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満月の輝く夜に  作者: 剛田豪
第一章 月不見月
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平井望誕生

 平井ひらい静香しずかの生家、五峯いつみね家はかつて東北地方で隆盛を極めていた。

 狼と交わった者を祖に持ち、数世代に一人現れる『先祖返り』を寵愛した一族は、祖のみたまより庇護を受けたのだった。

 

 しかし、江戸時代後期になって悲劇は起こった。元号が天保の頃の話である。

 五峯の本家へ嫁いだ若い娘が『先祖返り』をその体に宿し、人ではない獣そのもの姿の赤ん坊を産み落とした。

 当主をはじめ一族の者は皆一様に『先祖返り』の誕生を喜び歓迎した。その子を産んだ母親を除いて。

「五峯の家に入って間もない若い嫁は、事態を把握できなかったのでしょう。彼女は自分が生しえた事を大業とは思わず、罪のように感じてしまったようでした」

 庄屋の本家の嫁という重責を背負わされた事も相まってか、若い嫁は周囲とは対照的に異形の者を生んだ自分を責めた。

 だが、生まれてきたこの愛おしい子に罪は無い。罪があるとすればそれは自分にあるのであろう、そう考えた。

 そして、若き母親は生まれて間もないわが子を抱え川へ身を投げ自らの命を絶ってしまった。


「その子の将来、行く末を悲観したのでしょうか?それとも、五峯の家に対しての贖罪のつもりだったのか・・・今となっては、もう・・・」

 その悲劇の後、五峯の家は凋落の一途を辿った。

 一族は跡継ぎに恵まれなくなり、生業にも精彩を欠いた。『先祖の怨念』『狼の呪い』などと囁かれ五峯家に近寄る者はいなくなった。

 次々と家系が途絶えてゆく中、残存する分家の一つが先祖の霊を鎮魂するために神社を建立した。そのおかげなのか、その分家には子供が産まれ、その後も細々とではあるがその系譜を紡ぐことができた。そして、その子孫が平井静香、旧姓五峯静香。平井望の母親である。


「悲しいお話ね・・・」

 静香の話に陽子が寂しげに口を開いた。

「愛していたのね・・・その子を。死んでしまいたいくらいに・・・」

 自らの話を止め望の母親は陽子を見つめた。

 静香の視線に気付き彼女の方を向いてタロの母親は言葉を続けた。

「でも、その母親のした事を肯定はできないわ、私ならそんな事はしない。絶対に」

 無言のまま静香は陽子にうなずいた。

「・・・でも、なんだかわかる気がする・・・彼女の気持ち・・・」遠くを見るような眼差しで呟くようにそう言うと陽子はベッドに横たわる望を見た。「それで、この子がその『先祖返り』なわけね?」

「はい・・・」人間の姿に戻っている愛娘の顔を見つめながら静香は答えた。

「私は・・・その五峯の血を継ぐ最後の一人でした。兄弟も無く、父から受け継いだ血統を私の代で止絶やす事も考えました」



 二十年程前、可憐で美しい少女五峯いつみね静香しずか平井ひらいひとしという青年と出逢い恋に堕ちた。

 平井は平家の血を継ぐ古い家柄で和はその本家の長男だったが、その飾らない気さくな振る舞いや強く優しい男らしさに静香は惹かれていた。

 二人の日々を重ねる毎に互いの想いは深まっていった。

 和からの求婚は静香をとても幸せな気持ちにさせてくれたが、五峯の家の因縁や平井家の家柄を考えると素直に首を立てに振る事ができなかった。

 二度目のプロポーズを断る時、静香は五峯家の呪われた歴史について詳しく話したが、和はそれを真面目な顔で聞いた後、

「もし、そんな呪いがあるんなら、全部俺が引き受けてやるさ!」

 と言って静香に笑って見せた。

 それでもまだ求婚に応ずる事に躊躇する静香を和は無理矢理平井の両親に引き合わせた。

 五峯家の心配通りに、平井家は二人の結婚に猛反対し、静香もそして彼女の両親もそれを受け入れざるを得なかった。

 しかし、和は納得できなかった。その物事に囚われない豪快な性格は彼自身を平井家から裸一貫で飛び出させる事となり、晴れて自由の身となった勘当息子はあらためて静香に求婚した。

 五度目のプロポーズを泣きながら受け入れた五峯の娘は、これまでの人生で最高の幸福を噛み締めた。

 そして幸せの絶頂の中、程なく二人は子供を授かった。『先祖返り』だった。


 おぎゃぁと泣くしわくちゃの獣の赤ん坊を見て、平井和は涙を流しながら喜んだ。

「かわいいなぁ!これが俺の子か!」

 普通の赤ん坊とは違う姿のわが子を危なっかしく抱く夫を気遣う妻に、和はくしゃくしゃの笑顔で答えた。

「赤ん坊なんて、みんなこんな感じだろう。サルみたいだって言うじゃないか!

いや、この子は特別だ!特別にかわいい!ほら、世界一かわいいじゃないか!」

 更なる幸福の到来に和と静香、そして静香の両親は暖かい涙を惜しむことなく流した。


「一姫二太郎。一人目はやっぱり女の子だなぁ」

 結婚してすぐの頃、和は静香にその夢を語った。

「一人目の女の子は『希』と書いて『のぞみ』と読ませる。弟は『のぞむ』、『望』という字だ」

 父親の『希望きぼう』をよそに最初に生まれた子供は男の子だった。『希=のぞむ』と名付けた。

 『先祖返り』の息子のおかげか、和が新たに立ち上げた事業も順調で、静香は夫と息子と共に至福の二年間を過す。そして、第二子を授かった事を知り更なる幸せを怖くさえ思った。

 十月十日とつきとおかを経て生まれてきた女の子は、兄と同じ『先祖返り』だった。

「かわいい!!希の十倍、いや百倍かわいいぞ!」

 父の傍らでふてくされる三歳の長男をよそに号泣しながら喜ぶ和。

「でかしたぞ!静香。女だ。女の子だ!」

 大喜びの夫に微笑んでうなずいた後、泣きべそをかく希の頭を優しくなでて母は言った。

「今日からあなたはお兄さんよ。妹をよろしくね・・・」



「兄妹二人とも祖の血を濃く受け継いだのね・・・」

「数世代に一人と聞いていたので、正直驚きましたが」

「でも、嬉しかった。そうでしょ?」

「はい、たとえこの子がどんな姿で生まれようとも気持ちは変わりません」

「わかるわ。特に私はこの子を産んでるし」

 陽子はそう言って二人の話を傍らで黙って聞くタロの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「俺が見たアレは・・・」

 乱された髪型も気にせずタロはボソッと呟いた。

「そうね、この子が新宿で見たという狼に変身した男、もしかしたら、その、希さんなのかしら」

 その男が絶命したことを陽子は知らなかった。タロは意図せず話しそびれていた事を後ろめたく思い、静香が出す答えを聞く事に躊躇を覚えた。

「・・・わかりませんが、狼と化したと言うのなら・・・」

「ちがう・・・」

 母親の話を遮るように言った後、望はゆっくりと目を開けた。

 新宿の神社で気を失ってから六時間ほどが経過していた。


 黒洲親子が自分を保護し、ここへ連れてきてくれた事。母の静香を呼び寄せてくれた事など知る由も無いはずなのだが、夢現ゆめうつつに三人の会話を聞いていたのか、自身が置かれている状況をおおまか把握しているようであった。

「望・・・」

 泣きそうな顔で娘の手を握る母の手を強く握り返して望は言った。

「ゴメンね・・・ママ・・・心配かけて・・・」

 母娘が抱き合う光景を、黒洲家の二人は親も子も安堵の優しい顔で見守っていた。そして、陽子が目配せをするとタロはソファーから静かに立ち上がった。

 ゲストルームを出て行こうとするタロを望は呼び止めた。

「タロ・・・」

 陽子の長男は立ち止まり無言のままベッドの方へ振り向いた。

「・・・ありがとう、タロ。本当に・・・」

 涼しげではあるが優しそうな笑顔を言葉の代わりにしてタロは答えた。竜造寺瞳子の名も今は口にすまいとほんの少し表情を翳らせて。

「・・・それから、アレは・・・アイツは兄貴じゃない・・・」

 悪夢を思い出す少女の言葉を止めるように、タロは一言だけ返した。

「そうか・・・」

 再び流れる深刻な空気を払拭しようと今度はタロの母親が言った。

「話の続きは、また明日にしましょう」

「あの・・・タロの・・・お母さん?ですよね・・・」

 快活な笑顔の長い黒髪の女に少女はベッドの中から上体を起こしながら訊いた。

「そっ、黒洲陽子。タロの母親です。よろしくね!」

 そう自己紹介すると陽子は望の容体を気遣った。

「具合はどう?」

「大丈夫です」

「そう、それは結構」

 黒洲宅に呼び寄せた医師の診察結果

――外傷もなく意識さえ戻れば問題はない――を望に話し、陽子は続けた。

「もし何かあったらすぐに呼んで。別の部屋にお医者さんを待機させているから」

「そんな・・・ホントにもう大丈夫ですから」

「そう、遠慮はしないでね」

 陽子は望の頭を軽く撫で「もう遅いから寝ましょ」と微笑んだ。

「あ、それとも目が覚めてお腹空いちゃった?何か欲しい?そうそう、静香さんには今ナイトウェアを用意させるわ。お洋服のままじゃゆっくり休めないものね」

 いつもの調子で振る舞う陽子に望が神妙な面持ちで話しかけた。

「あの、ご迷惑をおかけしてすみませんでした・・・それから、本当にありがとうございます」

「あら、いまどきの女子高生にしては礼儀正しいのね。でも、あまり無茶をして親に心配掛けちゃダメよ」

「はい・・・スミマセン・・・」

 申し訳なさそうに返事をする娘と一緒に静香も謝辞を述べた。


「さて、それじゃあ、おやすみなさい」

 ゲストルームを出てゆく陽子の後を着いて行くようにタロは部屋を出た。

 ドアを閉めようとするタロに望は言った。

「おやすみ、タロ・・・」

「おやすみ・・・」

 タロは望を見つめた後、静香のほうへ不器用に会釈してドアを閉めた。





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