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雨の記憶  作者: キヨモ
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番外編 君に贈る7つの恋愛(SS集)

■恋に溺れることは醜いですか


「よう、お待たせ」

勢いよく教室の扉を開けて、見慣れた背中に声をかける。

夕暮れの教室にひとり佇む奴は一瞬びくりと反応し、それからまるで何事もなかったように振り返った。


なあ、いい加減、ポーカーフェイスはやめろよ。俺にくらい、みっともない姿を見せろよ。

けれども、奴はいつもと同じ涼しげな顔をして、鞄を手にゆっくりと席を立つ。

先程まで眺めていた窓の外を、一瞥することさえなく……。

ちらりと外を見やると、クラスメイトの女子三人が楽しそうに笑いながら校門に向かって歩いていた。


なあ、何を恐れているんだよ。

恋をすることは、怖いことでも、カッコ悪いことでもないだろう。

溺れてしまってどうしようもなくなったら、俺を頼ればいいじゃないか。


どこか孤独な背中にかけたい言葉は山のようにあるけれど、結局、どんな台詞も薄っぺらに感じられて。

腹減ったなあと、どうでもいいことを呟きながら奴の後ろを追いかけた。




■向き合うことが苦しいのは何故ですか


放課後の図書室は居心地がいい。誰にも干渉されず、誰に干渉することもない。

別に家を疎ましく思っているわけではなく、ただふとした瞬間に、家族の団欒の中で自分の居場所を見失いそうになるのだ。

だから帰宅する前に、図書室で自分の時間を過ごすようになった。

そう、水曜日以外は……。


古びた扉を開けると、予想外の人物と目が合った。

回れ右をするわけにもいかず、何気ない風を装っていつもの席に着く。

曜日を間違えたかとカレンダーを確認するが、やはり今日は木曜日だ。

ちらりとカウンターを盗み見ると、彼女は難しい顔をして何やら書いている。明日は英語の小テストがあるから、その予習だろうか。


はじめてちゃんと目が合ったなと、ぼんやり思う。

いつも目が合いそうになる寸前の、刹那だけ見つめていたから。真正面から向き合うことは、自分には許されていないから。

罪悪感や、懐かしさや、恋しさや。

色んなものがないまぜになった、名前をつけられない感情を抱え、密やかにその横顔を盗み見た。




■泣きたいときに泣けますか


傍らで泣き疲れて眠る幼子の体温は高く、柔らかな前髪がじっとりと汗ばんだ額に貼りついている。

そんな花じゃないと、この子は言った。

チューリップなんだと、声をあげてわんわん泣いた。

それはまるで、自分と彼女は違うのだと。わたしはわたしなんだという宣言に聞こえ。

衝撃と共に、安堵の思いが胸に広がる。


涙の跡が残る頬を優しく撫ぜると、小さくむずがり、再び微かな寝息が聞こえてくる。

テーブルの上にある絵を、くしゃりと丸めてゴミ箱に投げ入れる。

クレヨンの箱から赤色を取り出すと、真っ白の画用紙にチューリップの中で笑う少女の絵を描いた。




■どうしてあの人だけなのですか


四限目の終わりを告げるチャイムが鳴ると、俄かに校内が活気づく。

ぞろぞろと購買や食堂へ向かう腹減らしたちの波の中に、大きな世界地図を抱えたわたしは漂っていた。

先程の地理の授業で使用した地図を社会科準備室へ返しに行くことが、本日の日直のわたしの使命。

よろよろと階段を下りると、大勢の生徒たちの中に彼の横顔を見つけた。


どうしてこんなにもたくさんの人の中で、いつも彼のことを見つけてしまうのだろう。

問うても仕方のない問いを繰り返し、ひとつ溜息をつく。


男友達と食堂へ向かう彼の姿をぼんやりと見送りながら、わたしは反対方向へと進む。

ようやく到着した社会科準備室の前で、扉を開ける為に大きな世界地図を抱え直した。

その瞬間、長い腕が背後から伸びる。自動ドアのように、目の前の扉がガラリと開く。

振り返ると、見慣れた背中が大急ぎで食堂に向かって走って行った。


だから、どうしてこんなにたくさんの人の中で、わたしを見ているのだろう。

問うても仕方のない問いを繰り返し、わたしは泣きそうになった。




■後悔に縛られていませんか


ぽつりぽつりと、天から細い糸を引くように雨が降ってくる。

ただ、がむしゃらに歩みを進めた。木の根の張った、道なき道を。


「そろそろ休みませぬか?」

背後から、従者の控えめな声がする。

振り返ると、従者は疲弊した顔で傍らの人物を気遣わしげに見ていた。

その人物の乱れた息づかいを聞いて、ふと我に返る。周りが見えていなかった自分に激しく落胆する。

女子の脚でこの山道を登ることが、如何に過酷であっただろうか。

そんな簡単なことにも気づかず、振り返ることもせず、自分はただ黙々と歩みを進めていた。

まるで、逃れるように、振り切るように……。

「すまぬ」

小さく詫びると、妻はかぶりを振って微笑した。


後方に迫っていた無数の赤い光は今やぽつぽつと点在するだけで、ただ漆黒の闇が広がっている。

気づけば雨は、細い糸から大粒の滴へとその姿を変えていた。

既に、髪も衣も体も濡れそぼり、とめどなく幾筋もの滴が頬を伝う。

空から降る雨粒は冷たく、けれど、頬を流れ落ちる滴は熱かった。




■信じていると言えますか


文金高島田に髪を結い、白無垢に身を包んで赤い紅をさす。

鏡に映る自分は、誰か知らない女性のようで。

生家を離れる寂しさと、嫁ぎ先で上手くやれるかという不安がないまぜになり、急に気持ちが重くなる。

たかが隣町に嫁ぐのに、まるで異国に嫁ぐような気分で、わたしは母に手をとられて立ちあがった。

指折り数えてずっとこの日を待っていたのに、どこまでも足取りは重く。

祝福してくれる近所の人たちに見送られながら、ぐるぐると色んなことを考えていると、気づけば見慣れた門構えがあった。


導かれるままに敷居をくぐると、覚えのある花の香りが鼻孔を掠める。

そっと視線をやると、そこには水仙の花が一輪いけられていた。

雪のように白いその姿は、まるで花嫁のようで。

わたしの場所はここにあるのだと、わたしはこの人と幸せになるのだと、唐突にそう実感した。




■明確な理由がなければ不安ですか


「きゃー、手繋いじゃったよ、あのふたり」

「ちょっとやめなよ。覗き見なんて悪趣味」

「とか言いつつ、何故こっちに来るのですか、智子さん」

「いやあ、ちょっと外の空気が吸いたいと思いましてね、美雪さん」


だらりと腕を窓の外に出し、今まさに校門を出ようとしているふたつの背中を眺める。

暖かい春の風が、髪を撫ぜる。

「あれだけ見つめていて、あれだけ見つめられていて、それでも踏みとどまるものなのかなあ」

「理由や確信がないと、動けない人だっているのよ」

「それは経験談ですか?」

「ノーコメントです」

「理由なんていらないじゃない。好きだという想いに、正直になればいいじゃない」

「まあいいじゃないの。やっと、ふたりとも正直になったんだから」


「ねえ。明日、どうやってからかおうか?」

「ちょっとやめなよ。からかうなんて悪趣味」

「とか言いつつ、どうして携帯を取り出しているのですか、智子さん」

「いやあ、春の空があまりにも綺麗なので写メろうと思いましてね、美雪さん」

「うわあ、悪魔だよこの人。てゆか、さすがにここからじゃ遠すぎでしょ」




―Tricky Voice さま 「哲学」 より―

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