精眼
静寂が、ようやくほどけた。
緑の炎が消え去り、焼け焦げた空気だけがその場に残る。
先ほどまで暴れていたアルファザードの姿は、もうどこにもなかった。
残されていたのは、巨大なクレーターと、炭のように崩れた黒い残骸だけ。
数秒前までそこにSS級がいたとは思えないほど、あっけない終わりだった。
「……っ、うおおおおお!!」
最初に声を上げたのはイナミだった。
次の瞬間、駆け出す。
「ソラ!!」
「お前、マジかよ!!」
ドミニクもすぐ後ろから走ってくる。
二人とも、顔には隠しきれない高揚が浮かんでいた。
アルファザードを倒した。
それも、自分たちは生き残った。
その事実がようやく実感となって押し寄せ、全身に熱が走る。
「勝った……!」
「ほんとに倒しやがった……!」
イナミが勢いよくソラの肩を掴む。
ドミニクも息を吐きながら、安堵したように口元を緩めた。
アイラはその場にへたり込み、胸を押さえたまま大きく息を吐く。
「よ、よかったぁぁ……ほんとに死ぬかと思った……」
マナスもその場で肩の力を抜き、額の汗を拭った。
「……助かった」
本心からの声だった。
一歩間違えば、全滅していた。
誰もがそれを理解していた。
だからこそ、生きている実感が重かった。
その中で。
レアだけは、少し離れた場所で立ち尽くしていた。
視線は、ずっとソラに向いたまま。
さっきの光景が、頭から離れない。
降ってきた背中。
振り向いた顔。
あの一言。
『大丈夫』
そのたった一言が、まだ胸の奥に残っていた。
鼓動が、うるさい。
さっきからずっと、胸の奥が落ち着かない。
締め付けられるような感覚。
苦しいわけじゃない。
けれど、熱い。
ソラを見るたび、胸の奥がきゅっと縮む。
何なのか、分からない。
ただ。
もう一度ソラを見た瞬間、頬が熱くなるのを感じた。
「……」
レアは無言のまま、そっと視線を逸らした。
だが、その耳先はほんのり赤かった。
一方で、イリーナは皆とは違っていた。
喜びよりも先に、驚愕が勝っていた。
「……ほんとに、何者よあんた」
ぽつりと漏らす。
その視線は、ソラに釘付けだった。
最終種級。
魔法の頂点。
それは“誰でも扱える強力な魔法”ではない。
選ばれた術者が、膨大な魔力、技量、制御、すべてを満たした上でようやく届く領域。
精霊であるイリーナでさえ、気軽に使える代物ではない。
それを。
目の前の少年は、あまりにも自然に放った。
しかも、あの規模。
あの威力。
あの完成度。
イリーナの背に、ぞくりと鳥肌が走る。
(底が見えない……)
ソラという存在の底知れなさに、初めて本気で寒気を覚えた。
だが、驚くべきことはそれだけではなかった。
⸻
その後。
一行は洞窟の奥へと進んだ。
アルファザードがいた先。
そこが、おそらく最深部。
そう思われた空間に辿り着く。
だが――そこには何もなかった。
広い空洞。
静かな空気。
主を失った空間だけが、ぽっかりと広がっている。
「……何もないな」
ドミニクが辺りを見回す。
「多分、さっきのアルファザードがここの主だったんだろ」
マナスが言う。
ソラはイリーナを見る。
「どうだ?」
イリーナはふわりと浮かび上がり、周囲を見回した。
空気。
魔力の流れ。
密閉性。
地脈。
そのすべてを確認して――
数秒後。
にこっと笑った。
「うん、完璧」
親指を立てる。
「ここ、最高」
その一言で、空気が一気に緩んだ。
「よっしゃ!」
「やったな!」
イナミが真っ先に声を上げる。
ドミニクも小さく拳を握る。
アイラも「やったぁ!」と笑い、皆で自然とハイタッチが交わされた。
その様子を見て、イリーナはくすっと笑う。
そして、ふわりと前へ出た。
「じゃ、作るわね」
片手を空へかざす。
その口から、静かな詠唱が紡がれる。
次の瞬間。
イリーナの手元から光の粒が溢れ出した。
無数の光。
小さな星のような粒が、空間全体へと広がっていく。
暗かった洞窟が、一瞬で明るさに包まれる。
光が舞う。
漂う。
満ちる。
そして――
空間の中心に、建造物が現れた。
白く、神秘的な神殿。
ソラが最初に出会った、あの精霊の神殿と同じもの。
透き通る白壁。
淡く光る柱。
古く、それでいて神聖な空気を纏う建造物が、洞窟の中心に生成されていく。
誰もが、息を呑んだ。
「……すご」
アイラが呟く。
「これが……精霊の巣窟」
マナスの目も、研究者として純粋な驚きに満ちていた。
神殿が完成する。
静かに光が落ち着いた時。
イリーナはソラの前へ降り立った。
「ソラ」
そう呼んで、手をかざす。
「光の精霊の名の下に――」
空気が、張る。
「精霊の試練の攻略完了を、ここに誓う」
その瞬間。
ソラの足元に魔法陣が展開された。
黄金の光が広がる。
同時に、ソラの視界の端にずっと表示されていた“試練”のタブが、音もなく消えていく。
完全消失。
試練の終了。
イリーナはぱっといつもの笑顔に戻った。
「お疲れ様!」
両手をぱんっと合わせる。
「これでクリアね!」
ソラは一息ついて、ふと思い出す。
「……そういえば」
「報酬があるって言ってたな」
イリーナはにやりと笑った。
「あ、覚えてた?」
そして、ソラの目の前にふわりと浮かぶ。
「じゃあ――私の目、見て」
ソラが目を合わせる。
その瞬間。
イリーナの瞳が、金色に光った。
同時に、ソラの右目が熱を帯びる。
「っ――」
視界が、変わる。
色彩が微かに変質する。
輪郭が鮮明になる。
そして。
見えた。
「……は?」
ソラが目を見開く。
イナミの頭上。
ドミニクの頭上。
アイラ、マナス、レア。
それだけではない。
周囲にいる小さな精霊。
洞窟の虫。
微細な生命。
目に映る“生きているもの”すべての頭上に、数字が浮かんでいた。
「……なんだこれ」
イリーナがにこりと笑う。
「それが“精霊眼”」
「精霊と同じように、“影響値”を視る目よ」
ソラは息を呑む。
「……影響値を?」
「そう」
イリーナは頷く。
「本来、人間には絶対に見えないもの」
「でもこれは、私が与えた特別報酬」
「多分、影響値を視認できる人類は、今この世界であんただけ」
その言葉に、ソラの目がわずかに細くなる。
イリーナは指を一本立てた。
「だから、これは絶対に他言しないこと」
「バレたら面倒どころじゃ済まないわ」
ソラは静かに頷いた。
理解した。
これは、切り札だ。
そしてイリーナは、当然のように続ける。
「あと、これから私ずっとついてくから」
「……は?」
「精霊眼って、元になる精霊が近くにいないと機能しないの」
「つまり私が必要ってこと。よろしく」
「……勝手だな」
「今さら?」
イリーナはけろっと笑った。
結局、皆には。
精霊の試練の報酬は“イリーナが仲間になったこと”として説明された。
影響値のことも、精霊眼のことも伏せたまま。
そして、一行は洞窟を後にする。
歩き出す皆の背中を、イリーナは少し後ろから見つめていた。
その瞳には、精霊眼。
頭上に浮かぶ数字を、一人ずつ見る。
イナミ――1607
ドミニク――2304
アイラ――471
マナス――5982
ばらばらだ。
決して高くはない。
だが、それぞれに意味がある数値。
そして――
最後に、ソラを見る。
その瞬間。
イリーナの背筋に、冷たいものが走った。
初対面の時から見えていた。
見間違いじゃないかと、何度も疑った。
けれど、違った。
ソラの頭上に浮かぶ数値。
それは――
999,999,999,928
「――っ」
イリーナの頬を、冷や汗が伝う。
兆に届く寸前。
世界を書き換える領域。
神話級。
精霊ですら、滅多に見ることのない数値。
イリーナは、息を呑んだ。
(……何よ、あんた)
その背中を見つめながら。
精霊は初めて、本物の戦慄を覚えていた。




