殴られたら痛そうだ……とソフィアは思った。
「イオリちゃんも、毎年他のコたちに休みを譲ってたからね。今年くらいはあの子も思い出を作ればいいんだワ」
「そーそー、ソフィアちゃんと副長ならちょーお似合いだし、ウチらも応援したいんだぁ~!」
「レベッカさん……ニコラさん……」
なんて優しい人たちなのだろう。
自分の恋路をこんなにも温かく応援してもらえるなんて、と感激のあまり涙がにじむ。
「そういうワケで、素敵なお土産話を待ってるわよォ~♡」
「副長とのラブラブエピソード、い~っぱい聞かせてよね!」
「あ……はい」
お礼にお菓子でも用意しようか、と考えていたソフィアだったが、どうやら二人は別のものをご所望らしい。
話題に事欠くことはないだろうけれど、それ以前に、ソフィアは自分の心臓の耐久性が心配だった。
*
イオリとの関係が恋人同士に昇格したからと言って、そこから劇的な変化があったわけでもなく。
生活もこれまでどおり、ヌイとスピラーも織り交ぜながら、平和に過ぎていく。
「ミャーオ、ミャー!」
「おい、イオリ! 薬草の鉢がひっくり返ってんぞ!」
「嘘ぉ!? ――げえっ、スピラーが土まみれになってるじゃん!」
「ああ、入ったらダメです、スピラー! そのまま庭にいてくださいっ!」
こんなふうに、時々騒がしくなることはあるけれど。
ヒースコール邸では得られなかった、愛すべき日常が戻ってきたようで、ソフィアは幸福を感じていた。
「まさか、あんな重たい扉を開けてしまうなんて思いませんでした……」
「猫の使い魔は頭がいい上、イタズラ好きな子も多いからねぇ。ともかく、スピラーに怪我がなくてよかった……」
ヌイがスピラーを風呂に入れている間、ひっくり返った鉢や土だらけの庭を掃除して、ソフィアとイオリはやっとひと息ついた。
特に、当直明けのイオリにはキツかったことだろう──彼はぐったりとした様子で、ソファにもたれていた。
(そういえば、イオリさんの寝顔って見たことないかも……)
目を閉じているイオリを見て、ふとそんなことを考える。
改めて見ると、同じ人間とは思えないほど整った造形だ。
長い睫毛も、すっと通った鼻筋も、形のいい唇も、こだわり抜いて作られた人形のように美しい。
白と黒のはっきりとしたコントラストは、生き物らしくない不自然な印象を与えるのに、それすら彼の魅力になっているのがすごいところだ。
(ああ、疲れた。喉が……)
朝食をとる前から動いたせいか、いつにも増して疲れた感じがする。
こんなふうに疲労を感じると、血が欲しくなってくる──と気づいたのは、ごく最近のことだ。
「あの、イオリさん、ごめんなさい。喉が、渇いてしまいました……」
疲れているイオリには申し訳ないと思いつつ、血が欲しいと訴える。
すると、イオリは閉じていたまぶたをパカッと開けて、視線だけソフィアの方へ寄越した。
スー……と深く息を吸い、上半身を起こして、
「……ン。どうぞ」
と襟を緩めるイオリ。
ほんのりと期待の滲む視線を汲み取ってから、ソフィアはタトゥーの覗く首筋に歯を突き立てた。
「ぐっ、ぅ……ン、ン」
すぐ横から聞こえる呻きは、もはや色香さえ感じる。
間違いなく注射よりも痛いだろうに、それすら愉しむなんて、本当に変わった人だ……。
そんなことを考えながら、こぼれ出た血を緩慢に吸い上げる。
吸い上げた血を舌で転がし、甘い香りとほのかな苦味を口いっぱいに広げる。
この甘露な味わいは、何度堪能しようと飽きが来ない。
「あー、吸血もクセになりそうで怖いな……いよいよ僕も変態じみてきてるかも」
――それはもう手遅れです。
ソフィアはそう言おうかほんの少し迷って――最終的に、血と一緒に飲み下した。
まあ、彼女も彼女で、この吸血行為に吸血以上の意味を見いだし始めているので、お互い様な話だ。
「……別に、いいですよ。それでも」
「ええ~そこ許すの? 僕が目覚めちゃったら、責任取ってくれる?」
「まあ……私にイオリさんの血は不可欠ですからね」
イオリの血を欲しがる魔物は多かれど、人間の女ならば自分しかいないだろう。
彼と契約を結んでいるヌイは除外するとして、他に彼の血を味わえるのは自分だけだ。
そんな誰にも言えない独占の悦に入っていると、不意にちゅっ、と軽く唇を奪われた。
驚いて顔を離すソフィアに、イオリはくにゃっとした、なんとも力のないしたり顔を見せた。
「うーん、僕にはやっぱり鉄の味しかしないや」
「な、ななななにを……っ!?」
「いや、ソフィもヌイも、僕の血は甘くて苦くて美味しいって言うからさ。どんな味かな~って思って。ソフィなんか、最近はゆーっくり吸うし」
「っ!? き、気づいて……っ」
「ああ、やっぱり意図的にしてたんだ。……もしかして、僕が喜ぶと思って、わざとそうしてくれてた?」
唇の端をほんの少し吊り上げて、妖艶に微笑むイオリ。
……間違いない、この男、絶対に自分が美形だと理解してやっている。
「~ッ、変なことを言わないでくださいっ! 止血したいのに、また服を破ってしまいます!」
「おっと、それは少し困るな」
緊張しすぎてしまった心を深呼吸で落ち着けてから、噛み痕を包むように両手を当てる。
外傷によって停滞した魔力の流れを促進し、内側から治癒を促す。
……循環回復術も回数を重ねたことで少し上達した。
少なくとも、普通にやれば服を破くことはなくなったし、時間は少しかかるが、止血までなら問題なく成功させられる。
「うん、上手になったね。もう少しきれいに治せるようになったら及第点かな」
「ほ、本当ですか? 感覚はなんとなく掴めてきたんですけど……」
「この短期間で感覚を掴んだなら、大したものだよ。やっぱりソフィは優秀だね」
「! よかっ……ひゃっ?」
またしても、不意打ちで頬に口づけられる。
褒められたのだろう、ということは分かるが、この短時間に二度もキスをするなんてありなのか。
「……なにか言いたそうだね、ソフィ?」
「……東国の方って、こういうのは控えめだと聞いていたのですが……」
「僕はルーツが東国ってだけで、育ちはこっちだもの。接触が解禁されたことだし、これくらいは許してほしいなぁ」
「…………お手柔らかに、お願いします」
「善処する」
……生活が劇的に変化したわけではないものの、こういう多少の変化はあったわけで。
喩えるなら、今まで毎日飲んでいたホットミルクに、ひとふりのスパイスが加わったようなものだ。
関係が恋人に昇格した途端、イオリがとんでもなく甘ったるい仕草を見せるようになったものだから、ソフィアの心はちっとも休まらなくなっていた。
しばらく沈黙が流れたところで、ソフィアはふと、先日にレベッカとニコラから提案されたことを思い出す。
――そうだ、二人きりの今がチャンスではないか。
今ならヌイやスピラーの妨害を受けることなく、デートに誘える。
ソフィアはよしっ、と拳を握りしめて切り出した。
「「そういえば……」」
すると、イオリもまったく同じタイミングで切り出してきて、声がぴったり重なる。
ほんの少し間を開けてから、
「「あ、お先にどうぞ」」
と、また声が重なった。
一言一句たがわず、少しのズレもなく、お互いに譲り合うところまで揃ったものだから、二人はしばらくお腹を抱えて笑ってしまう。
ひとしきり笑った後で、
「はーぁ……じゃあ、ソフィアさん? お先にどうぞ」
と、先に復活したイオリが順番を譲ってくれたので、ソフィアはそれに甘えることにした。
「……あのですね。もしよければ……フローラル・フェスト、というものに、一緒に行けないかなって思ってまして。二日間開催されると聞いたので、一日だけでもお時間をいただけませんか……?」
指をもじもじさせつつ、視線を彷徨わせつつ、慎重に言葉を選んで伝える。
すると、イオリははにかみつつも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「奇遇だね。僕も同じ提案をしようとしてたところだ」
「……! そう、だったんですね……!」
イオリも同じ考えだったと知り、ソフィアは胸の中でふわっと花開くような嬉しさを感じた。
「一日目はどうしても外せない仕事があるんだけど、二日目のフィナーレは一緒に行けるよ。隊員たちから休みをプレゼントしてもらったからさ」
「プレゼントですか?」
「うん。代わりに、美味い土産話を寄越せって言われたけどね」
「ふふ、私もレベッカさんとニコラさんに同じことを言われました」
イオリの土産話を欲しがっているのは、もしや、お祝いソングのように彼を持て囃していた隊員たちだろうか。
しかし、多忙なイオリと一緒に出かけるチャンスを得られたのは、実に幸運なことだ。
ヌイにバラされたと知った時は肝を冷やしたが、こんなふうに得をすることもあるものだ。
「……きっと、気を遣われたんだろうねぇ……」
「ですね……イオリさんに人望があるからですね」
「え~そうかな? 僕はソフィが可愛がられてるんだと思うけど。僕なんか、しょっちゅう部下を叱りつけてる酷い上官だよ」
「とんでもありません、私は新参者ですよ。むしろ、イオリさんが隊員の方々に慕われてるから、この機会を作っていただけたわけで……」
そんなふうに二人で手柄の押しつけ合い、もとい熱い褒め合いをしていると、
「おーおー、新手のイチャつき合戦かよ、オメーら」
と、口をひん曲げたヌイがバスルームから戻ってきた。
「オレが泡まみれになりながらスピラーを洗ってるってのによ、ひでえご主人様たちだぜ」
「悪かったって。乾かすのは僕がやるから、ヌイは休んでな」
「すみません。これで機嫌を直してくれませんか?」
ソフィアは、前日に仕込んでおいたラズベリーとヨーグルトのアイスキャンデーを差し出す。
すると、ヌイは「分かってるじゃん」と口を開け、バクッと食いついた。
「そうそう、ソフィ。お前、時間があるならスピラーを祭りに連れて行ってやれよ。風呂入れてる最中、連れてけ連れてけってうるさかったんだ」
「私は構いませんが、スピラーは人混みに入っても平気ですか?」
「屋台メシのためなら我慢するって。毎年食ってた猫チーズとか猫ケーキがどうしても食べたいんだと」
「毎年……」
そういえば、リリアーネは魔法学校の生徒だから、祭りには毎年参加していたはずだ。
スピラーも、リリアーネと共に遊んだことがあるのだろう……使い魔用のおやつも、彼女に食べさせてもらっていたに違いない。
(スピラーも、お嬢様との思い出はやっぱり大事なのかしら……)
リリアーネのことを恋しがっているのだとしたら、可哀想だ。
ならばここは、スピラーの思い出の味を巡ったり、一緒に散歩をするなどして、ガス抜きをさせてあげるべきだろう。
「ええ、いいですよ。じゃあ、一日目はスピラーと私で遊びに行きましょうか」
「ミャ~ウ!」
額を撫でるソフィアの手にすり寄りつつ、スピラーは満足げに喉をゴロゴロ鳴らした。




