5-1「魔王軍」
5-1「魔王軍」
ウルチモ城塞と魔王城があるクラテーラ山との間には、かなりの距離があった。
一行がその間を通った時は、雪山を乗り越えなければならないこともあって、片道だけでも2、3週間もかけて移動する必要があったほどだ。
だが、おそらくは魔王ヴェルドゴがその力を用いて雪山を切り開いて、ウルチモ城塞とクラテーラ山との間を一直線の道でつないでしまったせいで、魔物の軍勢は最短距離を、最短時間で進撃してきた。
その様子は、ウルチモ城塞からよく見えた。
魔物たちは昼も夜も行軍を続け、徐々に、確実に、輪郭がくっきりとして、肉眼でもはっきりと見える様になっていく。
人類軍は、オプスティナド4世の統率の下で、できる限りの準備を続けた。
魔王軍という脅威が目に見える形でじりじりと迫ってくる状況で、人々は必死になって働いた。
これから世界の命運をかけて魔王軍と戦うというのに、「あの時これをやっておけばよかった」と、そう思うような後悔はなるべく少なくしておきたかったからだ。
ウルチモ城塞より北方に偵察などのために出されていた人類側の部隊は、オプスティナド4世の後退命令を受けて続々とウルチモ城塞へと戻ってきていた。
その慌ただしい撤収作業もまた、人類側の危機感をよりかき立てた。
ウルチモ城塞より北方に展開させていた人類軍が全て後退を完了したのは、魔王軍が進撃を開始してから3日後、魔王軍がウルチモ城塞の前面に到達する1日前のことだった。
そしてとうとう、魔王軍はウルチモ城塞の前面へと到達し、展開を開始した。
ウルチモ城塞は、クラテーラ山から人間の住む地域へと通じる隘路を抑える形で築かれている。
谷筋の出口、扇状に徐々に平野となっていく地形の先端に円弧状に掘りと城壁が二重に築かれ、谷筋から出てきた敵に集中攻撃を浴びせることができる様な構造だ。
ウルチモ城塞の城壁には、魔王軍を迎え撃つべく人類側の軍隊がひしめいている。
その多くは弓や弩を持った兵士たちだったが、白兵戦に備えて、槍や剣や盾で武装した兵士たちも混ざっている。
オプスティナド4世は、ウルチモ城塞に集まった諸侯の軍勢を大きく4つに分けていた。
ウルチモ城塞の城壁を3つに区分し、左翼、中央、右翼に部隊を再編成して、それぞれ、有力な諸侯を指揮官としてすえ、その下に小規模な諸侯が入る形で、どこに敵の攻撃が集中しても対応できるように戦力を配分している。
4つ目の部隊は、ウルチモ城塞の中央部の後ろ、城塞の最終防衛拠点となる内城に全体の予備兵力として控えている、オプスティナド4世が直接指揮する軍勢だった。
予備兵力と言っても、これは2線級の部隊という意味ではなかった。
戦況に応じて左翼、中央、右翼の各隊を支援するために投入される増援部隊となり、あるいは、状況によっては積極的な攻勢に投入されることとなる「とっておき」だ。
元々ウルチモ城塞を防衛していたバンルアン辺境伯の手勢は、もっとも城塞の構造に詳しいということから各部隊に分散配備され、各隊に情報提供を行う他、オプスティナド4世の指令を伝える伝令となっている。
谷の出口をウルチモ城塞によって塞がれている魔王軍は、ウルチモ城塞に配備されたバリスタや投石器の射程が及ばない場所に、窮屈な形で布陣した。
布陣した、と言っても、人間の軍隊がするように、陣地らしいものをそこに築いたわけでは無い。
魔物たちの軍勢は地形に押し込められながらできるだけ左右に広がり、ウルチモ城塞からの攻撃が飛んでこない距離を保ちながらたむろしているだけだ。
それは一見すると、ほとんど無秩序にも見える隊列だった。
それでも、ウルチモ城塞の城壁を守る人類側の兵士たちは、その魔物たちの光景に圧倒されたように固唾をのんだ。
人類は、その歴史の間中ずっと、魔物たちと戦い続けてきた。
だが、実際に魔物の姿をこの目で見るのが初めて、という人間も、数多い。
加えて、その数と、種類だ。
魔王軍は今、地形に押し込められて左右に大きく広がることはできていないが、その後方には、無数の魔物たちがぎゅうぎゅう詰めになっている。
魔物と戦った経験のある兵士もいたが、そんな兵士であっても、これだけの数の、そして、多種多様な魔物たちの姿を見た経験は持っていなかった。
やがて、これ以上前進するとウルチモ城塞からの反撃の射程に入ってしまうというぎりぎりまで進出した魔王軍は、進撃を停止した。
魔王軍と人類軍との間で、無言のまま、にらみ合いが始まった。
静かで、恐ろしい沈黙に包まれた戦場の空に、稲妻が閃いている。
魔王が復活を遂げたその日から活発な活動を続けているクラテーラ山の火口から吹き上がった噴煙が、このウルチモ城塞の上空にまで到達し、覆っているのだ。
それは、光の神ルクスからの加護の象徴である太陽の光を覆い隠し、まるで、世界を暗黒神テネブラエの支配下に納めんと欲する、魔王の野望の表れのような光景だった。
闇に覆われつつある不吉な光景の中で、ウルチモ城塞の護りの要である、「ファンシェの鏡」だけが、変わらずに聖なる光を放ち続けている。
今は、その光だけが、人類軍にとっての希望だった。




