葡萄の皮
「葡萄が食べたい」と人魚が言うので、湖畔で葡萄の皮を剥いている。種を除くことまでは要求されていないのでそのまま差し出すと、彼女は素早く口に収める。そして静かに噛み潰していく。
「おいしい」
と、真実を告げる厳かさを湛えた声で言って。
それは良かった、と私は微笑み、葡萄の皮剥きを再開する。一粒で満足しないことは分かり切っているので。
皮と果肉の間が一番栄養があって美味しいんだよ、と私が説得を試みると、「たとえそうだとしても」と彼女はきっぱりと言う。「皮を噛んでしまったら渋くなるわ」そんな訳で、私は皮剥きに従事している。ついでに、剥いた葡萄を彼女に差し出すところまでを受け負っている。気障に言うと人魚姫に仰せつかっているのだが、気障が過ぎるので言わない。「湖に王政はないのよ」と彼女は言うだろう。
葡萄の種は湖に落とされる。波紋を描く、というには余りにもささやかに水面を揺らして漂い、沈む。これも生態系に影響を与え得るだろうかと思っていたら、彼女が「湖でも育つかしら」と言い出したので愈々心配になった。少なくとも育たないとは思うが。
「はじめて食べたわ」果肉と果汁とをしっかり飲み込んでから、彼女は言った。「葡萄もおいしいのね」
彼女に食べたことのある果物を尋ねた。「たくさんあるわ」と彼女は答えた(その間にも私は葡萄の皮を剥き、彼女はそれを食べている)。「苺でしょう。梨に林檎、桃に桜桃に檸檬。芭蕉の実は知ってる?」
うん、と私は頷く。彼女は「緑と黄色で随分と味が違うのよ」と囁くように教えてくれる。今度、幾らか黒い斑点の出来た物を持って来ようか考える。喜ぶかは、どうも想像がつかない。
「西瓜の食べ方は知ってる? 固いところにぶつけると、あの緑と黒の皮が割れて、赤くてそんなに硬くない内側にありつけるの」
彼女はもしかしたら、私を果物を余り知らない人間だと思っているのかもしれない。
「西瓜割り、という遊びがあるよ」
「人間はどうやって割るの?」
「棒で思いきり殴る」目隠しをして目を回す工程を話しそびれた。
「やっぱり道具を使うのね」仕方がないわ、と言いながらも彼女は嘆息する。「硬い皮だもの」
西瓜割りについて正しく伝えない以上、包丁を使う、という話をするべきなのだろうが、私は気軽に黙っておいた。
また粒を差し出したが、彼女は口を開けずにじっとしているので落としかける。下が湖なので気楽なまま、どうしたの、と私は尋ねる。
「葡萄って」ややあって、彼女は答えた。「こんなに緑なのね。紫じゃなくて」
そして、確かに、と私が思う前に彼女は葡萄の粒を食べた。お陰で私は、どうだったかな、と少し思う。
そうして、彼女は一房を食べ切った。
「ありがとう」と彼女は礼を言った。「おいしかったわ」
それは良かった、と私はもう一度言った。他に言うべきこともない。
「お礼に、桃を食べた話をしてあげる」
それがお礼になることを彼女は全く疑っていないので、私は、それは楽しみだという表情を作る。




