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第6話 ご指導、よろしくお願いします!

 夕方。

 2人はジャドソン・ベーカリーを訪ねた。


 店主と若い職人が、疲れた顔をしていた。

 悪い予感がする。

 ハナは、おそるおそる尋ねた。


「……どうですか?」


 店主が、なんともいえない表情で、答えた。


「……今日、4人、応募が来たよ」

「4人!」

「うん。4人とも、朝3時からの仕事だって分かって応募してきた」

「……!」


 ハナは、胸がギュッとなった。


「1人は、パン屋で働いたことがある男。1人は、朝の仕事を探していた若いの。それから、女の人が、2人」


 若い職人が腕を組んだ。


「女の人が応募して来るとは思わなかったなあ」

「なあ。意外だった」

「そうなんですか?」

「うちは、ずっと男ばかり雇っていたから」


 イソラが、静かに尋ねた。


「採用は?」

「うん。みんないい人だったけど、この人にしよう、と思っているのはある」


 ハナは、息を呑んだ。


「……採用、できそうなんですか?」

「ああ。近所に住んでる女の人でさ。子どもが学校に行く前に、朝だけ働きたいんだって」

「……!」

「力仕事もあるけど大丈夫か、って聞いたら、家で薪や水も運んでいるから、平気です、って」


 子どものために、仕事を探していた母親。

 ふと、台所から顔を出す、ハナの母の顔が浮かんだ。


 店主は、少し照れくさそうに笑った。


「明日、採用を伝えるよ」


 ハナは、言葉が出なかった。


 読んでくれた人がいた。

 朝3時からの仕事だと分かって、応募した人がいた。

 そして、その人が、採用される。

 自分たちが作った、小さな求人広告で。


「……よかった」


 ハナは、小さくつぶやいた。


「本当に、よかったです……!」


 店主と職人は、ハナをまっすぐに見た。


「お嬢さんに頼んでよかったよ。ありがとうよ」


 イソラは、静かに頭を下げた。


「お役に立てて、何よりです」


 帰り道。ハナは、ずっと嬉しそうだった。


「先輩!」

「はい」

「採用できました!」

「はい」

「私たちの広告で!」

「はい」

「すごいです!」


 もう3回、同じことを言っていた。

 何回言っても足りない。


 イソラは、少しだけ笑った。


「そうですね」


 ハナは、おんぼろの鞄を抱きしめながら、言った。


「先輩。私――次は、一人で原稿を書いてみたいです」

「そうですか」

「……まだ、下手ですけど」

「最初から上手な人はいません」

「また、教えていただけますか?」


 足を止めて、イソラはしばらく考えた。

 そして、口を開いた。


「……私は」


 ハナは、初めてイソラに会った時のことを思い出した。


「人に教えるのが、得意ではありません」

「そんなこと」

「でも、一緒に考えることなら、できます」


 イソラは、眼鏡の奥で、少しだけ遠くを見た。


「……私の先輩も、私にそう言ってくれましたから」


 ハナの目が輝いた。


「はい!」


     ◇


 翌日の朝。

 社主が、2人を呼んだ。


「飛び込みから獲得したパン屋の件、聞いたぞ! 採用できたそうじゃないか!」

「はい!」

「素晴らしい!」


 社主は、ハナの手を握り、イソラの手を握った。


 イソラが、改まった顔で言った。


「社主。私の既存のお客様を、回っていただいたそうで。ありがとうございました」

「うむ!」


 社主は胸を張った。


「3軒行って、3軒とも、『イソラさんは?』と聞かれた!」

「……」

「歩合は君についている! 安心したまえ!」


 イソラは、眼鏡の位置を直した。

 緩んだ口元を隠すように。


「イソラ、どうだ! 新人教育も、悪くないだろう!」


 イソラは、少し考えてから、言った。


「……まだ、なんとも申し上げられません」


 ハナは、イソラの顔を見た。


「研修期間は、始まったばかりですから」

「うむ!」

「……感想は、3ヵ月後に」


 社主は、何も言えず、ただ、太い眉を上下させるだけだった。

 ハナは笑いそうになるのをこらえて、自分の席に戻った。


 事務員が、小さな包みを持ってきた。


「ハナさん。頼まれていたものが届きましたよ」

「……私に?」


 包みを開けると、中には、小さな紙が束になって入っていた。

 1枚、取り出す。


 帝都求人広告社

 求人広告営業員

 ハンナリン=パンネケート


 その下に、営業所の住所。


「……名刺」


 ハナは、その文字を、しばらく見つめた。


 自分の名前が、印刷されている。

 会社の名前と一緒に。


 男爵令嬢ではない。

 求人広告営業員。

 ハンナリン=パンネケート。


 100枚の案内状に、自分の名前を書いた日のことを思い出した。


 飛び込みをして、断られた店。

 追い返された店。

 パン屋の店主。

 走って届けた校正刷り。

 日曜版の広告。

 顔も知らないけど、採用された人。


 ハナは、顔を上げた。


「イソラ先輩!」

「はい」


 ハナは、自分の名刺を、ずい、と差し出した。


「これからも、ご指導、よろしくお願いします!」


 イソラは、それを受け取った。


「……こちらこそ」


 そして、静かに付け加えた。


「外に出る前に、名刺交換の練習をしましょう」

「……はい!」


 社主が、また大声を出した。


「さあ、今日はもう火曜日だ! 今週も完全満載を目指すぞ!」

「はいっ!」


 ハナとイソラ。

 2人の営業は、まだ始まったばかりだ。


 帝都には、数えきれないほどの店と事務所と工場がある。

 働き手を探している人がいる。

 仕事を探している人がいる。

 そして、その間をつなぐ、小さな新聞広告がある。


 没落令嬢ハンナリン=パンネケートは、今日も行く。

 求人広告を売るために。


 自分の名前が印刷された、新しい名刺を持って。




     ――終

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

ハナとイソラの物語の続きは、いつか何かの形で書くと思います。


いいね、ブックマーク、評価などをいただけましたら、大変励みになります。

ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
わぁっ! ジャドソンベーカリー、4人も応募が!! しかも採用ほぼ決定。ハナちゃんが一生懸命頑張ったからですね♪ 求人広告って、ただ当たり前にあるように思っていたものだったのですが、それを作るための物…
一気に拝読しました! 求人広告の営業という仕事のリアルが溢れていましたね!飛び込み営業に、断られることもあれば、広告を通して実際に採用が決まることもある。ハナが一つずつ経験を積んでいく姿に、この時代…
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