75.猫目慧の『変身幻戯』
75.猫目慧の『変身幻戯』
戦地スカイツリー近辺から離れて、白蘭館ビル。
ビル内には一人、夢見野絵本だけが残っている。現在の戦況を透視する為……黒兎の空席を埋めるためにもやる気を出した彼女であるが、重要なことに気が回っていない。すなわち、ビル内を覆っていた結界の消失である。
夢見野は戦況を知るために、意識をすべてスカイツリーへと向けている。故に、背後の気配にも気付かない。
黒兎……に擬態した猫目慧のことには……。
『古妖獣人研』に所属する魔術師にして、愛路橋花音の電波に呼び出された、白蘭館のメンバーの一人。かつて『変容のショゴス』を体内に埋め込まれ誕生した不老不死の強化人間。半分は人間。半分は怪物。半妖の魔術師である。
特に、猫目の反作用は白蘭館メンバー中で最も大きかった。ショゴスは変体能力を持つ微細なウイルス。ただ一粒でも摂取すれば、肉体を変えられてしまう。男限定で発動する変形能力。ただひとつのY染色体から発生するこの変容は、魔術師であっても避けられない。
だが、人間の技術は勝る。不完全な形ではあったが、一命は取り留めた。そして、受けた苦痛の分だけ、変容の力を盗みとった。猫目の才能だったのか、ただの不幸か……故に、彼はチーム内で最も体の変化と怪物の血が強い。この中で、内蔵を取り払っても、頭蓋を撃ちぬいても会話することが出来るのは、メンバーでも彼しかできないだろう。
そして、ハストゥールの堕神点という呪いを受けているロバートとも相反する。猫目慧は半分怪物の体……猫の瞳と同じ物を持つ変容した目と、人間を凌駕する怪物の脳。ロバートの幻視痛の悩みも解決できる体を持っていると言えば、彼の戦闘能力の高さは測る必要もない。
『這う者を統べし女王』との作戦時に爆死した。死体はその後、探しても見つからなかった……確かに猫目慧は『ボルドゥーム』と共に爆死したのだ……。
――そして、彼は黒兎の姿を型取り、夢見野に近づく。
これはショゴスの力では無く、彼が生前に得た魔術だ。赤ずきんを待ち構えたおばあさんを演じる狼。『変身幻戯』と言う簡便な変装術である。しかし、それは真に迫ったものがある。性別の反転も可能である。
猫目は静かに、夢見野へと近づいていく。ただ殺すだけじゃあ楽しくない。優しいおばあさんを演じる狼は、その姿のままで赤ずきんを食らわなければならぬ。
先程の電波は全て聞いている。黒兎の放つ電波は強力だ。加えて、猫目は半身を怪物にしている。電波ジャックして聞き取ることなど、たやすい事だ。
――猫を被る。黒兎という特殊人物へ変身する。
「やあ! 迷惑掛けたねえ! 大丈夫だった?」
こんな戦況だと言うのに、馬鹿みたいに明るい声。
「………えっ?」
夢見野に反応あり。信じられないという顔。それはそうだ。あのバハムットの一息で死んだ人間は多い。あれを直に受ければ、いかに不老不死であろうと肉体が消滅してしまうだろう。それほど、バハムットはアブホースの中でも神威を持つ怪物。まあ、彼女は死んだと思ってもいいだろう。
「い、生きてたの?……ほんとうに?」
「ええ、そうよ。あなたの事を放っておいて、この美しいみーちゃんが死ぬと思う?」
近づいていく。彼女の座る椅子までは、もう少し。
……右手には狂気の短剣。すぐにでもあの少女のうなじに突き立て、鮮血に濡れたいと感じてやまぬ狂乱と欲望の殺意である。
その貪欲な欲望も、完璧な黒兎の表情の裏に隠れる。
「さあ、待たせて悪かったわね――一緒に頑張りましょう“絵本たん”」
―――完璧だ……完全にして完璧な演者だ。自分のありあまる才能と力に熱い溜息が漏れ、舌が吐息で乾いていく。だが潤いはすぐに訪れる。夢見野絵本の血液と共に!
「――――――ッ」速い動きだった。
「……えッ?……」黒兎ならぬ、猫目の驚愕。
夢見野の手に握られた拳銃、それが自分を向けて火を吹いたのだ!




