第14話 私が決めたのだ。もう拒む事は出来ぬ。
民衆の喝采を浴びて川辺から立ち去ろうとする弟王子は、スシーマに気付いて馬を止めた。
しかし、その目は自分よりも前に乗る巫女姫を凝視していた。
「なにゆえその女を前に乗せているのですか? 兄上」
その顔付きでスシーマにはすべて分かった。
(すでに会っていたのか。
贈り物をしたとは聞いていたが、直接会って贈ったのか……)
しかも……。
(ただならぬ感情を抱いている……)
すぐに分かった。
兄の馬に乗っている事に、ひどくショックを受けている。
傷ついたような、憤るような複雑な表情だった。
おそらくもう妻にするつもりでいたのだ。
自分のものだと決めていた。
ならば、ここではっきり釘をささねばならない。
スシーマは自分の前に座る少女の肩に両手を乗せた。
「そなたに紹介しておこう。
この姫をわが妃とする事に決めた。
シェイハンのアサンディーミトラ殿だ」
「なんだと?」
この暴れ馬のような弟が、これほど青ざめたのを見た事がなかった。
まるで裏切られたかのように少女を見つめている。
「か、勝手に言ってるだけだ。
私は誰の妃にもならぬ」
少女は慌てて否定した。
それにも腹が立った。
なぜ弟王子に言い訳をするのか。
「残念ながらミトラ殿。私が決めたのだ。
もう拒む事は出来ぬ。
アショーカも分かっているだろう。
私はこの国で、王以外の誰よりも優先される人間だ」
「……」
弟王子はスシーマを睨みつけた。
そして、この王子を自分の右腕にする事は、もう叶わぬのだと悟った。
それほど弟王子もこの少女に執着しているのだと……。
しかし譲る気はない。
貴重な右腕になるかもしれない王子だったが、それ以上にスシーマにとってこの腕の中の少女は大切なものだった。
「兄上にその口の減らないじゃじゃ馬が扱えますかどうか。
わざわざその者を選ぶとは、兄上も趣味が悪うございますね」
弟王子は拗ねたようにぷいっと顔を背けて立ち去った。
その後をぞろぞろと黒と黄色の縦縞衣装の私兵が続く。
その側近や私兵の数人が、残念そうに巫女姫を見つめて通り過ぎて行った。
どうやら、数人と面識があるようだった。
手の早い弟にずいぶん先を越されていたらしい。
少女にも戸惑いのような動揺が浮かんでいる。
(どうやってこの巫女姫の心に入り込んだのだ)
自分が何を言っても死に行く事しか考えてくれなかった少女に、あの弟はこんな表情をさせるだけの何かを残していったのだ。
それが悔しかった。
「アショーカと知り合っていたのか?」
つい責めるように問い詰めてしまった。
「知り合うというか……」
口ごもるだけの何かがあったのだ。
無性に腹が立った。
心の底から煮えたぎる何かが湧き出てくる。
こんな感情は知らない。
「呑気にプライドにこだわってたスシーマ様が悪いんですよ」
ナーガがやれやれと隣りから口を出す。
「くそっ! 本当に手の早いヤツだ」
二人の間に何があったのか気になる。
「だからあの弟王子を甘く見てはダメだと言ったじゃないですか。
あれは人の手駒になどなる男ではありません」
「そうだな。どうやら仲良く手を取り合ってとはいかないらしい」
スシーマは決意したように呟くと、腕の中の少女に断言した。
「命令だ。二度とアショーカに会うな!
分かったな!」
大人気ないと分かっていても言わずにいられなかった。
「スシーマ王子?」
不安そうに自分を見上げる巫女姫を背から抱き締めた。
もう離さない。
大急ぎで母を説得し、後見になってもらう。
そうして正妃にしたなら、後宮の奥深くにしまって、もう二度と誰にも会わせない。
この翠の瞳には、生涯自分しか映させない。
そう決意を固め、月色の髪にキスを落とした。
「まあ、さきほど王に妃にすると断言したのです。
アショーカ王子にはもう手出しは出来ませんよ。
この姫はスシーマ様のものです」
ナーガは勝ち誇ったように言い放った。
そうだ。
自分はこの姫を勝ち取った。
失脚するかもしれない危険を冒してまで勝ち取ったのだ。
今はほんの少し弟王子に先を越されてしまったが、これから時間をかけ、ゆっくり愛をはぐくむ。
父王のした暴虐を、心をこめて償っていく。
生涯ただ一人を愛し、自分のすべてを捧げる。
そうしていつの日か、きっと心を通わせてみせる。
ヒンドゥ中の姫達が羨むほどに愛し尽くしてみせよう。
今は遠い心も、自分の全力の真心で近づける事が出来るはずだ。
スシーマには自信があった。
そして側近のナーガも、さほど大変な事とは思っていなかった。
このモテ王子が本気になれば、どんな姫であろうと簡単におちるだろうと。
主君の未来はいよいよ磐石なものになったと確信していた。
二人はまだ、この姫がどれほど頑なで恋愛オンチな姫か知らなかった。
まさかこの後、散々に振り回され、とんでもないトラブルに巻き込まれていくとは思いもしなかった。
堅物王子の苦難は始まったばかりだった……。
完結です。
たくさん読んで頂きありがとうございました。
これは「アショーカ王の恋愛オンチの花嫁」のスピンオフ作品ですので、興味をもたれた方はそちらもご覧頂ければ嬉しいです。
スピンオフ物語を書くのが意外に楽しかったので、スシーマ王子のその後やアショーカ王子側のものも書いてみる……かもしれません。
その時はまたお越しくださいませ。