第8話:水に還る声
すべてが終わった翌朝。
寒水村は、まるで夢から覚めたように静かだった。
封印の儀から一晩が明けた。
祠に満ちていた水は跡形もなく消え、残っていたはずの鏡も鈴も注連縄も、すべて姿を消していた。
まるで“最初からなかった”みたいに。
けれど、俺の中には確かな感触が残っていた。
葵の声も、写しの記憶も、自分が“自分”を選んだ感覚も。
だから、俺はこの祠に一礼して、背を向けた。
***
祖母は、帰った俺の顔を見るなり泣き出した。
「……ごめんね。全部、教えてあげられなくて」
その手は震えていたが、あたたかかった。
俺が水神の封印を成したことを、祖母は何も聞かずに理解してくれた。
「昔ね、おばあちゃんの姉が、“あの祠で消えた”の。
だから、この家はずっと“封印の家系”として見られてて……。
あなたを村に呼んだのは、私だったの」
そう言って祖母は泣き笑いした。
「本当に、ごめんね。でも、ありがとう」
俺はただ、黙って頷いた。
いまなら言える。
あの写しの俺が言っていたこと、すべてを。
たとえ弱さがあっても、逃げ出したくなっても。
自分で、自分を選び続けること。
それが、生きるってことなんだと。
***
帰りのバスは、空っぽだった。
窓の外に、夏がぼやけて流れていく。
俺は車窓から祠のある山のほうを振り返った。
そのときだった。
バスの窓に、一瞬だけ“誰か”の姿が映った気がした。
白いワンピース。長い黒髪。
微笑んで、静かに手を振っていた。
それは、“写し”なんかじゃない。
俺が知っている――本物の“葵”だった。
バスは坂を下り、景色の中に村が溶けていく。
夏が終わる。
でも、“水の中”に映ったものは、決して消えない。
それは、選ばれたものだけが見ることのできる記憶。
そしてたぶん――
誰かの中にも、今も静かに揺れているのかもしれない。
水が、何かを映すたびに。
終
この物語は、「水」というテーマから始まりました。
何の変哲もない水――だけど、どこか不気味で、すべてを映してしまう存在。
“自分自身”と向き合うことの怖さ、弱さ、そしてそこから一歩踏み出す勇気。
翔真という少年が「本物の自分を選ぶ」までの、ひと夏の物語を読んでくださってありがとうございました。
あなたの心にも、もし“写し”があるなら――
そっと、水に映してみてください。
きっと、その奥には、“本当のあなた”が微笑んでいます。
2025年・夏
――ヒオウギ




