第12話 巫術師 玄雨雫と門
齢数百年にして政に関わり強大な巫術を使う不老不死の巫女、玄雨雫。自称、日の本の国の神。
そして、欧米諸国を支配する多国籍企業ファイブラインズのCEO、アリス・ゴールドスミス。彼女もまた自称、西洋の女神。
中学2年生の神峰純は、こともあろうか雫が趣味で営む骨董屋一六堂に入って行った事から、二人に神の資質を見抜かれ、女神、玄雨純になった。
純は雫に促され、雫と共に祖父の三回忌法要に行く事となった。
■祖父の三回忌
純の祖父、神峰巌は日本舞踊の名取りで、剣道二段。その名の通り厳格な性格だが、近所付き合いも良く、慕われていた人物だった。
小さい頃、巌が開いている日本舞踊の会で、純は日本舞踊を仕込まれた。
巌は孫をかわいがり、趣味の骨董の市が立つと、幼い純を連れて訪れたりした。
純が、雫が趣味で営む骨董店一六堂の中に入っていったのも、そのためと言える。
巌が孫をこれ程かわいがったのには、いわゆる家庭の事情がある。
巌の息子、純の父、神峰亮は、若い頃、父に反発し、少々不良めいた事をしたらしい。
巌が日本舞踊を仕込もうとするのを嫌がり、パンクロックに興じたり、コンピュータゲームにのめり込んだり、結果、理工系の大学に進み、中堅ゲーム会社のプログラマ、という日本舞踊名取りの父とは、有る意味、全く逆の職業に就いたのだった。
そんな亮が、紹介したいと、純の母となる桜を会わせた時、巌は驚いた。
純の母は、おっとりした性格で、茶道、書道三段という、まるで、亮とは正反対の存在だったからだ。
父の反対の子、その子の反対の彼女。つまり、一回りして、巌と意気の合う彼女を連れてきたという訳だ。
すっかり桜の事が気に入った巌は、このまま嫁になってくれればいいと、心底思ったらしい。
桜は桜で、巌に会って、なぜ自分が亮に魅かれたか分かった。ちょっと不良っぽい感じの亮だったが、妙な所が礼儀正しく、そんなギャップ萌えが生じたのは、巌のお陰だったのだと。
巌の願い通り、二人は結ばれ、純が生まれた。
そういう訳で、巌は、亮に出来なかった事を、純に行った訳だ。
まあ、孫弄りである。
生まれついての弄られ体質だった純は、あ、いや、人の好意を受けやすい純は、すくすくと育った。
純は当然覚えていないが、産まれる時かなりの難産で、出産後、一度チアノーゼになる程だったと言う。
おそらく、アリスの会社での調査結果の判明した、双子の女児を取り込んだ事が、何か関連しているのかも知れない。
さて、話しを戻す。
雫と純が純の祖父、神峰巌三回忌法要が行われている斎場に着くと、そこは弔問客で溢れていた。
「純の祖父は、人に慕われていたのだな」
雫は静かに言った。
遠目から二人を見ると、弔問に来た美人姉妹、というように見える。
雫はいつもしているポニーテールを降ろし、長い髪を後ろに流していた。白い肌が礼服の黒い色で更に白く見える。
純の方も、女神化してから伸ばし始めた髪が、ようやく肩辺りに届くようになっていた。
二人は記帳する時、玄雨神社の住所に、「玄雨雫」「玄雨純」と書いた。
ただ、この住所を頼りに二人を訪ねようとしても、神社に張られた結界のため、はやはり訪れる事は出来ないのだが。
二人は遺族、つまり純の両親にお辞儀すると、祖父の遺影の前で焼香した。
弔問客の流れが一時途切れた時、亮は、妻の桜が弔問客の中のある姉妹を見つめている事に気がついた。
「どうした?」
「今のご姉妹の妹さん、ちょうど純と年が同じくらい。それに、純に似てた」
亮は、言葉に詰まった。
「おかしいわよね。純は男の子なのに。似てるなんて」
亮は思い出した。確かに純は男の子にしては、やさしい顔立ちで、小さい頃、良く女の子に間違われたりしたが。
妻の肩が震えているのを見て、亮は桜の手をそっと握った。
「純は、親父と一緒に、舞いを舞ってるよ」
「そうね」そう言うと、桜は小さい涙をこぼした。
神となった純の聴覚は人のそれよりも遥かに鋭い。
焼香しながらも、父母の会話を聞いていた。
純の目が、不意に熱くなると、純の目からも、涙が溢れた。
雫は、純の祖父、巌に感謝の言葉を心の中で捧げていた。
あなたのお陰で、私は純と会う事ができました。
純のお陰で、私は数百年抱えてきた、罪の意識、自責の念、呪いから解放されました。
ただ、私と出会ってしまったため、あなたのお孫さん、純を、人でないものにしてしまいました。
感謝と井に、深くおわび致します。
雫の目にも、小さい涙が浮かんでいた。
二人は祭壇から離れ、斎場を後にする。
弔問客の中の大学生くらいの若者が、美人姉妹に気付くと、思わず二人の後を追ってしまっていた。
あわよくば、メアドくらい、という軽い気持ちだったのだろうか。
二人が斎場の前の道を進み、右の角に曲がるの見ると、小走りに追っていく。
彼が、角を曲がって先を見ると、そこにはもう、二人の姿はなかった。
■一六堂
二人は斎場を出た後、人目につかない所で、雫の「無しの扇」と純の「空の穴」を使い、一六堂に戻った。
純は米国でアリスが買ってくれた、淡い水色のワンピースに着替えた。
雫は初めて純に会った時の恰好に戻った。
長い髪をポニーテール、そこに真っ赤な櫛を刺し、白いセーター、黒いパンツ、薄い黄色のベルト、足袋を着け緑色の鼻緒の下駄という姿に。
「ここで、雫さんに会ったの、そんなに月日は経っていないんですけど、もうとても昔のような気がします」
純は淡々と喋った。気になった雫は尋ねた。
「純、女神になった事、後悔していないか?」
何かを飲み込むように少し間を空けると、純は言った。
「お父さん、お母さん、やっぱり悲しませた事は、辛いです」
雫は黙って聞いている。
「でも、女神になった事は、後悔していません」
だって、と純ははっきりした声で言った。
「自分で決めた事です。後悔なんてしません」
その後、純は小さく、ごめんなさい。お母さん、と言うと、両手で顔を覆い泣き始めた。
雫は純をそっと抱きしめると、優しい声で言った。
「神峰純は、米国に体験留学中、事故に遭い、亡くなった。そう両親は思っている」
純の死の偽装の詳細を、雫はアリスから聞いて知っている。
だが、詳しい事を、今知らせる事は無い、と短い言葉に留めた。
「純。純がいなければ、ダイダロスは大災厄を引き起こしていた」
純の嗚咽は、まだ続いている。
「それに、純がいなければ、私は、呪われたままだった。『彦』の事も、望の事も、そのままだった」
純の嗚咽が、少し小さくなった。
「純がいなかったら、自責の念も、罪の意識も、消えず、重い心を引きずって、生きていかねばならなかった」
純の嗚咽が止まった。
「ご両親には申し訳ないが」
一度言葉を区切ると、優しいがきっぱりとした口調で雫は言った。
「私は、純が女神になってくれて、嬉しい」
ありがとう、純。
そう言うと、雫は純を抱く手に優しく力を込めた。
純の手が顔から手を離れた。雫の瞳に、泣き顔を笑顔に変えようとしている純の顔が映った。
「帰りましょう。雫さん。玄雨神社へ。ボクたちの家に」
純の声を聞いて、雫は頷いた。その仕草には、純への思いが溢れていた。
■アリス、説明する
『やっほ〜。純くん、雫ぅ。ちょっと説明したい事があるから、純くんこっちに来てくれる〜?』
雫と純が、玄雨神社に戻ると、いつもの調子のアリスからリンクの声が響いた。
相変わらず、人の気持ちなど、お構いなしである。
アリスらしいな。
と雫は思った。傷心の時に、アリスは忙しくして、それを忘れさせようとする。
今回もそれだと、雫は思った。アリスなりの、純への配慮だ。
「行ってこい、純」
純は頷くと、着ていた淡い水色のワンピースのまま、「空の穴」現すと、アリスの元に飛んだ。
いつものようにアリスの執務室に出ると、アリスじゃなくて、セリスが待っていた。
「純お姉ちゃん! その服かわいい! 綺麗!」
そう言うと、純の首に抱きついてくる。
もうこうなると、泣いていた気分なんて吹っ飛んでしまう。
セリスの可愛いもの好きへの攻撃の破壊力も、やはり本家だけあって、核攻撃並だ。
すっかり、純の傷心の瑕は埋まっていった。
いや、心の瑕は無くならない。疼かなくなるだけ。でも、それで充分。とアリスは思った。
哀しい思い出なら、世界中の誰よりもあたしの方が百万倍上、と自認するアリスはそう思った。
だが、無駄な事が嫌いで、実務最優先のアリスが、ただ、純の傷心を慰めるためだけに、呼んだのでは無い事は明らかだ。
すっと、セリスからアリスに代わる。
「どう? 純くん。あたしの見立てた服、やっぱり好評でしょ?」
首に抱きつかれたまま、アリスに代わられて、その上、アリスの純くん弄りが始まったものだから、純は溜まったものでは無い。
恥ずかしい。一瞬で真っ赤になる。
純の脳裏には、水着で海に行った時の恥ずかしさが、トラウマとしてセットされている。それを設置したのは、他ならぬアリスだ。
アリスはいつでも、純を赤面させるスイッチに手をかける事ができる。
そして、そのスイッチは必要な時しか押さない。
今はその時だった。
よし。これで純くんの傷心モードは完全に破壊した。もう目標は無力だ!
アリスはそう確信すると、いきなり実務的な話を始めた。
「純くん、大事な話があるから、作戦室に一緒に行こう!」
純の赤面が一気に元に戻る。
大事な話で、作戦室って、それって、世界規模の大災厄とかじゃないの!
アリスの後に付いて、作戦室に着くまでの間、純の心は不安で一杯になった。
なんだか、今日のボクの心、ジェットコースターみたい。
と、純が思った頃、作戦室に着いた。
「雫にも見せたいから、純くん、お願い」
純は、「目合わせ」の術を使い、自分の視覚を雫に繋いだ。
その間に、アリスはささっと、お子様サイズの白衣を纏う。
そして、アリスは、一度純に背を向ける。両手を後ろに回すと、右手で左手首を掴んだ。
その様子は、なんだかマッドサイエンティストが、世紀の大発明を助手に告げる雰囲気そっくりだ。
くるり、と純の方を向くと、アリスはこう言った。
「わがファイブラインズ社は、とうとうワープ装置の開発に、成功しつつある!」
さすがの雫も、このアリスのトンデモ発言に、驚いた。
くっくっく。雫が驚いてる。リンク越しに伝わってくる雫の気配にアリスは心の中で嫌な笑いを浮かべた。
が、ここで、アリスは重大なミスを犯している事に気付いていない。
アリス自身が心に刻んだ、「雫相手に心理戦をする事が、最大級の無駄」である事を、忘れているという重大なミス。
少しの沈黙の後、さらっと雫がリンクの声で言った。
『判った。で、純はどこに「空の穴」を空ければいい?』
壱トン重りが頭にぶつかったかのような衝撃が、アリスの心に響いた。
な、なんで、バレるの。
『推理すれば簡単だ。ワープ装置、と言うのは、「空の穴」をアリスの会社の技術で、ある程度解析できた、という事だろう。そのテストに純の「空の穴」が必要だ。で無ければ、アリスが純を作戦室に呼ぶ理由が無い』
違うか? とリンクの声で言われ、アリスは白旗を揚げる。
あ〜、やっぱり雫相手に心理戦とか、最大級の無駄だったわ。何で忘れてたの、さっきまでのあたし!
過去の自分に八つ当たりをした後、はあ、と溜息を突くと、アリスはリンクの声で言った。
『雫の言う通り、純くんには、後で「空の穴」を開けてもらうけど、その前に説明するね。そのために作戦室に来てもらったんだから』
テーブル型PCに説明用の映像が映し出される。純の目を通して、それは雫にも伝わる。
アリスは説明を始めた。
『まず、「龍巻きくん」で使っている霊脈を力場に留める装置、あの小型版ができたの。まだ、簡単に携帯出来るほどのサイズじゃないけど、電源さえ確保出来れば、車で運べるサイズ」
その装置の映像が、テーブル型PCに映し出された。
ちょっと小さいドラム缶みたいな装置。
『力場のサイズは、最大直径10メートル。この範囲の中に、霊脈を封じ込められて、その上、移動させる事ができる。名前は「貯霊くん」』
マシンのネーミング、相変わらずだ。と純が思っていると、テーブル型PCにもう一つの装置が表示された。
『これは、霊脈を取り込む装置。龍巻きくんで使っているものより高機能。霊脈が龍脈ほど濃くなくても、効率的に集める事ができる。名前は「集霊くん」』
テーブル型PCに表示されている画像が切り替わる。
『これが、ウチのラボが「空の穴」の解析した結果を、分かりやすく図にしたもの。霊脈の研究、この間の宇宙からの霊脈調査もあって、随分進んだわ〜』
映し出されているのは、黒い円に人が入る図と、その後、黒い円が消えていく図。それぞれに、説明用の線が引かれ、説明文が記載されている。
『動画で説明すると』
アリスがそう言うと、テーブル型PCに二つの「空の穴」と人間のCG画像が表示される。
『「空の穴」に人が接触すると、移動させた仕事分の霊脈が崩壊して失われる。この失われた霊脈が原因で、両方の『空の穴』が維持できなくなって、バラバラになる。だから、消える。この失われた霊脈っていうのがくせ者なの。覚えておいてね』
アリスが説明した様子が、テーブル型PCにCGの動画として、表示される。
『次は、人の方。こっちの解析は結構大変だったのよ〜。人が「空の穴」に触れると移動するけれど、その移動中に、「空の穴」はさっき説明した崩壊した分の霊脈を、移動させる人間の気脈で補おうとする。気脈が吸い取られ、結果、死亡する。作った術者の場合、『空の技』の条件設定で吸い取らないようになってるか、術者の能力で、気脈は吸い取られないみたい。術者と接触している物体にも、このルールは適用される。だから、術者が触れているもの、手を繋いでいるものも、気脈を吸い取られない。繋いだ人が繋いでる人もね。術者が一緒に飛ぶと意識している限り』
純は呆気にとられた。
自分が舞って現した「空の穴」の移動の仕組みが、こういう事になっていたなんて、と驚いた。
まるで、夢判断されて、性格や精神疾患を言い当てられたみたいな、ちょっとぞくりとする感覚を覚えた。
『という事は』
と雫がすべてを理解して、説明しようとした。
『最期まで言わせてよ〜。雫ぅ。美味しいとこ、取っちゃうのは反則よ〜』
自分で説明したいアリスが文句を言う。
『周辺から霊脈を「集霊くん』が集めて、それを「溜霊くん」に溜めて、純くんが作った「空の穴」に供給する。供給量は、「空の穴」の霊脈量が一定になるように、調整される』
純にも判った。
それが伝わったのか、アリスがまるで、判ったかねワトソンくん、といった表情をした。
『これで、「空の穴」は一度使っても無くならないし、術者じゃない人が入っても、安全になる、というワケ。どう?ワープ装置でしょ?』
巫術の技を科学の力で固定化したワープゲート。確かにそうだ。と純は思った。
■固定された「空の穴」
その後、アリスは「空の穴」の設置場所について、雫と離し合った。
米国側は、セリスがバラしてしまった玄雨神社そっくりの施設。アリスは、玄雨神社米国分社、略して分社と呼んでいる。
純も何度か訪れて、セリスの修業の手伝いをしている。
両方の神社の舞い舞台の上手奥、つまり観客から見て右手側奥に、「空の穴」を置こう、とアリスは提案した。
上手奥には、下手側、つまり観客から見て左手にある控えの間と対になっている上手用の控えの間がある。
それを潰す事になる、と雫は渋った。
『もう、玄雨神社でお客さん呼んで、舞いを舞う事なんて、無いじゃない。それに、控えの間は、下手側にもあるんだから、良いでしょ?』
と、アリスに押し切られ、そうなった。
その後、必要な機材が日本の玄雨神社に搬入さた。
搬入は、普通のルートで行われたので、純がアリスの元を訪れた数日後の事だ。
準備が整うと、純はアリスを迎えに行き、日本に戻る。
分社の方のセッティングは、ラボのサーバントが行い、本社である玄雨神社の方のセッティングは、アリス自らが行うという手はずだ。
どうもアリスは、最期の締めを自分で遣らないと気が済まない性格のようだ。
「じゃあ、純くん、ラストの『空の穴』よろしく!」
はあ。と純はちょっと溜息を付いた。
実は、この日、純はもう二度「空の穴」を作り、米国と日本を往復していたのだ。
まず、1度目。分社に、雫の「無しの扇」を作ってもらうため、米国へ。
純が雫に視せて、その場所に作ってもらうためだ。雫は行った所、純に視せて貰った所に、「無しの扇」が作れる。
だが、視た事も行った事も無い場所には、作れなくも無いが、あてずっぽうでになる。
今回の場合、設置する場所にかなり高い精度が求められるので、こうするしか無かったのだ。
そして、アリスを連れて、日本に戻る。
アリスを連れに言って、戻ってくるのと、回数は同じなのだが、どうも、便利ツール扱いされている感が、今回、かなり漂っているので、溜息をついたと言う次第。
純は「空の穴」の舞いを舞うと、今日三度目の「空の穴」を現した。
一つは、「無しの扇」のある分社に、一つは玄雨神社に。
「空の穴」が現れると、アリスはてきぱきと作業を進める。その手際には全くよどみが無い。しかも楽しそうだ。
まるで、大好きなプラモデルを組み立ててる子供みたいだ。と純は思った。
そこで、セリスがプラモを組み立ててる様子を想像してしまったものだから、純の可愛い物好きスイッチがオンになる。
作業しているのは、アリスなのだが、セリスだと思ってしまい、一人、可愛い物好きの世界に浸る純。
自然と純の顔に笑みが漏れる。
その内、作業しているセリスを、いや、アリスを抱きしめたくなってしまい、我慢するのに、手がプルプルし始める始末。
今度は、それを見ていた雫が、はあ、と溜息をついた。
まあ、傷心の時よりは、ずっと良いが。
雫の心象では、純がまるでボールにじゃれつきたいのに、必死に我慢している犬に見えた。
次は、犬の耳と鼻を付け、肉球付きのデフォルメされた犬の手の手袋を付けた純の姿に変わった。
止めよう。
雫は、思考を打ち切った。
アリスから派生するほのぼのアニメ調のワンダーワールドに引きずり込まれるのは、御免だ、と雫は思った。
■ワープ装置の起動式
「さあ、起動式をするわよ! まずこの装置の名前は!」
装置の接続関係一式の作業が終ると、アリスはいつもの調子で始めた。
だが、今回は、雫の横やりが入った。
「アリスのおかしな趣味の意匠がついた装置を、神聖な神社に置くのは、心苦しい。今回名称は、ワープ装置で良い。というか、それくらいが私の許容範囲の限度だ!」
と言うと、雫は、最近滅多にしなくなった、怖い目つきになると、ギロリとアリスを睨んだ。
「…じゃあ、ワープ装置で、いいわよ」
アリスがしおらしく言った。これで決着かと思われた。
だが、事態は急変する。
「せっかくセリスと一緒に考えたのに。セリスもがっかりしちゃうよ」
アリスが唯一、心理戦で雫に対して優位に立てるカードを切った。
そのカードには、「純くんを召喚して、雫への攻撃の準備をする」と書いてあった。
その効果が発動した。
「どんな名前なんです? ボク聞きたいです!」
早速食いついていた!
腹黒アリスが心の中でニヤリとする。
雫の片方の眉が少し上がった。
微妙な空気が玄雨神社、舞い舞台上手奥に流れたのだが、純はまったく気付かない。
すかさずアリスは次の手を打つ。くるりとセリスが出てきた。
セリスは、ちょっともじもじして、はにかんでいる。
不味い。
雫はそう思った。
アリスの策は練り込まれている。
純と雫は、セリスの頭を撫でたくて仕方なくなった。やはり、セリスの可愛い物好きへの攻撃力は絶大だ。
判ってはいても、策にはまってしまう。
その遣りようは、卑怯だぞ! アリス!
雫はセリスに代替わりしてから何度か思った事を、思った。
使えるものは、惜しみなく使う、それが女の武器なのよ〜。
雫には、リンクを通じなくても、そう、アリスがそう思うのが手に取れた。
不味い、このままだと。
負ける。
そう、雫が思った時、セリスが口を開いた。
雫の心象では、その動きはスローモーションに見えた。
新規の情報を脳が処理する時、緊急事態の時、その動きはスローモーションに見える。
交通事故に合った時、スローモーションに感じるのと同じ効果だ。
心理戦でアリスに負ける、という珍事が、その効果を生みだしたのだ。
「この機械のお名前、『空の門くん』っていうの」
やった!
アリスは勝利を確信した。
思わず心の中で、ガッツポーズを取る。
遂に、遂に、心理戦で雫に勝った〜! 戻ったら一番高いワイン飲んじゃお〜〜。あ、子供味覚だからダメか。美味しくない。でも勝利には違いない! 例のジュースで祝杯だわ!
が、その後、セリスが余計な一言を漏らす。
「って、ママが言えって」
アリスの野望は砕け散った。
な、なんでセリス、そこまで言っちゃうの。
策に溺れたな、アリス。
雫は、正直なセリスの頭を撫でてやりたくて仕方なくなった。
だが。
「アリス、その名前、アリスの趣味にしては、割と良い」
アリスは雫が意外な事を言うのを聞いて、驚いた。
すっとアリスに代わる。
危うく抱きつきそうになっていた純が、ここで踏みとどまった。
危なかった。
何故か純はそう思った。
いや、別に危なくはないのだが。
多分、純の潜在意識は、自分がアリスの召喚魔法のカードで呼び出された召喚獣扱いされている事に、気がついたのだろう。
アリスは言った。
「じゃあ、『空の門くん』で良いのね! 雫ぅ!」
「それは、却下だ。アリス」
雫がキリッとした顔で、さらっと言った。
訳が分からず、アリスが口をぱくぱくしそうになる。
どういう事よ、雫ぅ。好いんじゃなかったの!
「『くん』が余計だ。『空の門』、良い名だ。嵌まっている」
たしかに。
と、思うと、アリスはがくり、と肩を落とした。
まあ、今日の所は引き分けよ、と考えを切り替えた。
「じゃあ、『空の門』の起動式をするわよ!」
例によって、自爆装置の自爆ボタンみたいなスイッチが用意されている。
「せ〜の。ポチッとな〜」
前回の米国での「流巻きくん」の軌道式の時と違って、三人の声、いや、三柱の声が揃っていた。
微かに一度、低い音がしたが、何も起こらない。
それはそうだ。
装置は既にある「空の穴」を安定させるものだから。
変化は無い。
と思った時、「空の穴」の形状が変化した。
球体から、平面に。
漆黒の円形の反射の無い、鏡のように。
「球体のままだと、移動した後、また元の位置に戻るっていう無限ループになっちゃうのよ」
あ、そうか。純は気がついた。
「空の穴」は、使うと消えるから、移動は一度きりだけど、消えなかったら、「空の穴」の中に留まり続ける事になる。
「それで、流入させる霊脈の量を制御して、形状を変化させたのよ〜」
満足そうにアリスは言った。
「第一段階、成功ね〜」
アリスがセリスを通じて巫術師になってから、確かに、アリスの会社の巫術の応用力は格段に進歩した。
雫は認めざるをえなかった。
「じゃ、移動実験を行うわよ〜。向うから、ケージに入ったモルモットを送って貰うから」
アリスが、サーバントリンクに何か指示をする。
アリス、雫、純の三人は、ケージに入ったモルモットが「空の門」から出てくるのを待った。
だが、現れたのは。
巫女装束をまとった、老女だった。
■玄雨朔
とっさにアリスはサーバントリンクに指示を出す。
『実験中止。緊急事態。ラボメンバーは待機。繰り返す。緊急事態。「空の門」から人間が出てきた。各員、データを保存して待機!』
慌てたのは、アリスだけでは無い、純も、そして雫も、固唾を飲んで現れた老女を見詰めていた。
老女は、雫を見ると、更に驚くような事を言った。
「お前、『さき』だね?」
雫は頭が痺れた。「さき」というのは、雫の前の名前。
玄雨神社を継ぐ前の名前。
そんな名前を、私を見ていう者が、「空の門」から現れた。
あなたは一体!
その名を問おうと雫が口を開こうとした矢先、老女がこう言った。
「私は玄雨朔。この神社の当主だ」
そして続ける。
「どうして、お前達は急に現れた。それに」
というと、アリスの方を見た。
「この髪と目の色が異形の子供は何だ。異形に留まらぬ。この子供は巫術師だ」
視抜いている。
「わしの弟子に、このようなものはおらぬ。そちらの娘もだ」
老女は純を見て、そう言った。
雫は思った。
気脈を視て、巫術師と判じたのだ。
巫術師は無意識に霊脈を取り込む気脈の流れがある。それは巫術師特有の流れ。それを視たのだ。
と言う事は。
雫も老女を視た。
この人も巫術師。
ここに至り、雫は、玄雨朔という名に気づく。
望の前の当主の名が、「玄雨朔」
まさか、そんな。
だが、目の前の出来事は現実。
数百年の時を超えて、「玄雨朔」が現れたのだ。




