さらばだ、神殺しよ
夢を見た。
それは最悪の結末。最悪の未来を示す夢。大魔王にして真なる神が復活する。
大嵐の吹き荒れる中、呆然と立ち尽くすルビ。その目の前には石英の姿があった。
血が滴る。石英の胸元から、次々と血が流れる。胸の中心には一本の黒い触手が。
血の様に真っ赤な瞳の、純白の魔王。その影から伸びる黒い触手が、石英を貫いているのだ。
石英の顔には生気が感じられない。既に息絶えている。
もう、蘇る事は無い。その魔王に殺された者は、存在の根源から破壊される。石英は死んだのだ。
石英は死んだ。襲いくる触手からルビを庇い、胸を貫かれた。石英の身体が、光の粒子となって徐々に崩れていく。命が、消えていく。
待って!!!
必死に叫び、手を伸ばすが、その手は虚しく空を切る。石英は光の粒子となって消滅した。
・・・・・・・・・
「い・・・や・・・」
「ルビ?ルビ!」
「嫌・・・だよ、石英」
「ルビ!!」
「嫌あっ!!」
其処で、ルビは目を覚ました。荒い息を整え、周りを見る。其処は、もう見慣れた寝室だった。
隣には石英の姿が。別段、変わった様子は無い。
「・・・夢?」
「大丈夫か?ルビ」
石英が心配そうに、ルビの顔を覗き込む。その手がルビの頬に触れる。
その温もりに、ルビは安堵した。
「石英ぃっ・・・」
ルビは堪え切れず、石英の胸元に縋り付き泣いた。その姿に石英は困惑するが、やがて苦笑して優しく抱き締めた。
どんな夢を見たのか、石英には解らない。・・・覗こうと思えば視る事は出来るが、それはあまりにも無粋だろう。だから、石英にはルビが怖い夢を見たであろうとしか知らない。
知るつもりも無い。
しかし、ルビが怖い思いをした時に胸を貸すくらいは出来るだろう。だから、石英は優しくルビを抱き締めて宥めた。
・・・互いに全裸で。こんな姿、誰かに見られたら確実に誤解を受けるな。・・・そう考えたのがいけなかったのか?
ドアをノックする音が響き、間髪容れずに勢い良く開く。
「失礼しまー・・・す・・・?っっ!!?」
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
空気が凍り付いた。それも、絶対零度で。
入ってきたまま、硬直するサファイヤ。石英とルビも硬直する。全員、顔が真っ赤だ。
気まずい空気。しばらくした後、何だか申し訳なさそうな顔でサファイヤは退室していく。その瞳は何処か遠い、遥か彼方を見詰めていた。
「おじゃましました~」
「いや、ちょっと待って。ていうか待って下さいお願いします!!」
石英は全力でサファイヤを引き止めた。その隣では、ルビがあうあうと呻いていた。
・・・・・・・・・
季節は冬。一年の終わりの日。魔王サファイヤの城―――
外は寒いが、城の中は魔術が効いているらしく暖かい気温が保たれている。その魔王城の執務室。
「うぅっ・・・」
「本当にごめんなさい。私が悪かったから」
必死に平謝りする魔王。かなりシュールである。
一方で、ルビは羞恥に赤面したまま、黙り込んでしまっていた。若干涙目だ。
石英は、少し用事が出来たとかで今は外出している。・・・出ていく時、少し怖い顔をしていたのが気になったが。まあ、石英なら余程の事が無い限り大丈夫だろう。そうサファイヤは思っている。
・・・と、その時。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・っ!?」
「ルビ?どうしたの?」
急にルビが口元を手で押さえ、俯いた。その顔は若干青褪めている。
サファイヤは怪訝な顔をした。
「・・・いや、ちょっと吐き気がっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
サファイヤは目を丸くし、呆然とした表情でルビを見詰める。その顔はまるで、鳩が豆鉄砲でも食らった様である。
その視線に、ルビは少しだけ気圧される。
「えっと、あの・・・サファイヤ?」
「・・・・・・・・・ちょっと失礼」
サファイヤはルビの下腹部をそっと触り、ついでに胸を軽く揉んだ。要はセクハラである。
「っ!?きゃあああああああああああっ!!!」
「へぶっ!?」
ルビは顔を真っ赤に染め、サファイヤの頬をひっぱたいた。それはもう、全力で。力の限り。
サファイヤはそのまま勢い良く、吹っ飛んだ。
「いたたっ・・・、軽い冗談じゃない」
「冗談で胸を揉まないでよ!!」
ルビは自身の身体を抱き締め、後ずさった。羞恥で顔が真っ赤だ。涙目で睨んでいる。
そんなルビに、サファイヤはこほんっと軽く咳払いする。
「とっ、とにかく!ルビ、貴女に言いたい事があります」
「なっ、なに・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
急に真面目な顔になったサファイヤに、ルビは若干警戒しつつ問い返した。その瞳は軽く怯えているのが見て取れた。というか、完全に警戒されたらしい。
サファイヤは少しばかり悲しくなってきたが、この際気にしない事にした。
「まあ、とりあえず・・・おめでとう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・???」
ルビは訳が解らずに、小首を傾げた。その姿が小動物の様で可愛いなと、サファイヤは一瞬思う。
まあ、それはともかく・・・。
「他に何か、些細な事でも良いから変化は無いかな?」
「んーーーっ、食事の好みが変わった事と、匂いに敏感になった事・・・あとは最近よく落ち込む様になったかな?」
(・・・・・・・・・うん、かんっぜんにアレだね!!)
サファイヤの口元が引き攣る。僅かに冷や汗が流れるのを感じる。
「流石の私も戦慄したよ・・・」
「・・・さつきから何なの?」
ルビは先程から戸惑ってばかりだ。状況を上手く理解出来ていない様だ。
サファイヤは軽く溜息を吐く。
「ルビ、貴女―――――――――っ!?」
言い掛けて息を呑んだ。広大な宇宙を思わせる神気が、突如として町の南の草原から感じられた。
その余りの神聖さに、ルビやサファイヤは一瞬呼吸を忘れる。
「な、何っ・・・?この気配・・・」
ルビが掠れた声で問うが、答えは返って来ない。サファイヤは冷や汗を滝の様に流している。
圧倒的な存在感を放つ存在が、町のすぐ側に居るのが解る。そして―――
「石・・・英・・・?」
ふいに、ルビが呟く。ルビの脳裏に石英の姿が過る。血に染まった石英の姿・・・。
今朝見た夢の光景を思い出す。
何故、今その光景を思い出したのかは解らない。けど、ふいに不安が襲って来たのだ。だから。
「っ!?」
「あっ!?ルビ、待って!!」
気付けば、ルビは駆け出していた。慌ててサファイヤは追い掛ける。
「待って、ルビ!」
必死に追い掛けるが、それでもルビは止まらない。身体の調子が悪いせいか、すぐに息が切れる。
しかし、それでもルビは走り続ける。
城を出て、町の中を走り、南門を抜けた、其処には―――
純白に輝く翼を生やした天使達に囲まれた石英が居た。その向こう、上空に輝く銀髪を後ろに束ねて純白の衣を身に纏った、翡翠色の瞳の青年が居た。神気はその青年から放たれている。
天使達の手には剣や槍、石英の手には短刀が握られている。一触即発の空気だ。
「石英!!」
「来るな、ルビ!!」
石英がルビの方へ意識を向けた、その刹那―――
六枚の翼を生やした天使が二柱、石英を槍で突き刺した。石英が喀血する。
「せっ、石英!!!」
ルビの悲鳴が響く。血を流し、倒れる石英。それを見たサファイヤの中で、何かが切れた。
「あああああああああああああああああああああっっ!!!」
天使達に向かって突進していくサファイヤ。それを見ていた銀髪の青年は腕を天に掲げ、そのまま振り下ろした。
瞬間、天が落ちた。
圧倒的な閃光と熱量が大地を穿った。大地は溶岩の様にドロドロに融解する。
後に残されたのは、もはや虫の息の石英とサファイヤ。
そして大勢の天使達を引き連れ、ルビを小脇に抱えた銀髪の青年。
「石英!石英っ!!」
「ル・・・ビ・・・」
石英は必死にルビに向かって手を伸ばす。しかし、届かない。
それを一瞥して、今まで黙っていた銀髪の青年が口を開く。
「ではさらばだ、神殺しよ。生きていれば、また何れ―――」
「待、て・・・!!!」
石英は掠れた声で、それでも力の限り叫んだ。しかし、その言葉は届かない。
耳には届いた。しかし、心には届かなかった。銀髪の青年は天使達を引き連れて何処かへ消えた。
そのまま、石英の意識は暗転する。
・・・・・・・・・
その後、ほどなく―――石英とサファイヤの許にムーンが駆け付けた。其処には、石英を抱えたサファイヤの姿があった。
「サファイヤ様、これは!?」
「ムーン、どうしよう!?石英の意識が戻らない!!石英、息をしてないの!!」
「っ!?」
二人の傷は既に回復している。しかし、石英の意識が戻らない。ダメージが深すぎるのである。
これほどうろたえたサファイヤも珍しいだろう。そんな時―――
「落ち着け。そいつはまだ死んではいない」
何時の間にか、二人の側に知らない人が居た。
否、人では無い。男性にも女性にも見える、中性的な顔立ち。黒髪に黒い瞳、黒い衣を纏った美しい人の姿をしている。しかし、頭部に二本の捻れた角を生やし、背中には黒い翼が六枚。
サファイヤとムーンは即座に石英を庇う。
「待て、俺は敵では無い。お前達の味方だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
サファイヤは石英を抱き寄せ、謎の人物を睨み付ける。まだ信じられない様だ。
その人物は、深く溜息を吐く。
「俺の名はルシファー。堕天使、悪魔の長であり、お前の父親のメフィストとは知り合いだよ」
「!?」
サファイヤは目を大きく見開く。メフィストフェレス―――サファイヤのもう一人の父親。
目の前の人物、ルシファーはその知り合いだと言う。そして、悪魔の長だとも・・・。
「っと、まずはそいつが先だな・・・」
ルシファーは石英に近寄り、手を伸ばす。サファイヤは、慌てて石英を庇う。
「大丈夫だ」
そう言い、ルシファーはサファイヤの守りをすり抜け、石英に触れた。温かな光が、石英を包む。
「っ、かはっ・・・」
すると、石英は呼吸を取り戻した。驚くサファイヤとムーン。
「これでもう、大丈夫だろう」
「っ、貴方は一体・・・」
サファイヤは問う。しかし、それにルシファーは答えず、首を横に振る。
「今はそいつを病室にでも運ぶのが先だろう?話はそいつが目を覚ましてからだ」
「う、うん・・・」
サファイヤは納得しかねる顔で、頷いた。納得は出来ないが、確かにその通りだろう。
そうして、二人と一柱は城へと向かった。




