エピローグ:緑のオアシスに咲く花(最終話)
真昼の力強い陽光の中、よく熟成された腐葉土の甘い匂いと、微かな風が鼻腔をくすぐった。
世界を揺るがした、あの劇的な生配信がプツンと途絶えてから、数年の月日が流れた。
かつて果てしない赤茶けた大地が広がっていた一角には、今、信じられないほど瑞々しい緑の絨毯が広がっている。
「――よし。本当にいい土になった。これなら、どんな野菜だって最高に美味しく育つぞ」
俺は泥まみれのスコップを傍らに突き立て、畝の土を愛おしそうに撫でた。
無闇に土を掘り返さず、自然のサイクルに任せる不耕起の原則を守り抜いた土壌。
目視による表面のチェックだけでなく、指先に伝わる適度な水分量、根を張る微生物たちの豊かな息遣いが、確かな手応えとして伝わってくる。
完璧な仕上がりに俺が深く頷き、立ち上がろうとしたその時だった。
「ちょっとカイ、いつまで土と遊んでるのよ。お昼ご飯できたわよ」
心地よい風に揺れる椰子の葉の合間。
新しく開拓された美しいオアシスのほとりに建てた、手作りの我が家のテラスから、呆れたような、だけどどこか嬉しそうな声が響いた。
振り返ると、そこにはお馴染みの気の強そうな笑顔を浮かべたカオルが、エプロン姿で立っていた。
地球での富と名声を捨て、自分の頭と体でこの星を耕し尽くすことを選んだ、俺の最高の相棒。
……いや、今は、俺の最愛の妻だ。
「今行く。今日のメニューは?」
「あんたが品種改良した、あの高糖度のトマトを使ったパスタよ。自信作なんだから、残さず食べなさいよね」
カオルがフフッと笑い、俺の泥だらけの手をハンカチで乱暴に、だけど優しく拭いてくれる。
元の世界での退屈な仕事を捨て、この星のインフラ顧問として、毎日楽しそうにシステムを動かす彼女の表情には、満ち足りた自信が溢れていた。
これで、すべてが丸く収まった。
誰もがそう確信するような、穏やかで平和な時間が流れていた。
――だが、そんな平穏は、次の瞬間にあっけなく賑やかさへと上書きされる。
「ちょっとカオル、パスタの量が少なすぎじゃない? 午後からの農区の巡回、私も一緒に行くんだから、しっかり食べてもらわないとカイのスタミナが切れちゃうわ!」
キッチンの奥から、お盆に乗ったスープを運びながら、もう一人、エプロンを身に纏った女性が姿を現した。
琥珀色の瞳を爛々と輝かせ、豊かな髪を揺らす彼女は、ルタ村の元環境監視員――かつて中央から「エージェント」と呼ばれていた本来の誇りを取り戻した、レイラだ。
「レイラ、あんた甘やかしすぎよ。カイは放っておくとすぐ限界まで食べちゃうんだから、これくらいでちょうどいいの」
さらに、テラスのドアを勢いよく開けて、麦わら帽子を被った青い瞳の美少女が、両手に採れたての大きなカボチャを抱えて入ってきた。ツンデレ全開の、セリアだ。
「も、文句言うなら、私が一生懸命育てたこの特大カボチャ、カイには一口も食べさせてあげないんだからねっ! 別に、カイに『美味しい』って言ってほしくて朝早くから収穫してきたわけじゃないんだから!」
俺はセリアが抱えるカボチャを横目で見た。
ずっしりとした重量感、傷一つなく均一に張った緑の皮。
ロスを一切出さずにここまで完璧な品質に育て上げるのは、並大抵の温度管理と水やりじゃ不可能だ。
俺の厳しい品質チェックの基準を、優に超える見事な出来栄えだった。
「はいはい、セリアのツンデレはもうお腹いっぱい。さあ、冷めないうちにみんなで食べましょ」
カオルが慣れた手つきでセリアのカボチャを受け取り、レイラと並んでテーブルに食器を並べていく。
その時、俺の左腕の端末のスピーカーから、ピピッ、と無機質な電子音が響いた。
『音声出力モード起動。マスター・カイ、周囲の女性3名の心拍数および血圧が急激に上昇しています。
原因は、マスターの食事量に対する主導権争い、および嫉妬に伴う軽度の興奮状態と推測されます。消化器官への悪影響を防ぐため、速やかな戦況の調停を推奨します』
3人の動きがピタリと止まった。
全員の冷ややかな視線が、俺の左腕の端末へと集中する。
「ちょっと、フロ……! あんた、スピーカーで余計な分析流してんじゃないわよ!」
カオルが顔を真っ赤にして端末を指差す。
「そ、そうよ! 誰が嫉妬なんてしてるっていうのよ、このポンコツAI!」
セリアがカボチャの種をスプーンで取りながら、猛烈に反論する。
「……フロ。後でメインサーバーのログ、全部消去しておくからね」
レイラが笑顔のまま、恐ろしい静けさで端末を見つめていた。
『――エラー。女性陣からの精神的圧迫により、一時的にシステムをスリープします。マスター、ご武運を』
プツン、と、相棒は都合よく気配を消した。
3人の美女と、いざという時にまったく役に立たない一台の相棒に囲まれ、賑やかすぎるほどの愛に満ちた我が家の食卓。
俺は、お互いに一歩も譲らない妻たちの仲睦まじい(?)やり取りを見つめながら、少しだけ遠い目をしてハーブティーを啜った。
「……ほんと、何度思い出しても呆れるわ」
カオルがパスタを口に運びながら、ジト目で俺を睨みつけてくる。
「数年前、私たち三人をまとめて抱え込む時にあんたが使った言い訳。『マークが言うには、この星の古い言い伝えに、緑化の長は複数の女性を娶る義務が残ってるらしい』だなんて。あんた、土地だけじゃなくてそんな都合のいい文化にまで、ちゃっかり適応しちゃってさ」
「い、いや、あれは現地の文化への最大のリスペクトというか……断る方が無礼にあたるとマークが言っていたし……」
俺が数年来の苦しい言い訳を口にしてタジタジになっていると、レイラが嬉そうに俺の腕に抱きつき、セリアが顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
そう。ここは、一夫多妻の文化が色濃く残る、どこかの星の話。
科学を盲信して一度は死にかけた世界を、生身の人間が、自分たちの頭と体で、泥にまみれて少しずつ変えていく。
その困難に立ち向かう勇気さえあれば、世界も、あるいは未来も、いくらだって新しく耕せる。
「さて、午後からも気合を入れていくか!」
俺は、呆れるカオル、照れるセリア、そして嬉しそうなレイラに向かって、不敵にニッと笑ってみせると、相棒である不滅のスコップを、突き抜けるような青空に向かって高く、高く掲げた。
(完)
最後までお読みくださりありがとうございます。
この話は、アフリカへ行った経験が元になっています。
その国は、途上国と呼ばれていました。
誰が決めたのか、疑問でした。
そこで援助に来ていた人たちに会いました。
彼らはこの国を良くしたいと言いました。
その国の人たちは
そんなこと求めていたのでしょうか
なんか一方通行な感じがしました。
主人公の名前は、カイとつけました。
カイの響きには、いろんな言葉があります。
解、快、会、界、改……
私にとっては回でした。
循環
与えるのではなく、共に考え、行動して、継なぐこと。
それが「良くする」ということなのではないかと思っています。
この話はここで終わりますが、
ここに登場した人たちの答え探しの旅は、もう少し続きます。
カオルの軌跡を描いた『カオル編』
マークの2年間を描いた『マーク編』を並行公開中です。
どうか彼らもお付き合いいただければ幸いです。




