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水眼の村  作者: ヒオウギ


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3/8

第3話:水に呼ばれる声

 水の中に、自分ではない“何か”がいた。

 それがはっきりとわかったのは、風呂場に“葵”が現れた夜のことだった。




 彼女は風呂場の鏡に映らなかった。

 けれど、濡れた足跡はちゃんと残っていた。




 それを祖母に話すと、返ってきたのは怒鳴り声だった。




「――水の話は、二度と口に出すな!」




 滅多に感情を表に出さない祖母が、鬼のような形相で怒鳴るのを、初めて見た。




 そしてぽつりと、こんなことを言った。




「“あの子”のことを、掘り返すんじゃないよ……」




 “あの子”? 誰のことだ?

 もしかして――葵のことなのか?




 聞き返す前に、祖母は部屋に閉じこもってしまった。

 重い空気が部屋の隅にまで沈み込み、風鈴の音だけがやけに甲高く響いた。




 ***




 翌日、俺は村の図書室に足を運んだ。

 寒水村の郷土資料が眠る小さな一室。

 埃だらけの木棚を片っ端から調べていくと、ある古文書が目に留まった。




 《水神様のこと》

 《百年前、封じられし祟り神》




 そこにはこう記されていた。




 ――その神、水の神にして人の心を映す鏡なり。

 ――人の欲、憎しみ、嘘、嫉妬……そのすべてを水面に映し、形を変えて人を呑む。




 さらに、こんな記述も。




 《水神封印ノ儀 大正十一年 葵ノ巫女、命ヲ賭シ神ヲ鎮ム》




 “葵”の名前があった。


 巫女――まさか、あの少女が……?




 古文書は、途中でページが破れていた。

 ちょうど「封印の方法」に触れようとする部分が、ナイフで切り取られたかのように。




 そのとき、背後で声がした。




「その本、触らない方がいいよ」




 振り向くと、見知らぬ青年が立っていた。

 黒い作業着に帽子。村役場の腕章を巻いている。




「君、外から来た子だよね? 日向くんっていう?」


「……そうですけど」


「忠告しておくよ。村の“水の神様”には、深入りしないほうがいい」




 青年の目は真剣だった。

 だけど、その目の奥に“何かを諦めた人間”の色が見えた。




「昔、この村には“巫女”がいてね。水神様を鎮める儀式をしていたんだ」


「……“葵”って、巫女の名前ですか?」


「――どこで、その名を」




 青年が目を見開いた。

 だが、答えはくれなかった。ただこう言った。




「……封印はね、“完全”じゃなかったんだよ」




 そう言って立ち去る彼の背中に、聞こえるか聞こえないかの声が乗った。




「……また、水が……目を覚まそうとしてる」




 ***




 その夜、俺は夢を見た。




 ざぶん、ざぶん、と波音が響く。

 水の中にいるのか、空にいるのか、自分でもわからない不思議な感覚。


 目の前に、井戸がある。

 封印されていたはずの蓋が外れ、ぽっかりと口を開けている。




 そして、そこから這い出てきたのは――




 俺自身だった。




 水に濡れた俺が、笑っている。

 でも、その目は空っぽだった。

 感情のない何かが、“俺”の形を借りてそこにいた。




「水はね、映すんだよ。人の奥底を」




 声が響いた。

 いつかの少女、“葵”の声だった。




「でもね……映ったそれが、元の持ち主に戻ろうとしたら、どうなると思う?」




 俺は答えられなかった。




 代わりに、笑う“俺”が一歩、こちらへ踏み出してきた。




 その瞬間――目が覚めた。




 体中が汗でびしょびしょだった。

 いや、違う。これは――水だ。




 シーツの上に、水のしずくが点々と落ちていた。




 天井から……? 雨漏りか?

 いや――部屋のどこにも、水がこぼれた形跡はない。




 じゃあこの水は、いったいどこから?




 そのとき、部屋の隅。

 小さな水たまりが、勝手に“ぽちゃり”と揺れた。




 まるで生きているように、俺を見上げていた。




 そう。

 水が、俺を見ている。




 ――呼ばれている。




 夢ではなかった。

 いや、夢と現実の境目が、もう消えかけているのかもしれない。




 この村の“水”は、ただの自然現象なんかじゃない。

 水神様は、目を覚まそうとしている。




 そしてきっと、“俺”を必要としている。




 俺が、この村に来た理由。

 “たまたま”なんかじゃ、なかったんだ。

 

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