22.静かな勝利
22.静かな勝利
既に荒野と化した大地。メリーの堀削によってコンクリートが大きくえぐれ、そこから延々に続くような暗闇の穴が覗いていた。『ウェンディゴ』を縛るために働いた泥沼も、今は固まり、『ウェンディゴ』の体の入っていた分だけの長さと大きさの穴が空いた。
『ダイダラボッチの足跡』のような観光名所になるかもしれない。
銃弾の跡が残る場所に、下劣な怪物は一体として立ってはいない。ここに、戦いは集結したのだ。
「メリーさ~ん!」
ロバートの緊張感のない声が響いた。反響するビルも数を減らしてしまったため、情けない声は一人にしか聞こえなかった。
「ご苦労」
大穴の前にメリーは立っていた。触手人形として放ったメリーの半身だ。すでに大きな白黒の傘を差して、暇そうに立っていた。
「ありがとう。メリーさん。僕は本当に困った人間だ」
「いいえ。私の誤算でもあった。それに、ロバートが最後に繰り出したアレも」
少し悔しそうに言った。よほど自身があったのだろう。最も、自身がなければ今回の作戦も失敗に終わっていたかもしれない。
「君の言葉は少し聞こえていたんだ。風の便りとでも言うのかな。そして気づいたんだ。もし、相殺した状態からその方向に飛ばせるなら楽だって。ほら、よく映画でもあるじゃないか。敵の銃弾を眼前に止めて、その銃弾を相手に打ち返すってやつが」
ロバートが手振りで伝えようとする。銃弾が右手で、ロバート本人が左手だ。
「この銃弾のベクトルを操ることはできない。でも相殺はできる。可笑しな話だ。相殺できるということはそれと同じ方向と力が加わっているだけだ。なら、相殺した方向にさらに力を加えてやればいい」
「そこで、今回の『アイス・クロノグラフ』か」
「結局、僕は人間でしかなかった訳だ。何たって、『ウェンディゴ』は透視能力まで持っていたのだから。体に加えられる方向も一目見ただけで全部お見通しだったんだ」
「今までの『ブラストロード』の相殺が『体の表面を抑えつける風』であったのに対して『アイス・クロノグラフ』は『体を停止させる風』。人間の呼吸器官から介入して、ウイルスのように全身に浸透すれば、動きは止まる。その工程を知るには、人間の体の仕組みをみるほうが早い」
「だから、今までの魔術師稼業で知った肉体強化で、『ブラストロード』を底上げしたってわけさ。自分が強くなったわけじゃないんだ。ただ、目が良くなっただけなんだ!」
ロバートは右手を適当に振った。
「相殺に加える力に『ブラストロード』を加えてやれば、内部の空間にも方向が与えられる。完全な鉛玉じゃ無い限り、方向の相殺から方向転換できるよ。ロケット弾にだって空洞はある。空気があるという認識を透視できれば僕の力が有効になるからね」
「それで早く脱出してくれればいいのに」
面倒そうに答えるメリーの顔は、勝利したというのに、全く嬉しそうではない。
「お陰で、お腹が減ったわ」
いかに死ななくとも、嗜好品一つくらい嗜んでも許されるところだろう……メリーが欲するものに、ロバートは怖気が立った。
「ま、また、処女の血を吸いたいとか……」
「――そうね。それもいいかな」
恐ろしいことを一言、何も感じていない風に言うものだから、ロバートも、本気なのだろうか? と、本気で疑ってしまう。
「でも、男の肉も美味しいのよ。ロバート」
「へぇ……そうかい……」
背筋が凍るような戦慄。メリーの表情はいつものように無表情。銀色の髪が無風の街の中で揺れて……戦慄が本物になる。
「どう? いっその事、食べられてみない……?」
「……冗談じゃないって! そんな話しないでくれよ!」
がっかりしたように、風が揺らいで消えた。
「そう……でも、覚えておくといいわ。あなたの堕神点は簡単に壊せる。私の力は、あなたの……『天界のハストゥール』と相性がいい。私がロバートを喰らえば、同時に世界を救えるのだから……」
一瞬だけ、メリーの表情を濁した気がした。ロバートはそれを見逃さなかった。
――一体何を考えているんだろう? ロバートはメリーの気持ちを知り得ることができそうもなかった。こう見えても、メリーのほうが……と女性にそう言い切れるほどロバート、男は廃れていないようだ。
「――さて、一件落着した所で、僕の力を試してみよう」
体の中で活性化する力。魔力という不思議な力が、瞳に宿る。同時に目の中に映る世界に変化が訪れる。
「うむ。見える、見えるぞ」
掌に走る血管一つ一つの方向が見える。手を見通した先にはコンクリート。さらに下には大地があった。コンクリートの防壁のお陰か、植物を育てるのに適した土が残っていそうだ。さらに下、地面の質が変わっていく、さらに、さらに……
「楽しい? ロバート」
ロバートがメリーのほうへ目配せした。その瞬間、広がるのは彼女の着るゴシックロリータの更に奥……。
ロバートは頷いた。
「ああ、楽しいよ。実に素晴らしい力だ」
「仕組みを教えて欲しい。私の知らない魔術。単なる肉体強化では眼力を上げることはできない――正しい訓練が必要」
「……それはいけないよ。知らない世界は平和であるかもしれないんだから……アダムとイブのようにね……」
裸身を恥じる心は、世界を二分したと考えるのはロバート。
「――望遠鏡を覗く子供がいれば、それを押しのけても見たいと思うもの……」
メリーの無垢な瞳が純粋にロバートの能力に嫉妬していることと、視界に広がる華奢な姿と相まって、少女趣味にないロバートの心を疼かせた。ねだる少女に裸で抱き合わされた男の気持ちなど、ただ一つしか無いじゃないか。
少女の顔に迫力が加わった――気がした。
「……ロバートには娘が三人いるという」
「――――」
ぎくりとした。
「あなたは、娘に知恵を授けるという気持ちにはならないの? 自分の知識をひけらかし、自慢するという気持ちはないの? 魔術師にありがちなコレクター思考ではないと」
「――ああ、僕にはとうと、その気持ちはないんだ……」
ロバートはそっと目に宿した能力を解いた。何もかも読まれているようだ。これ以上能力を使っていたらロバートの奥の奥まで入り込んで貶されそうだと判断した。
まるで、メリーは心を透視しているようだ……ロバートは想像して、再び体を震わせた。
そして、メリーの単調な言葉。話の継ぎと同じままの口調で、
「……覚えておくといいわ。ロバート。あなたの腕のことを」
「――あっ! ……あ、あ、ああ……」
そういえば。とロバートは思い出す。
「あなたの考えていることはお見通し。それに、あなたが私にいくら欲情を催した所で、私はなんとも思わないわ……でも、次見たら、その目を潰してあげる」
それこそ、見ただけで発狂死するような姿になって、なのだろうなあ……とロバートは震えた。下手なことは考えるものじゃない。お姫様の肌を見ることは、下僕には許されない事なのだから……。
「ロバート。いつもの素敵な微笑みがひきつっているわ」
「――そんなことはないよ? うん」
「いいえ―――ロバートは今にも死にそうな顔をしている。ねえ、あなた、やっぱり此処で食べられてみない? 痛くしながら、食べてあげる――っ!」
血の気が段々引いていくのが分かる。
「い、いやあ、やめておくよ。きっとそれはとびきり痛い……死んでしまうよ!」
涙を浮かべながら弁解するロバートに、メリーは笑った。
「――馬鹿ね。嘘よ」
日本に来て、初めての笑顔だった。
いつも彼女の顔には胸をときめかせてばかりだった。
そして、今回の不意打ちも、ロバートの素敵な笑顔が負けてしまうくらい、可愛らしいものだったのだから、万年笑顔のロバートも呆然である。
「手駒のロバートが居なくなったら、私は帰る」
そしてロバートはメリーの手足として今日も動くのであった。
羊飼いは羊を連れて歩く。別段不思議なことじゃない。
この荒廃した日本でも、二人の主従関係は健在だったようだ。




