型遅れ
「ねえ、優真。私、記憶が混乱しているみたい」
「あ、あのー、永久さん?」
できるだけ刺激しないようにと気を使っていたのだが、早速バレていやがった。察しの良さはさすが十年以上活躍しているだけはある。
――永久が空き時間によく来ている我が家の書斎に足を運ぶと、案の定彼女はそこに居た。彼女の仕事を第八世代二人が強奪していっているので、そうなるのも当然のことだ。やることがないし、待機場所らしい待機場所も今まで無かったことに気づかされた。我が家に永久の居場所は無かったのだろうか?
いくら人と同じように扱っているとか言ったところで、それは人間に都合の良い範囲に限った話なのだ。それが越え難い溝であって、またそんな一般論を持ち出して心を慰めている自分ほど度し難いものもいないのだろう。
待機場所、か。本来アンドロイドは二人以上での運用を前提としていない。第八世代の姉妹機でさえ、主に単独での運用を考えられている。それは純粋に、そんな物好きが滅多にいないことが理由だ。お高いからな、アンディー。
永久は考え込んでしまった此方のことに気づいているのかいないのか、ある一冊の本を見つめたまま固まっていた。
「読んだ覚えのない本が書斎にあって、その本の内容を私は空んじることができて……さすがに、おかしいものね、これは」
永久が手にしていたのは、雛子が趣味で集めている恋愛モノの連載小説、その最新刊であった。紙媒体での書籍を好む者が未だに多くいる為か、その本もまた紙媒体で発刊されていた。アナログとは絶滅しないものである……。と、それはさておいて。
今は永久のことだけに集中してあげよう。大切な同居人であるのだから。
「本当は、第七世代でも数年運用していたんだ」
誤魔化しても仕方がないし、バレてしまっては嘘を吐く理由もない。あっさり白状した。そうでもしないと説明ができない。きっとデータの海の中には彼女の残り香が漂っていたのだろう。
「そっか――雛子さんと優真、仲直りできた?」
第六世代当時の彼女の懸念は、そこに収束していたようだ。
「ああ、たぶん、今の君が知っている俺たちよりは、ずっと仲良くなってる」
臆面もなくそう言う。ひとえに、彼女を安心させてあげたかったから。
謝るべきは、彼女。雛子に向けた言葉が今、自分の胸の中でぐるぐると回っている。二人のごたごたで一番振り回されてしまった永久に、これ以上の苦労をかけたくないと思った。
「なら、よかった……」
彼女は、自分の記憶が危ういというのに、真っ先に気にかけるのはそのことなのだ。
アンドロイドとは、かくも優しいものなのか。残酷なくらいに献身的で、自身を省みない。
だからこそ人間に愛されるのだろう。アンドロイド偏愛、なんてレッテルを貼られる危険性を伴っていても、この献身を目にした人間はそれに応えようと思ってしまう。
「それだけが気がかりだったの」
「永久、今は自分のことだけ考えててくれ」
わりとマスターのこととか、どうでも良いし。ていうか、普段はお前そういうスタンスだろ。
「ヘタレの貴方にそう言うことを言わせるなんて、私は本当にピンチなのね。全然実感無いのに」
永久は変わらずにこにこ笑っており、今回の一件はこちらの杞憂ではないのかという疑念さえ湧いてくる。けれど、彼女は確かに今、自我が揺らいでいるはずなのだ。
「十年以上稼動して、今更記憶の混乱なんて……バカみたいね。でも、もう新しい子が二人もいるし、私の役目も終わったのかも」
「そういうのじゃないよ」
確かに、二人の登場で永久の仕事が激減したことは事実だった。事実、永久なしでも家事は回っていた。
メモリーチップ自体は凄まじく旧型のものを使っており、それは今更新しいものに変えられない。メモリーチップ分野でも大きな躍進を見せた第八世代とは、正面からぶつかり合って勝てる相手ではないのだろう。
「私の第七世代としての人格は、もしかして、拗ねているのかもね。全然フォローもしてくれない、気の利かないマスターに愛想を尽かして出て行っちゃったのかな」
「だったら、また俺のせいだな」
「日本では一番長生きで、きっと世界で一番幸せなアンドロイドなのにね」
「……アンドロイドは人間性を語る前に性能を語ることになるのが嫌だな」
まともに反応するのも恥ずかしくて、つい話を逸らす。やはり、ヘタレだ。
「アンドロイドだからね」
「うーん、永久はスペックが気になると?」
「もちろん。アンドロイドの最前線を爆走していた私は、これでも性能とか一番気になるアンディーだから」
確かに、基本的におまえ最新型の素体使ってたものね。主にどっちかの会社の思惑で。子供の頃は俺も露出が多かったし、広告塔代わりにはなる。
ただ今回ばかりはデイブレイクの方での都合があるから全部新品、ってことになったからなぁ。
どうしたって、夕陽と朝陽は姉妹的な関係であるべきだから。永久はどこまでいっても結局、永久だし。第八世代のテストにはあまり適していなかったんだろう。
あと、一応リード社との繋がりがある永久にデータを回すのが怖かったのかもしれない。
最悪の事態を想定して、避けるべきリスクを避けるのが会社運営というものだろうから。恐らく父か、それに近しい人物の差し金なのだろうが、何とも余計なことをしてくれたものだ。
「持ち主が気にしてないんだから気にしないで良くないか?」
「言われたとおりにするだけの機械の時代は、十年以上前に終わったけどね」
「……仮にも人造人間、アンドロイドだからな」
自意識があるというのもなかなかやっかいなものだ。かといって捨て去るわけにもいかないものだ。人間として生きる限りは、自意識に振り回され続けるのだろうか?
それに有る程度の法則性が与えられているアンドロイドの困難は続く。
「優真、どこか、連れて行ってくれない?」
唐突に永久は言うのだ。何を考えているのかはいまいち分からないけれど、彼女のお願いを断るような気持ちはとうてい湧いてこなかった。
「どこか、って?」
「どこでもいいですから、どこか。どうか、二人だけで」
二人だけ、か。
ひとまず、雛子に相談しにいこうかな。