82.ジレンマ
82.ジレンマ
「さて、此処よりの処断は、ワタクシめにお任せくだされ!」
黒兎の腕が更に黒兎の首を締める。黒兎に拘束され、首にナイフで切り裂かれたのは、黒兎の姿に化けていた猫目慧。その姿は、もはや黒兎の姿を取るのすらやめていた。
「何が処断だ。俺はまだ死なないぜ? ほら、もっぺん刺してみろよ」
「おっけー。もっぺん殺すぜぇ?」黒兎が手の中の短剣を翻す。
そして、喉元に近づいた瞬間、止まった。
「――魔術か……ケイちゃん」
「『針鼠背反』だ。あんたは俺に殺されたくないから、俺を殺そうと思わないんだよ……もっと、深い深層心理の術だが、お前には十分だろう?」
「ええ。私と絵本たんでは、傷つけることができないわね。厳密には、そうできないような心理を勝手に植え付けられているから、傷つけようとしない」
「ああ。その通りさ。だが、それは鉄壁だ。お前が俺を殺そうと思わないなら、それまでさ」
猫目の腕が変形する。それは黒く力強い、熊の腕だ。
「こっちはあんたを殺し放題なんだからよ!」
見えない部分も強化されていた。脚力は大地を走ることに適した生物のものへ。動体視力は狩りに適した獰猛で攻撃性のあるものを。
――黒兎の反応速度では、回避しきれない。首元を一閃される……。
「――ちっ! クソが!」
黒兎の姿がぼんやりと消えていく。幻を相手にしていたのだろうか……猫目の視力が辺りを舐めるように見回していく。しかし、姿は映らない。夢見野以外には!
「……しょうがない。こっちが先だ……」
だが、先に走るのは足に起こる痛み―――黒い羽が足を貫いている……。
「――むっ! 痛いぞ! どこからだ……!」
「こっちこっち。ほらほら。こっちよ。あなた、絵本たんに手を出した瞬間殺すわよ」
「――そもそも、何故お前は俺の『針鼠背反』を無視して攻撃しているんだ!」
黒兎の羽攻撃。姿を消して行う殺意は、ロバートを追い詰めた黒翼天使の魔術。
「殺せないわ。ケンちゃん……あなた、弱いから」
「―――畜生が! ならやってやるよ! 夢見野ォ! お前を殺すぜ!」
手足、頭、心臓。全てに羽が突き刺さるが、猫目は痛みしかない。決して死ぬことのない不死の半身を持つ猫目には、この程度の殺傷力では、動きを止めることはできない。全身に呪いを宿らせた黒い羽が突き刺さる。しかし、猫目の爪は確実に絵本へ近づいていく。残り半歩、そして、爪がいよいよ絵本の眼前に迫ると――その爪は動かなくなった。絵本は、それを最初から予期していたように、動かなかった。
――そして知る。信じている目を。絵本と黒兎の間にある絆の線を。
「――残念ね。その瞬間を待っていた」
黒翼天使として、都市伝説の一種と化していた黒兎が、何も無い場所から現れる。
「――私はね、研究大好きなのよ。暇な時は七人の魔術がどんな風に出来ているのか、調べたりしたものよ。例えば、絵本たんの、予知能力とか――ケイちゃんの『針鼠』とかね……ねえ、あなた何故この場所に侵入出来たの? 結界が消えたから? 私が死んだから? 電波を盗聴して、全てが分かっていたから? そして、簡単に絵本たんを殺せると思ったから? ねえ、ケイちゃん。なんで私がこんな所で戦闘に参加しないで電波を飛ばして戦いのサポートに徹していたのか、分からないの?」
黒兎が笑う。そして、その表情に冷血なものを感じた。猫目は体を震わせた。
「へへへ……ケイちゃん。あなた……私にハメられたんだよ! 馬ぁ鹿!」
「―――ッ!」猫目の瞳が仰天した。




