S2-par.3 『ゆずれないこだわり』
先日から始まった早朝トレーニングは、そのほとんどが部活動の練習に類似していた。動きの激しい準備体操、休憩なしの加速走、蛇行したり大きな円を描いて走ったり、一定の間隔や不規則な速さで駆けている。部活動の時間でおこなう練習を三十分に詰め込んだと表現できるだろう。
模忍高校暗役科、その受験資格には一定以上の身体能力を証明できるものが必要である。ツクヨたちがこの条件を達成するためには、陸上競技の県大会において、個人成績が各種目ごとの八位以上でなければならない。
そこでナツキが提案したトレーニングの内容が、部活動の延長だ。アスピュレータを扱うための体力づくりと精神鍛錬、そして大会へ向けた特訓を両立させる目的である。ただナツキが言うには、『これならアタシの仕事ないでしょ?』とのこと。なんのための指導者かとヒナコは思うところもあったが、内容自体を間違っているとは言えなかった。ツクヨにいたっては一切疑問を持たないため、一緒になって素直に体を動かしてる。
トレーニングが終われば、学校に向かい、授業は授業で受けたり他のことでいっぱいだったりする。昼休みと掃除と、残りの授業とたまの指導、そして始まる部活動。
朝のトレーニングに比べて人が多い。道具を使うこともある。より正確なタイムを測ったり、ただ走るだけではなかったり。リレー走に挑む部員たちもいる。
体力を枯らすまで部活動に励んでは家路につく。若さゆえに元気はすぐに戻り、ツクヨならヒナコと並んで歩きながら、反省会と称して談笑する。
家に帰っても休むには早い。宿題をしたりしなかったり、代わりに時間を自主トレに費やしたり。そうして床に上がりまぶたを下ろせば、新しい日と幕が上がる。繰り返し、何度も、必ず違うように、特訓の日々が重ねられた。
そうやって夏休み入り、登下校の時間帯が変化する。相も変わらず勉強はあり、当然のこととして部活動に励んでいた。そんなある日――。
「音無、ちょっといいか」
ツクヨが顧問に呼びつけられた。少し難しい面持ちをしている。
「どうしました先生」
「なぁ音無――ん、お前ちょっと痩せたか?」
「え、ホントですか!」
「気のせいだな」
「えぇ……」
「それよりも、だ。やっぱり幅跳びやる気ないか?」
ツクヨは入部当初も同じことを言われている。そのときには。
「いえ、私は」
同じように断っていた。
「そうか。向いてると思うが、まぁ、なら、タイムも縮まってきているし、このままがんばれ。戻っていいぞ」
「はーい!」
途中から走りなおすツクヨを眺め、顧問は腰に手を当てる。
「せめて姉と同じトラック競技か。頑固なところはよく似てるな」
ある生徒から今のツクヨにそっくりの反応をされたときの記憶が思い浮かぶ。
『そのしなやかさ、瞬発力、お前は器用だ。高跳びでもっと上の記録を目指さないか?』
『すみません。私はこっちの方が好きなので』
――姉貴がそれで暗役科いってんだから、お前も大丈夫だろうよ。
少女は思いを形に成すため、努力を続ける。そして――。
「今日は大会の選抜メンバーを発表する。まずは男子トラック、百メートル……」
そもそも大会に出られなければ結果を残すこともできない。第一の関門を願って待つ。
「……次、女子トラック、百メートル……」
このとき顧問がツクヨに目を向けたが、彼女が気付くことはなかった。
「……次に二百メートル、音無。後……」
まずはツクヨ。続けて。
「……最後は木洩、千五百メートルは以上だ。次にハードル……」
ヒナコも選ばれた。両名、大会出場確定である。
大会当日、現在のタイムテーブルは千五百メートル走の時間帯。今の組の走者は――。
「行っちゃえー!」
ヒナコの目前を走るランナー、彼女らの距離は伸ばせば手が届くほど。妥協などありえない。全力で体ごと脚を弾き飛ばす。しかし、ゴールをすぎたときヒナコは彼女を抜かしてはいなかった。
「あぁ、おしい!」
「いや十分だろ。あいつ一周遅れだぞ」
汗に日を受け笑顔まぶしい一着走者。ヒナコ、全国大会出場、おそらく確定。
「よし、次は私の番だ!」
数種目数組をはさみ手番は二百メートル走者、ツクヨの組へ。
――大丈夫。あれだけ練習したんだ。ぎりぎりまでやったんだから。絶対、大丈夫。
構える。待つ。聞いたのは――発砲。一斉に飛び出した。頭一つ出たのは、ツクヨ。ぐんぐん距離は離れ、明らかにトップ。種目は短距離走、誰もが結果を確信した。
――行ける。行った! よし、このまま……。
だが、そのとき異変。予測していなかった事態が起こる。足が、もつれた。
「ツクヨちゃん!」
「音無!」
届いていた、歓声は絶望の色に染まる。
――いたい……ヒナコちゃん、シショー……。
次々と順位が変動し、みるみるうちに最下位に、なる。その直前、横倒しに打ち付けられたツクヨの姿が、前方に跳ねた。
――お姉ちゃん、私も、そこにいたい。だから、負けたく、ないっ!
飛び起きて加速するその足は、一人二人と越えて行く。ただ前へ、行けるだけ行く。走り、たどり着いたのは。
「ああ良かったぁ、なんとか二位に入れたよぉ。でも」
「ひと言いるわな」
少ししてツクヨが戻ってきた。苦し紛れの笑顔が遠巻きにも分かる。その彼女に迫るのはツクヨと顧問。
「なぁ、音無」
「ねぇ、ツクヨちゃん?」
心配して近付いた、と言う雰囲気ではない。むしろ怒気を放っている。
「あそこであれはないよなぁ?」
「イタイイタイ! 分かってますから! 頭わしゃわしゃダメ! セクハラですよ!」
「私は女だからいいんだよ!」
ツクヨは髪の上で力が込められる大人の手に抵抗しようとする。だが、怒っているのは顧問だけではない。いや、怒っていると言う点ではこちらが本命だろう。彼女はツクヨの頬を子どもの両手でつねった。
「いはいっ! ひょっほヒアオひゃん――ヒア、あうっ! ヒナコちゃん?」
途中で離された両手は少し震えていた。駄々っ子にも似た瞳でツクヨを見据える。
「ツクヨちゃん、昨日何時に寝た?」
「え、いや」
「今日何時に起きたの!」
「それはそのぉ」
「ツクヨちゃん!」
しどろもどろ口も閉じ、ビクッとツクヨの方が跳ねる。嘘など初めから通用するはずもなかった。
「眠れなくて少し動いて、余計に眠れなくなって、朝から特訓しちゃったからちょっと筋肉痛とかそんなでしょ!」
「あぅ、はぃ……、あのよくご存じで」
「それ、無茶してるとか努力してるとか、そうじゃないよ。ただのちゃんとしてない人だよ。わたしだって応援できなくなるよ?」
自分なりにできることをやっての言われようであり、ツクヨは同意にも反論にも詰まって、都合が悪く場にいづらい顔でそらした。意地を張る姿に顧問も悩むが、やがてヒナコの方が緩みいつもの調子で話しだす。
「でも、そんな状態で一回転んだのに、それでも二位なんて、本当、すごいよツクヨちゃんは」
良く思っているからこその心配、怒りだと、それが分からないほどのツクヨではない。今回は巻き込んだわけではない。それでも、先の事件と同じ顔をさせてしまった。顧問の手が力を抜く中、ツクヨも彼女なりに反省してする。
色々問題はあったが、凄まじいほどに事をやってくれたのは事実である。当然周囲は注目するわけだが、そのうちのある男がツクヨたちに寄ってきている。先に顧問、次に二人と他の生徒が気付くと、軽い会釈をしながら彼女らに声を掛けてきた。
「いやぁ素晴らしい生徒さんをお持ちですねー」
「はぁ……あぁ、とんでもございません」
「特にそこのお二人」
「失礼ですが、あなたは」
別の学校の指導者、生徒の保護者、どうにも付き添いには見えない。心内得体のしれない男の注意はツクヨとヒナコに向けられた。顧問は警戒を強めてうかがい、対する男は他を気に留めず目的のために動く。
「私はアサシンアクターのスカウトを――」
「え? スカウト!」
反応を示したのはヒナコだった。詳しいことも聞かずに歓喜している。
「ツクヨちゃん! スカウトだよ! マシロねえと同じ。もう合格だよ。やったねツクヨちゃん!」
暗役科の受験資格の一つ、公認の認定士からの推薦は考えなくてもよくなる。スカウトされた先で指導するのはおそらくその認定士だ。加えて認定士のランクが高い場合、その他の関門を免除されるとも考えられる。暗役科合格への近道、それを目の前に提示されたのだからヒナコの反応に無理もない。
ところが、ツクヨは口を閉じたまま。文字通り言葉が出ないのか。それとも。
「ダメだよ、ヒナコちゃん」
「えっ、どうして」
「私はシショーがいるから」
姉と同じ道を目指したいから、姉と同じ場所に行きたいから、ツクヨはそう思っている。ヒナコはそう確信していた。もちろんその考えに誤りはない。ただ、暗役科に入りたいからナツキに教わっているのではなく、ナツキに教わりたいから彼女の元で特訓をしている。ナツキだから意味がある。その点だけが違っていた。
――ツクヨちゃん、憧れてるの、マシロねえだけじゃ……。
「それにお姉ちゃんがスカウトされたのは全国大会、もっとすごい人がいっぱいいる中だよ。ここじゃない。マシロねえは、こんなところにはいない。もっとすごい――シショーがいるところにいるんだよ」
「でも、いくらナツキさんがいいって言っても、推薦は」
「まずは、シショーがいい。私は誰よりも、お姉ちゃんとシショーに認められたい」
笑顔で告げる言葉は、月光のように淡くすがすがしく、どんなに張り上げ荒らげた声よりも強かった。
「ツクヨちゃ――」
自分の軽率な発言に悔いて、まとまらない中なんとか口を開く。しかし、ヒナコの声はより大きな音にかき消されてしまった。内容は、各種目の順位が確定したとの発表だ。
「行こ。ヒナコちゃん!」
ツクヨの手はヒナコの腕をつかんで強引に引っ張る。まだ何も言っていないのに、伝えられていないのに。それが些細なことであるかのように、勝手に導く。
――そうだよね。これがわたしの知ってるツクヨちゃんなんだから。
一人の少女がまた救われた。さて一方救われない男が呆然と立ち尽くしている。放置されたスカウトマンに、顧問が話し掛ける。
「大物を逃しましたね」
「ふん! あの程度ならいくらでもいますよ」
分かりやすく機嫌を損ねた男は不格好で足早に離れて行った。
「いやいや、どうせ強がるなら、あいつを扱える奴は他にいない、だろ。ま、あんたらじゃ手に負えんだろうが。大器程度に収まるガキじゃないよ、あいつは。あぁ、あいつら、かな」
顧問の眺める先では、記録表を見つめる二人の姿が小さく映っていた。
ツクヨ――二百メートル走、七位。ヒナコ――千五百メートル走、二位。




